🌈を見て何が浮かぶ??

「虹だ〜❣️😆」という反応が起きますか?

「It's a rainbow!🤩」という反応が起きますか?

「ラッキー🎶😁」という反応が起きますか?

「知ってる!?虹ってね…(略)👩‍🎓」と、うんちくを語る反応が起きますか??

ぜんぶ、"覚えたこと"(そのとき中にあるモノ)が出ただけです。

"🌈は、虹という名前である"と覚えれば、

それを"虹"と呼ぶようになり、

"🌈は、rainbowという名前である"と覚えれば、

それを"rainbow"と呼ぶようになり。

ラッキーだと覚えれば、「ラッキー🎶😁」という反応になり、

"🌈の根元には宝物がある"と覚えれば、それが出る。

そう覚えていないのに、🌈を見て、「オゥ!イッツ、ロドリゲス!!😻」とはならないんです。

で、

"教わったこと"と、"覚えたこと"は別なんですが、

敬語とかも、いくら"正しい敬語"を習っても、"覚えたように"出てきますよね。

教わったことじゃなくて、"覚えたこと"

ここも明確に違います。

で、

話は元に戻るんですが、

🌈は何色でできてるか。

これも、"覚えたこと"なんですね。

日本では7色って習うのが一般的かな??
(どう覚えたかはそれぞれです)

で、教わるときに、

「知ってる?虹ってね、7色でできているんだよ🎶」

と、"正解"を教わるの。

先に言っておくと、

世界で虹の色の数がバラバラなのは有名かと思います。

7色だったり6色だったり、5色だったり、4色だったり、中には2色という国もある。

わたしたちからしたら「えっ!??」ってなる事実だけど、

そこのひとたちからしたら、逆にわたしたちが「えっ!??」ってなる笑

認識の相違です。。笑

わたしたちは最初、🌈(事実そのもの)をありのままに観ていたの。

赤ちゃんの頃、子供の頃、まだ何も知らなかった頃。

名前も知らず、何色かも知らず、ラッキーだとかなんだとか、そういう謎の結び付けとかも知らず。

だけど、

あれは"虹"といって、"7色"でできていて、"見るとラッキー"なことがあって…とかを教わって、そこで

「え??6つしかないよ?」と言おうものなら、

「??ちゃんと数えた??もう一回数えてごらん?」と、

"先生"(先に生まれたひと)に、"正解"を教わり、

【知識】に"認識"を矯正させられる。

モノによって、場合によっては、「なんでできないの?」とか怒られたり、できるまで何度も何度もやらされたり。

"正しく"できないのは、"ダメだ"とされる。

わたしたちは、《世界》について教わったんじゃない。

名前や概念という【知識】や、【認識の仕方】、【嘘の法則】(迷信)、

そういう【嘘】を覚えてきただけなんだ。

しかも、上記で挙げた【嘘】のほかに、

非言語の部分で、この世には【正解と不正解がある】というのも教わった。
(どう覚えたかはそれぞれです)

で、その【嘘】のかたまり、、

"覚えたこと"の寄せ集めが、【自我】なんです。。。


わたしたちは、自分の名前はおろか、

"最初のひとつ"を覚える前から存在してた。

わたしが最初に、何を教わって、何を覚えたのかは覚えてない。

「おとは〜🎶」「おとはちゃ〜ん🎶」「かわいいでちゅね〜🎶」「こっち見て🎶」「あっ!笑った笑った!」「パパでちゅよ〜🎶」「ママでちゅよ〜🎶」「見て見て!ママ!おとはがくれはの指握ったよ!」

いっぱい音(言葉)を浴びたと思う。

そこから、その音には意味があるらしいことを覚え、

どうやら、こちらに向かって、やたら"おとは"という音が向かってくるのも覚え、

"わたし"という認識が芽生え、

"自分や他人"という分離を覚え、

わたしの名前を覚え、

見えてる景色に、"パパ"や"ママ"や"お姉ちゃん"がいるのを覚え、、、

("覚えたこと"は、《事実》じゃないよ)

知ること、覚えることも褒められて、

何度も何度も反復されて。

わたしたちは、"最初のひとつ"を覚える前から、存在してた。

わたしたちは、【思考】(自我、覚えたことの寄せ集め)じゃなくて、《存在》の側。

【思考】(概念)によって切り分けられた"全体のうちの一部分"じゃなく、
まったくどこにも分離のない《存在そのもの》なんだよね。

で、、、

教わるうちに、そんなことも忘れちゃって、

少し大きくなると、できないときに怒られたりもして。

中には残念がられたり、泣かれることもあるかもしれない。

"正解"から"外れること"が、怖くなるよね。

これが、

罪悪感や、劣等感、自己否定や、自己嫌悪、自己肯定感の低さを生んでる原因です。

それらはすべて、【嘘】によって引き起こされてる。

"正しい"方は、善であり、"外れた"方は、悪であり、、

本当は、わたしたちがもともと持ってるのは、"正解"でも"不正解"でも、"善"でも"悪"でもないんだよ。

もともと《存在》に備わってるのは、《快不快》であって、【善悪】じゃない。

お腹が空いたよぅとか、眠たいよぅとか、さみしいよぅとか、びっくりした!とか、お腹が張るよぅとか、オムツ気持ち悪いとか、寒いよぅとか、そういうの。

それは善悪とはまったくの無関係で、別次元。

"善悪"は完全に後付けで、"先生"の【思考】に教わって、《存在》があとから"覚えた"モノ。【嘘】のモノ。
だから、それはころころ変わる。もともと正解なんて、実在していないから。

対して、《快不快》は、普遍です。
それは物理的な理(ことわり)だから。正真正銘の《真理》だから。

虹の根元には宝物が埋まってるとか、そういうファンタジーじゃないんだよ。
オムツが濡れてるなら、替えなくちゃ。寒いのならあったかくしなきゃ。
眠いのなら眠らなきゃ。

それを、【思考】で歪めてるのが現代社会。

違いますか?????

読み物として鵜呑みにしないで、
【頭の中】の知識にしないで、

《頭の外》を、《現実》を確認してください。

新たな知識を増やしたところで、それは🌈の別名や、🌈の新たなうんちくを増やしたのと変わらない。

それらがすべて【紛い物である】と、《叡智》でもって解るんです。

綺麗事じゃく、

わたしたちはひとつなの。

解ってないのに綺麗事言うの、大嫌い!笑

ぎゅ❣️

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