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短編小説 | お父さんと、玉子焼き

子供の時、はづきはお父さんが大好きだった。

お父さんと外を歩くときは、いつでも手をつないだ。

お父さんが家に帰ってきたときは、すぐに玄関へとかけつけて、お父さんにぎゅーってしてもらった。

お父さんと一緒に寝た。

お風呂も一緒に入った。

お父さんがすやすや寝ている日曜日の朝も、遠慮なく叩き起こしては、一緒に近くの川に遊びに行ったりした。

お父さんはとても大きな存在で、お父さんがいれば何も怖くなかった。

「人はいつか死んでしまう」と知った日も、お父さんの布団に入ったらすぐに眠ることができた。

それだけ、はづきにとってお父さんはやさしくて大きくて、いつでも頼れる存在だったのだ。

でも、はづきが中学生になった頃から、少しずつお父さんのことを尊敬できなくなっていた。

それは、はづきに新しい友達ができたのがきっかけだった。

中学生になって、はづきに新しくできた友達は、裕福な家庭の子たちだった。

一番仲がいいゆみちゃんのお父さんは、お医者さんだった。

ゆみちゃんの家は大きくて、ゆみちゃんの家に遊びに行くと、いつもおしゃれなケーキやクッキーが出てきた。

ゆみちゃんのお父さんは背が高くて、すらっとしていた。

いつもめがねをしていたゆみちゃんのお父さんは、すごく頭が良さそうで、着ている服も高そうだった。

そのどれをとってみても、はづきのお父さんとは大違いだった。

はづきの家には、おしゃれなクッキーやケーキはなかった。

お父さんは背が低くて、すこしぽっちゃりした体型だった。

服は安物だし、お父さんの靴下や下着には穴が開いていた。

それに、店長とはいえ、スーパーで働いているということは、あまり友達に自慢できるようなことではないように思えた。

いつからか、お父さんに抱きつくこともなくなっていたし、学校での出来事を話すこともなくなっていた。

会話はどんどん減り、食事を一緒にとることも少なくなった。

お父さんの嫌なところがどんどん目につき、お父さんのことがどんどん情けなく思えてきた。

そうして、はづきは中学2年になった。

はづきは今日も、親友のゆみちゃんの家に向かっている。

それは、ゆみちゃんの大きな家の前に着いた時だった。

道端に牛乳パックのゴミが捨てられていることに気づいた。

誰かが道に捨てたあと、ここにたどり着くまでに何度か足で踏まれたのかもしれない。

もともと真っ白であっただろう牛乳パックは、様々な汚れがついていた。

誰がいつ捨てたんだろう。

そんなことを考えながら牛乳箱をぼーっと見ていたが、ゆみちゃんが玄関から元気よく出てきた瞬間、すぐに牛乳箱のことは忘れてしまった。

そして学校に着いたからも、その牛乳パックのことを考えることはなかった。

しかし、その日の帰り道。

驚いたことに、その汚れた牛乳パックは依然として朝あった場所に捨てられていた。

たくさんの人がその前を通ったはずだ。

でも牛乳パックはその場に放置されたままだった。

ゆみちゃんに「またね」と言おうとしたとき、ゆみちゃんのお母さんがちょうど夕方の買い物から戻ってくるところだった。

また、その日仕事が休みだったゆみちゃんのお父さんも、ちょうどランニングから帰ってくるところだった。

「こんにちは」

そう言って笑顔であいさつしながらゆみちゃんと、ゆみちゃんのお母さんやお父さんとお別れをした。

そして、道端に放置された牛乳パックを横目で見ながら、はづきは家に帰ることにした。

お風呂から上がると、お父さんが台所で一人、今日もスーパーの残り物を食べていた。

「よく飽きずに食べられるよな。」

そんな冷たいことを考えながら台所の前を通って、自分の部屋に行こうとしたときだ。

ゴミ箱にあの牛乳パックが捨ててあることに気づいた。

この牛乳パックは、間違いなくあの道端に捨てられていたものだ。

はづきもお父さんも牛乳は嫌いだったから、家の冷蔵庫に牛乳があることはほとんどなかった。

ここ数週間も、牛乳パックを冷蔵庫で見たことは一度もなかった。

それに、ゴミ箱に入っている牛乳パックには、いろいろな人に踏み潰されたであろう様々な汚れがついていた。

