『死亡遊戯で飯を食う。』が性癖に刺さっている。
可愛い女の子が惨たらしく死ぬ話が好きです。
人格を疑われるからあんまり声を大にして言えないんだけどそういう趣味がある。少し前になるけど『呪術廻戦』の渋谷駅でのサイコロとか『フィアー・ストリート Part 1: 1994』の電動スライサーとかそういうやつ。
そんな中で出会ったのが記事タイトルにもある『死亡遊戯で飯を食う。』っていうMF文庫から出てるシリーズ。
最初にタイトルを聞いたのは1、2年くらい前。神保町の隅にある神保町らしい薄暗い照明のカフェで、生まれて初めて出版社の経費で飯を食う機会に巡り会えたときのこと。担当してくれてる編集さんから「最近読んで面白かったラノベ」として教えてもらった。
そのときから頭の片隅にタイトルだけは残っていたんだけれども、なんとなく食指が伸びず。というよりも僕自身本屋に行くのが苦手なのでそもそも出会う機会がなかっただけではある。ただずっと「いつか読も」とは思っていた。
時を経て先月末。秋葉原のアニメイトに寄る機会があり、たまたま見た棚に『死亡遊戯で飯を食う』を見つけたので買ってみた。
内容は死亡遊戯=デスゲームについての話なんだけど、新規性を感じるのはタイトルの通り主人公が”デスゲームのプロ”という点。そして本作ではデスゲームの目的は最初から「見世物である」と明らかになっていて、そのため参加者は可愛い女の子(作者は三人称として"娘さん”という表現を好んで使っているが、これがかなり個人的に好き)だけに限定されている。まあ男がいても良くね?とは思うがこれはラノベだし、そもそも見世物のメイン観客がそういう層なんだろうといってしまえばそれまでなのでケチを付けるつもりはない。僕も美少女だけのデスゲームの方が好きだ。
主人公は幽鬼というプレイヤーネーム(=本名じゃなくてデスゲーム用の名前)の銀髪美少女。借金のために仕方なくとか、運営者に因縁があってとか、そういう大義はなく(まあ1つでかいも目的があるにはあるんだけれども)金を稼ぐ手段、飯を食うための手段としてデスゲームをやってる子。ダウナー系だけど冷血ではないのが肝。「全員で一緒にゲームを生き延びてやる」っていう熱血タイプでも、「他人を蹴落としてでも生き延びてやる」っていう自己中タイプでもない。「可能な限り少ない犠牲で生き残れたら言いけど、まあ無理なときは無理だし、いざとなったら手段は選ばないよ」っていうスタンス。これデスゲームものの主人公としてはなんか新しい方向性を持ってるかもしれないと思っている。そんなにデスゲーム作品を嗜んでいるわけではないですが。
まあ主人公の話はどうでもいい。どうでもよくはないけど。でも僕がこの作品で一番気に入っている部分ではない。
女の子が酷く死ぬ話がしたい。
※ここから先は『死亡遊戯で飯を食う。』1巻のネタバレと倫理的によくない話が含まれます。自己責任で読んでください※
ライトノベルのデスゲームなので軽めかなと舐めながら読み始めたら1巻の途中で一気に脳みそを持っていかれた。
可愛い女の子が本当に酷く死ぬ。
それも個人的にかなり理想の死に方だ。
別に僕は現実世界において女性を含めて他者に対する加害願望を持っているわけではないということだけは言い添えておきたい。みんなと仲良くしたい。争いごとは苦手だ。
それからただただグロいシーンが見たいわけでもない。グロいものは好きではあるんだけれども血とか臓物とかそれ自体を出されてもあんまり気持ちは動かない。
大事なのは死に至るまでの過程。それまで積み上げてきたキャラクターとしての尊厳や魅力が完膚なきまでに破壊される、という状況が僕は好きだ。
ある種のギブアンドテイクと言うか。
キャラクターに対してギブしてギブしてギブしてギブしてギブして可愛さを膨らませていって読者もキャラクターも「気持ちいい」って感じきったところでドカンと一発、デカいものをぶんどる。例えば命とか。
これはぶっちゃけ悲しい。悲惨だ。直視したくない場合もある。でもそれが気持ちいい。そのキャラクターに感情移入をしていたり好意を抱いていたらなおさら。自分の中のようやく育ってきた大切な気持ちを土足で踏みにじられる。嫌なことだし避けたいことなんだけど同時に気持ちよくもある。周囲の人には「避けたい事態に対する脳の無意識の防御反応なのでは?」と言われることもある。実際そうかも知れない。
話を『死亡遊戯で飯を食う。』に戻すと今作で僕が一番気に入ったシーンは1巻Aパートのゲーム《ゴーストハウス》中に登場する。
ゲームの概要としてはみんなで協力しないと天井から降りてくる丸鋸にバラバラにされますよというもの。実にデスゲームらしい。
