見出し画像

リーダー必読の帝王学! 『貞観政要』

今から1300年以上前、中国は唐王朝の時代にありました。

時の元号は「貞観(627~649年)」、唐の第二代皇帝である太宗(李世民)は多くの賢臣を任用し、広く諫言を納れて善政を敷きました。

そのため、貞観は中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世に政治的な理想時代とされたのでした。

この良き統治者であった太宗の言行録こそが『貞観政要』です。

この書は、古来から帝王学の教科書とされてきました。

主な内容は、太宗とそれを補佐した臣下たちとの政治的な問答を通して、非常に平和でよく治まった時代をもたらした治世の要諦が語られています。

その書名の通り「貞観の政治の要諦」が記されたものなのです。

中国では後の歴代王朝の君主はもちろん、日本にも伝わり、北条氏や足利氏、そして徳川氏といった政治の重要な役にあった者に愛読されてきた歴史を有しています。

このように、国を越えて広くリーダーたちに愛されてきた古典、それが『貞観政要』になります。

この書物の素晴らしいところは、その内容が現代にも応用できるところ。

身分階級のなくなった現代、私たち全員にリーダーとなる可能性があり、すでにそのような役についている方もいるはずです。

長い歴史の重みに耐えて現代まで生き残ってきた偉大な古典は、その歴史の続きを生きる私たち現代人にとって決して色褪せません。

実際に人材育成や組織統治、コミュニケーション術の要諦を説く一冊として注目されています。

そこで、「現代のリーダー必読の書」と題して『貞観政要』をご紹介しようと思います。

ところでこの書物、全文はとても長いんです!

👆講談社学術文庫のものは、全訳というとてもありがたい仕様で、776ページのボリュームになっています。

文中に登場する故事やその時代の情勢についての解説も豊富で、「『貞観政要』のすべてを読みたい!」という方には最もオススメの一冊です。

もちろん全訳ではないバージョンもいくつかあります。

さすがに読みきれなさそうという方は以下のものをオススメします。

この記事では、講談社学術文庫の『貞観政要』を扱います。

とはいえ、このボリューム・・・とても全てをご紹介するわけにはいきません。

今回は現代にも通用する(と私が思った)古人の言葉いくつかに的を絞っています。


『貞観政要』の特徴について

さて、王朝の最盛といわれる時代の統治をなした太宗が、国を栄えさせるために、臣下と議論を交わす様子を描いたのが『貞観政要』です。

この書物の最大の特徴は、皇帝である太宗が臣下の諫言をよく受け入れるところにあります。

「諫言」とは、諫めの言葉、平たく言えばダメ出しのことです。

つまり、この書は臣下が皇帝にダメ出しして、それを皇帝が反省するという内容になっています。

(もちろんそうではないところもありますが)

普通に考えてみれば、天下を統一した皇帝に向かってダメ出しするなんて、恐ろしすぎますよね。

実際、中国にはこうした諫言によって怒りを買ってしまい、殺された臣下が何人もいました。

太宗の偉大なところは、そんな諫言を素直に受け入れるところにあります。

太宗 李世民

太宗は即位した当初は気を張っているので、身を慎んで政務にあたっていたのですが、だんだん気が緩んできたときには容赦なく、

「即位十年、人民の怨嗟に気づかず」(巻六「奢縦」)
「煬帝よりも劣る皇帝になるつもりか」(巻十「行幸」)
「太宗が有終の美を飾れない理由十条」(巻十「慎終」)

などと特にダメ出しされています。

太宗は、「帝王とはかくあるべし」という臣下の諫言を(ときにはイヤイヤながら)受け入れることで、後世に伝わる貞観の治を成し遂げていったというわけです。

しかし、諫言の内容以前に、諫言を臣下にさせることは大変なことです。

偉大な皇帝に向かってダメ出しするわけで、しかもそのせいで歴史的に何人も死んでいるわけですから、臣下としてはかなり勇気が入りますよね。

だから諫言を求めるならば、まずは諫言をしやすい雰囲気づくりを行うべきなのです。

「忠言を聞くには表情を和らげる」 (巻二「求諫」)

太宗は、非常に威厳のある容姿をしていたので、お目通りをした官僚たちは、前に出るとみな尻込みして落ち着きがなくなってしまった。太宗はそれに気づくと、臣下が上奏するたびに、必ず表情を和らげ、進言をしやすいようにして、自分の政治の長所短所を知るように心がけた。

