ここ何ヶ月かは、うまく生活を回せてて、なかなかに乗りこなせてたけど、久しぶりに機嫌が悪い(多分生理前)から、思い出したことを書いとく。 もし私が突然死んだ時、「いい子だった」とか「仲が良かった」とか「悩んでたのは知ってた」とか、急に私に友達が増えたら、それは全員嘘っぱちの自分可愛い勢だと言うことは明言しておく。 本当に、具体的に、真に理解し関わってくれてた人たちは、そんなペラッペラなこと絶対言わないから。きれいごと言いたいやつら今からでも遅くないから離れてくれ。死んでなお
これは事あるごとに言っていこうと思うけど、私別にカウンセラーになりたいわけではないからね。こんなメンヘラ女は絶対カウンセラーなったらだめだからなwwww 私は根が捻くれてるから決して親切な人じゃないし、好き嫌いは激しいし、社交辞令もお世辞も嫌いだから露骨に顔と態度に出すよww まあ、今更みなさんご存知でしょうけど。 自分がしていく仕事に関わってくる最低限のことを勉強してるだけ。それも、自分が子どもの頃にずっと願っていた世の中を自分で作りたいだけ。10歳の頃からずっと変わって
死ぬ方法なんていつもいつも考えてる。 すぐ消えてしまいたくなるこの頭を取っ替えたいって、誰よりも私がいつもいつも思ってる。 メンタルと健康をを維持しなければならないプレッシャーは如何許りか。自分への投資はいつだってしんどい。勿体ない。無駄。
(2023年7月30日の記事がなぜか下書きになってたから今頃投稿)(未遂から生還した後の心境) もし、周りに何もなくなって、誰もいなくて、地面も確かめられなかったら、錯乱して、人はきっと、叫んだり手当たり次第壁や床を探してる動き回るんじゃないだろうか。確かなものを探してに探して狂ってしまうんじゃないだろうか。試し行動なんだろうか。交代人格なんだろうか。私はただ、生きていることそのものが疑わしくなってしまったんだと思う。幸せで満たされて好きなことができてるから道をなくしてしま
方向性や解釈の誤解も、これまでの変遷として敢えて残しておく これが世の中の漠然としたイメージであり、簡単に自分のやりたいスタイルを確立した訳ではないという記録として こうやってコツコツ出来上がったんだな、と未来の誰かの参考になればいい 始めた本当の理由は、 自分が死を選ぶまでの時間がもうないと思ったから もう一つは、一度死んだもの同然だから、だったらやりたいようにやろうと思ったから 自分がそれをやるに相応しい器かとか、準備不足とか、そんなことはどうだっていい 個人の感情や
男のことでめそめそする度に「一人で生きていくって決めたじゃないか」と自分を戒める気持ちと「こんなことでいちいち死にたくなる今生をとっとと終わらせたい」の狭間で右往左往する。ばかばかしくてやってられない。でもそこから逃れられない。
〝心配〟や〝応援〟や〝プレゼント〟に擬態した〝相手に干渉することで自分の存在を承認してもらう〟に潰されて、私は自分が未遂を犯すまで、それらが自己肯定感を下げてる原因だと気付かなかった。傍目には加害者が「いい人」に見えるから、この重圧や嫌悪を他人にもわかってもらえなくて辛かった。 でも多分、私も人にそれをしてたと思う。 今は意識してご遠慮願うようにしてる。お互いのため。
起きていたいのに死ぬほど眠くて引き摺り込まれるし、眠りたいのにカンカンに冴えた目と頭が憎くて、毎日毎日苦痛。しばしば、コンクリートに自分の頭を釘打ちのように打ち付けて打ち付けてぐしゃぐしゃにしたいし、ナイフを鎖骨の隙間に突き立ててそのまま下に引き裂いてぐちゃぐちゃにしてしまいたい衝動に駆られる。どうしてこいつは生きてるんだろう。ものも食べないで欲しいし誰かと接触しないで欲しい。とにかくとにかく、この存在が憎くて許されなくてしんどい。誰からも責められてないし恵まれているのに。根