もちろんこんなデスゲームデスゲームしたゲームでみんなかよく丸鋸回避!いぇーい!みたいな展開に絶対にならないわけで、案の定回避策が見つかった瞬間に美少女たちは我先にと争い合う。わかりやすいタイムリミットの提示が緊張感のある展開を生み、最後まで全員助かりそうな気もするし誰かが死ぬような気もする。どっちだろうどっちだろうとハラハラしながらページを捲っていると1人死ぬ。
死ぬのは無口な少女・青井ちゃん。
登場から死ぬ瞬間までほとんど喋らない。社会不適合者が集まる本作のデスゲームの中でも、輪をかけて社会不適合な感じがプンプンする娘さん。ある種主人公・幽鬼と同じ立ち位置で、幽鬼も青井を同族だと思っているフシがある。だから僕は最初に読んだとき青井はモブ風に見せかけて最後まで生き残るタイプかなと思っていた矢先に、死んだ。
登場するキャラクターのラインナップを見てもなんか死ぬタイプに見えないのに死んだ。もっと先に死ぬべきやついっぱいいると思うのに、一番無害そうな子が死んだ。それがとてもよかった。
しかもかなりの大絶叫を上げて、っていうのがミソ。
前述したとおり青井は無口キャラなのだ。登場から死ぬ瞬間までほとんど喋っていないのだ。そんな子が最後の最後でセリフを与えられたかと思えば目を覆いたくなるような汚い断末魔というのが本当に性癖に刺さった。
僕はフィクションにおいて無口で大人しいキャラを好まない。バカでアホでよく喋るとにかく明るい系のキャラクターが好きだ。無口キャラなんて何がいいのか分からなかった。つまんねーと思ってた。
でも『死亡遊戯で飯を食う。』を読んでようやく理解できた気がする。無口キャラの魅力は無口であることではなく、セリフを発する瞬間にあるのだ。
無口だったやつがたった一言で相手にテクニカルなダメージを与えたり、緊張しながらも精一杯長尺のセリフを喋ったり、そんな瞬間にこそ無口キャラは輝く。
青井の場合はそれが断末魔だったという話。
地の文にも青井の断末魔をこう描写している「彼女のようやく放った、一世一代の全力の咆哮だった」と。まじでそう。
人生で初めて「無口キャラ、いいな」と思えた。ありがとう青井。死んでくれて。
ただ、死に方がとても理想的だったがゆえにどうしてもその後に出てくる設定に文句をつけたくなる。丸鋸でバラバラにされた青井。はてさてどんな風に描写されるのかなと思いきや、彼女は血まみれではなく綿まみれになっている。
本作には「防腐処理」という設定がある。
ゲームの参加者にはもれなくこの処置が施されていて、これがあるとどうなるかというと怪我をしても血が流れず、傷口から白い綿が出るようになるのだ。ゲームは見世物なので観客に配慮して生々しくなりすぎないように、というのが理由らしい。たぶんこれはメタ的にもそうだろう。あまりに血ドバドバ臓物ドロドロだと、この作品は世間にあんまり受け入れられてなかったかもなという気がする。やっぱり世の中的には可愛い女の子は可愛いままであってほしいという価値観を持っている人の方が多いと思うから。
とはいえ個人的にはこれは少し肩透かしを食らった。血じゃなくて綿が出てくるというのは破けたぬいぐるみみたいな感じなんだろうけど、ちょっと、いやかなりファンシーなビジュアルだ。もちろん青井が死んだことに違いはないのだが、死んだあとの姿が可愛くあるのは困る。生前と変わらない、というか生前よりちょっと可愛さ増してないか?そんなことはないか。
個人的に”可愛いものの死”はこれまであった愛らしさや美しさが赤黒く塗りつぶされてなんぼのものだと思っているので、やっぱり血とか臓物はあってほしいかもしれない。
最初に「血とか臓物とかそれ自体を出されてもあんまり気持ちは動かない」と書いておいて何だけど、あったほうが嬉しいです。
ただ僕はその「防腐処理」という設定に対して腑に落ちない思いを抱えつつも、いまはもう否定的ではない。慣れれば「意外とこの設定ありだな。おもしろいかも」という風に思えてきたし。綿もこもなんか"グロ表現”と認識できるようになってきた気がする。
こんな感じで『死亡遊戯で飯を食う。』では可愛い女の子が出てきては死に、出てきては死にを繰り返す。
1巻あたりの消費キャラ数がかなり多いのにまるで混乱しないどころかみんな可愛いところに作者の技量を感じる。すごい。僕もそういうキャラ描写ができるようになりたい。
『死亡遊戯で飯を食う。』は現在6巻まで発売されている。僕は6巻まで買って5巻まで読んだ。今のところ1巻のAパート《ゴーストハウス》を越えるスリリングなゲームや、青井を越える死に様を見せてくれるキャラクターが出てきていないのが少し残念なところではあるが、しばらくは買い続けると思う。
あとアニメ化してほしい。
地上波じゃなくてネトフリオリジナルとかでやってくんないかな。
ネトフリ映えしそうだし。
では。また。