『貞観政要』講談社, p.126

上の立場になると下の立場の人に舐められないように、あえて威厳を出したりしたくなることがありますよね。

現代の文脈で言えば、社長に対して社員が萎縮してしまうといったところでしょうか。

しかしそうした近付きがたさは、周囲とのコミュニケーションの妨げになってしまいます。

太宗は、独りよがりにならないためにも、まずはコミュニケーションをしやすい雰囲気づくりに取り組んだのでした。

「賢明な君主は、自分の短所について考えるのでますます良い君主となり、暗愚な君主は、自分の短所を庇うのでますます愚かな君主となる。隋の煬帝は、好んで誇り威張り、自分の短所に目をつぶって忠告を拒否したので、皇帝に逆らってまで諌めるのは実に難しかった」

p.129

煬帝は、桀王・紂王と並んで本書に何度も登場する暴君です。

贅沢を好み、豪奢な建造を繰り返し、残虐な政治をして民衆の恨みを買った隋の皇帝として描かれます。

https://sekainorekisi.com/glossary/唐/

この隋が倒れた後が太宗の唐王朝なので、本書では特に暴君の代名詞になっているわけですね。

「そなたたちは、おのおのが誠意ある進言を貫いて、私の悪い点を正さねばならない。その直言が私の意に逆らったからといって、私は決して咎めたり怒ったりはしない」

p.131

太宗は、過去の中国の王朝が滅んだのは、君主が自分の短所を受け入れられず、また臣下が君主に対してゴマをすることになったからだと主張します。

臣下がゴマすりになるのは、皇帝の怒りを恐れ、気に入られようとするからです。

そうなってしまう原因を、太宗は君主の態度に見出しています。

このごろ、私のところに来て上奏する人を見ていると、ひどく恐れるあまり、言葉がしどろもどろになる者が多い。通常の上奏ですら、このような状況なのだから、ましてや私を諌めようとすれば、きっと逆鱗に触れることを恐れるに違いない。だから、諫める者があるたびに、たとえそれが私の意にそぐわない場合でも、私は自分に逆らったとは受け止めない。もし怒って叱責しようものなら、その人は深く恐れおののくであろう。そうなったら、私を諌めようとする者は、もはやいなくなってしまう」

p.137

このように公言することによって、広く諫言の門戸を開きました。

「臣下は真心を尽くそうとしないのではなく、真心を尽くすという行為が極めて難しい」と考える太宗は、とにかくものを言いやすい雰囲気を整えることに尽力したのです。

コミュニケーションを取りやすい雰囲気をつくる、それが自分に対してのダメ出しであるとしても。

この意識が貞観の治につながっていったと言えるでしょう。

「雄弁は決して良いことではない」 (巻六「慎言語」)

太宗は、自分への諫言が広く行われるような雰囲気づくりに取り組んでいました。

それが功を奏して諫言が入ってくるようにはなったものの、その中には当然、あまり的を射ていない内容のものもありました。

内容に理がないものは、いくら太宗でも受け入れるわけにはいきません。

そんな時は必ず問い質し、いわば論破していたのでした。

しかしそんな様子を見ていた臣下のひとりが、太宗に諫言文を提出します。

「陛下がお言葉をかけ、顔色を和らげ、静かに相手の言葉を聞き、素直にそれを受け入れようとされても、それでも臣下たちは自分の意見を十分に言葉にできないことがあります。ましてや、陛下のように優れた知恵と弁舌を発揮し、言葉巧みに相手の理屈を言い負かし、昔の事例を引用して相手の議論を斥けたならば、いったい凡庸な者はどうして対応すればよいというのでしょうか」

p.502

いくら太宗が雰囲気づくりをしても、やはり立場がありますから、進言する臣下は自分の論について十分に語ることができません。

もっと議論できるのに遠慮してしまって、「本当はこういうことで言ったんだけど・・・」ということはあるのではないでしょうか。

下の者は常に上の者の立場を尊重するので、十分対等に語れるほどにはなれないことがあるというわけです。

そんな状況にあって、皇帝が臣下を執拗に論破してしまっては、その人は次から進言しようとはしなくなるでしょうし、他の人も恐れ憚ってしまいます。

こうして太宗は、老子の「本当に雄弁な者はまるで口下手のようだ」という言葉や、秦の始皇帝が能弁で自分を誇って信用を失ったことなどを例に出され、雄弁を振るうのを諌められたのでした。