母が入院したらしい。 知らんけど。 母自身はDV被害者だからかわいそうと思って接してきた子ども時代だったけど、思い返すと大概あんたも虐待に加担してるよと言えることたくさんあるし、大人になってからも考えが幼稚で閉鎖的でそのくせ一丁前に母親ヅラだけはするからムカついてやってらんねーと思うから何も感じない。 親不孝な娘でごめんね。せいぜい楽しく生きて。
最近の私の〝しにたい〟って、自分の首を切り刻みたいとか、自分の心臓を滅多刺しにしたいとか、自分の頭をコンクリートに打ち付けたいとか、そう言う欲求なんだなあと気が付いた今日この頃。 昔は、自分のやることなすことが恥ずかしくて消えてしまいたい、なかったことにしたい、誰も知らない世界でやり直したい、だったんだよな。 今はなんだろ、自分で選ぶ意志も持てて、こんなに心にゆとりある生活してるくせにすぐ病む自分が許せない、罰したい、罰して欲しい、みたいな気持ちなのかも知れない。
わしは、文章書くの苦手やねん。 だから感想を語るのは好きだけど公表するために書くのは好きじゃないんだな、 と、思ったとさ。 文字にすると削ぎ落とされちゃう言葉たちを、私の頭の中だけに留めて置けなくなって来たから、それを外部記憶装置に移す作業なんだなこれは。 人様の感想が流れてくるタイムラインを見て、インタビュー記事を上げながら、そんなことを思う。 もう、うんともすんとも、新しいことが覚えられないしつい最近のことはすぐ忘れる。 ここ数年悪くなってたけど、この夏からが一番ひどい
身近な誰かが死ねば、周囲は過敏になって、人の生き死にについて何も言えなくなる。 誰かが病気になれば、健康について言えなくなる。 喧嘩をすれば、考え方の多様性について言えなくなる。 貧乏になれば、お金について言えなくなる。 戦争が起これば、平和について言えなくなる。 生きているうちに、 元気なうちに、 自由があるうちに、 無茶と言われても、 詰め込み過ぎと言われても、 生き急いでると言われても、 過剰だと言われても、 馬鹿にされても、 言いたいこと、言うべきこと、
反論があるなら正々堂々面と向かって言えばいいんだよ。こそこそしてないでさ。勝手に脳内で決めつけないでさ。それで「わかってあげられなくてごめん」は最悪の逃げ口上だろ。わかる気がなかったんだよそれは。仲良くなる気もなければ興味もなかったんだろ。 死んでから「何もしてやれなかった」「わかってあげられなかった」なんて戯言は許さない。生前と同じくだんまりしとけよ。何もしなかった、わかろうとしなかったを選んだのはお前だよ。自分だけ楽になろうとすんな。死者を使って善人ぶるな。一生後悔して
私を崇拝してた女の子がいて、どちらかと言えば私は同世代からは嫌われたり腫れ物扱いだったから、私といるとあなたが変に思われるよ?と、途中から相手にするのをやめた。気付いたら話すことはなくなって、その子は他のグループに入ってた。その方が彼女の人生が楽しくなるだろうと思ったからよかったなあと思った。 昔からそう。 奥さんがいるけど私にべったりだった友達がいて、私が悪影響与えてるのはよくないなって思って、わざと突き放したら、いつの間にか子持ちの友達ができてて、私といた時より伸び伸
何も感じなくてよかったのかも知れない。 もし私が今現在、趣味もなく目指していることもなく気が置けない友達もいなかったら、復讐と言う目的を失って生きる気力を失って抜け殻になっていたかも知れない。 今、そうではないと言うことは、私がそこから抜け出して自分の道を生きていると言うことなのだ。
ストリートライブ禁止の看板の横で何組もの若者が歌ってる パンクだ 今が一番楽しい 今日が一番幸せ 生きてるーって感じがする 生きててよかったーって 私、産まれてきてもよかったんだーって思ってる 好きなものを手にして 初めて自分の足で立って 好きなところへ歩いて行くことがなんて楽しいのか 自分で選びとっていくことの幸せを初めて噛み締めてる 今ここで全部終わらせたいなあ まあ死なないけど 今死んだら部屋が汚過ぎて 肉体が死んで尚社会的に殺されちゃうから