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命の恩人のこと
こんにちは。
双極とパニック持ちの優彩です。
沢山みなさんに共有したいことがあって、何から書くのがいいか、悩んでしまいます。
しかし、固く考えすぎず、話したいことからのんびり書いていこうと思います。(時系列バラバラで読みにくくなったらごめんなさい!)
今回は私の命の恩人について。
これからもたくさん記事に登場するであろう、私の人生には欠かせない重要人物です。
私と恩人の初めての出会いは、3年前の春(高1)。
恩人は英語の先生で、授業担当になりました。(学年団でもありましたが、他クラスの担任でした)
その英語のクラスは3段階の1番上。
1番上と書くと中学時代から英語が出来たような響きですが、そんなことは全くありません。
正直、中学時代は違う先生の影響で数学が好きで、英語にはあまり興味はありませんでした。
しかし、良くも悪くも生真面目だった私は、定期テストだけは高得点をキープしていました。
英語もそのひとつ。でも、他の教科より取れなくて、自分の中で英語は苦手科目でした。
高1で恩人は苦手科目の英語の授業の担当。
教科書の初めのトピックは、八村塁選手でした。
どのような授業だったかは、正直覚えていません…
でも、この先生の授業好き!英語楽しいかも!
直感でそう感じました。
小学生の頃から、好きな先生(親しくなりたい先生)が出来ると、お話したくてたくさん質問しに行ったり、お手伝いをしたりする生徒でした。(現在進行形です笑)
とにかく先生とお話する時間が好きで、楽しくて。
だいぶグイグイ行っていたと思います笑
出会って、だいぶ経ってから、いつから私のことを認知していたのかと恩人に聞いたことがあります。
当時使っていた教科書には、八村塁選手の2つくらい後の章で環境問題のトピックとして石油と石炭が出てきました。
その違いが分からなかった私は、熱心に違いを調べ、まとめたドキュメントを作り、恩人に送り付けました。(距離の詰め方、だいぶ変わってます笑)
それが初めての認知だったそうです笑
その後も、授業終わりに最後まで残って質問して、職員室まで一緒に帰る。
これを週3時間の授業で2年ほどしました。
もともと小5くらいから学校があまり好きではありませんでした。
学校という場所が苦手でした。
生真面目に頑張りすぎてしまう性格、集団生活の息苦しさなどなど要因はたくさんありました。
前の記事で8年近く苦しんだと書いたのはこのためです。
でも、恩人と出会ったことで初めて、学校に行きたい。恩人に会いたい、お話したい、授業を受けたい。
そう思えるようになりました。
間違いなく、私の中で大きな心の変化でした。
初めてメンタルの相談事をしたのは、確か高1の二学期期末前だったと思います。
信じていただけないかもしれませんが、私は定期テストに命をかけていました。
親も先生も友達も、誰もプレッシャーなんて1ミリもかけてません。
でも、自分の中でどうしても高得点を維持しないと許せなかった。
高得点を取る自分に価値を見出していたのだと思います。
「ちゃんとやらないと、頑張らないと」
この考えが自分を苦しめ、体調に現れ始めました。
相談したのは、音楽の授業で過呼吸(パニック発作のような症状)が出てしまったこと、離人感(自分が自分でないような感覚)が出てしまったこと、だったと思います。
12月の放課後、暗くなりかけた体育館裏の外階段で話を聞いてくれました。
(外に締め出され、第2職員室の窓から侵入して、なんとか帰ったのは今でも思い出です笑)
なんて返してくれたのかは、正直あまり覚えていません。
でも、ずっと1人で抱えていたことをようやく他の人に相談出来て、心が軽くなったような気がします。
親でも友達でも担任でもない。絶妙な関係の彼女に藁にもすがる思いでした。
高2.3、なんと恩人は担任になりました。
精神科に行くことを勧めてくれたのもこの恩人です。
その日のことは、病院に行くきっかけとなった日をご覧ください。確実に限界を超えた日でした。
その日は恩人と一緒に帰っており、恩人から「優彩の体調が悪いのは脳の誤作動が原因だと思う。精神科でお薬もらう選択肢もあるよ。考えてみてね。」のようなことを言われたと思います。
恩人にも精神科の通院経験があったようです。
恩人はもともと私が小学校を卒業した春まで、私が通ってる中高に勤めていました。
あとで聞いた話ですが、心身共にかなり追い込まれていて、しんどかったようです。
この時、精神科に通い始めたらしい。
私が中学に入学したとき、彼女は入れ違いで海外で働き始めました。
英語も堪能で仕事も出来るので、大きな不自由なく仕事をしながら過ごしていたようです。
そして、私が中3の夏、元の学校に戻ってきました。
学校の管理職の先生と親しかったことが要因のようです。
つらい思いをした場所によく戻ってきたな、と思ってしまいますが…。
本人もなんかトントン拍子で話が進んでしまったと話していました。
一方の私は、通いたくて学校に行ってたというよりは辞めるという選択肢がなくて行っていた感じでした。
誰かが、辞めてもいいんだよって言ってくれて。
高一で学校を辞めた親友がもう少し早く辞めていて、辞める選択肢に気づけていたら、私はこの学校には通い続けてなかったと思います。
人の出会いは一期一会のご縁と言いますが、恩人との出会いは本当に本当に奇跡なんです。
神様が与えてくれたプレゼントかもしれません。
私の生き方(考え方)を再形成するために賜った病気。
苦しい時、たくさん支えてもらいました。
たくさん迷惑もかけました。
ここでは書ききれないほどの返しきれない恩をいただきました。
いつか恩人にとっても心の支えとなれるような人に、してもらったことを他の人にも還元出来るような人になりたいです。
この経験、絶対無駄にはしません。
神様、素敵な出会いをありがとう。
恩人、出会ってくれて、支えてくれてありがとう。
あなたがいなかったら、私は今この世にはいませんでした。あなたが助けてくれた命、大切にします。
末永くこれからもよろしくね。
ここまで読んでくださった方いるのかな?
長く自分語り失礼しました。
今年は私のマインドセットとか皆さんに少しでも還元出来ることもお話していきたいなと考えてます。
のんびり、楽しみに待っていてください!
また次の記事で…