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短編小説

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これまでに書いた短編小説をまとめています。
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#短編

ショートショート | 夜をながれて

その国はずっと夜だった。 人々は、夜の星とランプのあかりだけを頼りに生活した。 しかし、ランプはずっと灯っているとは限らない。 ランプが切れると、人々はカーテンを開けて空を見上げた。 外に出て、少し散歩をする者もいたし、広場で追いかけっこする子どももいた。 老人は古いバイオリンで寂しい音色を響かせて、恋人たちは手を繋ぎながらお互いの温もりを感じとった。 リアムは、町を見渡せる丘へ出ると、いっぺんに落ちてきそうな夜の星々をしばらく眺めた。 星のあかりに照らされた薄

ショートショート | 彼岸花

そこは不気味な世界だった。 生温い風が吹いていて、その中には少しかび臭い匂いが含まれている。 風が通るときの音はまるで誰かの呻き声のようだ。 広い空間が広がっているその足元には、四角く整えられた黒い大理石が敷き詰められている。 崩れかけたブロンズの像を一つ、また一つと過ぎていくと、遠くからピアノの音が聞こえてきた。 ヴィーナスを彷彿とさせる女性がピアノを弾いている。 彼女は白い絹のドレスを一枚まとっているだけだった。 僕が近づいてくるのがわかったのか、隣に座ると

ショートショート |ピエールとエリス

隣の家に住む若い夫婦がいつものように喧嘩をはじめた。 どうやら夫がミルクを買い忘れたらしい。 「だからメモを書いてと言ったじゃない。」 と妻が苛立ちをあらわにしている。 「人間忘れることだってあるじゃないか。」 と夫も負けていない。 毎週のように隣で繰り返される口論はもう恒例行事となった。 自身も、昔は妻と何度喧嘩したことか。 一週間口を利かないこともざらにあった。 怒った時のあの妻の表情。 思い出すとピエールはおかしくて笑った。 妻のエリスと出会ったの

ショートショート | としろう

みんみんみんみんみんみぃ〜。 みんみんみみみんみんみぃ〜。 みんみんみんみんみぃ〜。 としろうは7年越しに地上に出てきた。 やはり外の空気はたまらない。 土の中は狭苦しくて仕方がないんだ。 むぃんむぃんむぃんむむむぃんみみぃ〜ん。 としろうは、オリジナリティを求めた。 新人たちはマニュアル通りに鳴いているが、としろうは途中でこぶしを利かせる。 みんみんみみみんみみみぃぃぃ〜ん。 ちょっとやり過ぎてしまったかもしれないと反省したときは、少し姿勢を正してから大

ショートショート | 田中くん

1年5組の田中くんは、みんなに怖がられる存在だった。 家柄が家柄だけに、誰も田中くんに近づこうとはしなかった。 誰も、田中くんと目を合わせない。 田中くんは、話しかけられることもなければ、 いじめられることも当然なかった。 教室の窓際で堂々とタバコを吸っていても、 それをとがめる先生もない。 クラスメイトたちは何も気づかないふりをしながら 田中くんに目をつけられないことを常に気にした。 しかし、当の田中くんは誰かに目をつけようなどという 気持ちはさらさらなかった。

【短編小説】花屋の男の子とピンクのバラの花

男の子が好きになったのは、公園で泣いている女の人でした。 女の人は、夕方の4時頃、教会の後ろにある小さな公園にやってきました。 そこには遊具がなかったから、子供たちの姿はありません。 子供たちはいつも、遊具がある大きな公園で遊んでいたからです。 女の人は、水色のワンピースに、白いスニーカーを履いてやってきました。 いつものベンチに腰掛けて、目の前を流れる川をいつものように眺めています。 すると、少しだけ肩を震わせて、今日も静かに泣くのでした。 男の子は、女の人が

短編小説 | お父さんと、玉子焼き

子供の時、はづきはお父さんが大好きだった。 お父さんと外を歩くときは、いつでも手をつないだ。 お父さんが家に帰ってきたときは、すぐに玄関へとかけつけて、お父さんにぎゅーってしてもらった。 お父さんと一緒に寝た。 お風呂も一緒に入った。 お父さんがすやすや寝ている日曜日の朝も、遠慮なく叩き起こしては、一緒に近くの川に遊びに行ったりした。 お父さんはとても大きな存在で、お父さんがいれば何も怖くなかった。 「人はいつか死んでしまう」と知った日も、お父さんの布団に入った