「この牛乳パック......」

はづきは、思わずそう口にした。

「ああ、それか。帰る時に道に落ちてたんだよ。」

お父さんは、そうシンプルに言うだけだった。

でも、それを聞いたはづきは、突然泣き出してしまった。

お父さんが拾ってくれたんだ。

誰も拾わなかった牛乳パックを、お父さんが拾ってくれた。

はづきの涙は嗚咽に変わっていた。

そして、頭の中でなんどもお父さんに謝った。

お父さんごめんなさい。

冷たくしてごめんなさい。

お父さんのことを恥ずかしいなんて思ったりしてごめんなさい。

自分はばかだった。

なんてばかだったんだろう。

この一年、ずっと素っ気ない態度をとってしまった。

お父さんのことをばかにしていた。

恥ずかしいと思っていた。

ああ、なんて自分はばかだったんだろう。

お父さん、ごめんなさい。

お父さん、ごめんなさい。

はづきの涙はしばらく止まらなかった。

大好きなお父さん。

お父さんは、私の大好きなお父さんだった。

道に落ちているゴミを拾ってくれるお父さん。

暗くなった帰り道に、牛乳パックのゴミを拾っているお父さんの姿が浮かんだ。

お父さんが拾ってくれてうれしかった。

お父さんが拾ってくれて、ほっとした。

お父さんのことが大好きだ。

すてきなお父さんだ。

なんて自分はばかだったんだろう。

はづきの中で、いろんな感情が一気にこみ上げてきた。

涙はまだ止まらなかった。

次の日、はづきは学校から帰ると、真っ先に部屋着に着替えた。

そして、冷蔵庫から卵を取り出すと、慣れない手つきで玉子焼きを作り始めた。

人生で初めて作る玉子焼きだったが、できたものは自分でも誇らしく思えるほど上出来な見た目だった。

あとはお父さんを待つだけだ。

お父さんの帰りが待ち遠しかった。

夜の9時ごろ、お父さんはいつものようにスーパーの袋にお惣菜を入れて帰ってきた。

お父さんとはづきは二人暮らしだったから、夜ご飯はたいてい、スーパーの残り物でまかなっていた。

家の中に入ったお父さんは、いつもと家の雰囲気が違うことに気づいた。

料理の匂いがする。

そのせいか、いつもより部屋があったかくなっているような気がした。

「お父さん、おかえり」

部屋に入るとすかさず、はづきがお父さんを出迎えた。

「お父さんおかえり」と聞くのはいつぶりだろう。

こんな風に迎えてくれたのは、本当に久しぶりだった。

はづきはそわそわしていた。

テーブルの上には玉子焼きがある。

なるほど、これを早く見せたかったのだな。

「おお〜。今日は玉子焼きがあるじゃないか。うまそうだな〜。」

お父さんはすかさず、はづきにそう言った。

はづきは照れ臭そうに笑いながら、玉子焼きが載ったお皿にかけていたサランラップを外した。

そして、スーパーの惣菜をお皿にもって、今日は一緒にごはんを食べることにした。

二人とも、まっさきに玉子焼きに手を伸ばした。

そして、同時に口の中に玉子焼きを運ぶと、同時に「しょっぱ!」と口にした。

そして、一緒になって大笑いしたのだ。

玉子焼きはしょっぱかった。

でも、その日の食事は久しぶりにとても美味しかった。

数日後、はづきは学校の帰り道にコンビニのレジ袋が道端に捨てられてあるのに気づいたが、今回は何も迷うことなくすぐにそれを拾った。

それを捨てた人がやり残した仕事を、お父さんにさせたくなかったのだ。

それに、お父さんの帰り道を、汚いままにはしたくなかった。

その日も、はづきは部屋着に着替えて、台所へと向かった。

今日はづきが挑戦するのは味噌汁だ。

学校の帰り道に豆腐とわかめとみそを買った。

「お父さん、喜ぶだろうな」

お父さんが「おいしい!」と言ってくれるところを想像しながら、はづきはその日、人生初の味噌汁を作った。

あとは、お父さんが帰ってくるのを待つだけだ。

はづきは待ち遠しかった。

9時になるまで、何度も何度も時計に目をやった。

9時を少し過ぎた時、お父さんが帰ってきた。

そして、はづきは今日も元気よく言った。

「おかえり!!」と。




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