始皇帝

それに対して太宗は、

「思慮をめぐらさなければ民を治めることはできず、言葉でなければ思慮を表すことができない。そう思っていたので、このごろ臣下たちと談義するのに、ついつい執拗に言い張ってしまった。物事を軽蔑して人に対して驕り高ぶるようになるのは、きっとこういうところから生まれるのであろう」

p.503-504

このように直筆で書いて、虚心に改めることを誓ったのでした。

攻撃的にならず、何事にも純朴に対処して、ゆったりした態度で臨むことが肝要であり、そうすることで心身の健康をも保つことができるとか。

相手の立場を考慮に入れて、しつこく論破しないようにせよ。

リーダーたる者、いくら自分の方が理にかなっているからといって、雄弁を振るっても、結局自分の利にはならないということですね。

「慎み深い心を最後まで持ち続ける人は少ない」 (巻六「謙譲」)

即位してから1年が経ったあるとき、太宗は側近に言いました。

「天子になれば驕り高ぶって、恐いものは何もない、と人はいう。しかし私は、自ら謙遜して常に畏れ慎むべきだと思う。(中略)そもそも、天子となって驕り高ぶり、謙遜もしなければ、もし自分の身によくないことが起こっても、誰が天子の顔色も気にせずに諫めてくれるだろうか。私は何か言おう、何かしようと思うたびに、必ず上は天を畏れ、下は臣下たちを憚る。(中略)こういうことを考え、常に謙虚で遠慮深くあるべきだということはわかっているつもりなのだが、それでもなお、天の心や人民の気持ちに合っていないのではないかと心配なのだ」

p.476-477

即位してから1年が経つと、多少なりとも慣れの感覚が生じてきます。

しかも立場は皇帝なのですから、自分の権力に酔いしれがちになってもおかしくありません。

現代風に言えば、社長になった人はなった当初は気張っていても、だんだんその地位の力の魅力に心が傾いてしまうという感じでしょう。

太宗はそれを頭ではわかっており、自分はそうはなりたくないのだと側近たちに打ち明けているのです。

それに対してある臣下が返答します。

「古人は、『皆、初めはよく慎むが、終わりまでそれを続け通す者は少ない』と言っています。どうか陛下には、その謙虚で遠慮深い生き方を守り続け、日増しに慎んでくださいますよう。そうすれば国家は永久に堅固で、傾き倒れることはないでしょう」

p.477

今回は諫めではなく、太宗が言ったことを肯定する内容でした。

(👆この古人の言葉の出典は『詩経』です)

太宗自身が言っているように、リーダーたる者が傲慢になれば、部下の話は耳に入らなくなり、謙遜することがなくなれば、信用を失って誰も誠実に相手をしてくれなくなります。

しかし、そのようなリーダーにも依然として権力がついていますから、部下はおべっかを使って自分の利益のことしか考えない連中のみが残るようになります。

こうなってしまっては、組織が滅亡に向かってひた走ることは避けられないでしょう。

人間のこのような傾向を考えると、政界においてなぜ「任期」というものが必要なのか、その理由がわかるような気がします。

高い地位に立ったなら、当初の慎ましさを忘れず、常に謙虚で遠慮深くあるべし。

「初心忘れるべからず」は、思いのほか難しいのです。

「太宗が有終の美を飾れない理由十条」 (巻十「慎終」)

このように、太宗は貞観の初めの頃は自分でもよく注意して、皇帝としてのあるべき姿を全うしようとしていました。

しかし、即位から10年以上が経つと、さすがの太宗にも変化が訪れていました。

以前と比べて倹約の精神に欠け贅沢になり、勝手気ままになってきていたのです。

そこへある臣下が上奏文を提出し、太宗を諫めました。

この諫言文は『貞観政要』の中でもとりわけ長い文章になっていますので、内容がわかるように何箇所かを抜粋します。

「即位したばかりの頃は、どの帝王もこうしたこと[帝王のあるべき姿]を守ってよく政治に励みますが、しばらくして天下が安泰となると、多くの帝王がそれに反して風俗を損ねてしまいます。これは何故なのでしょうか。思うに、尊い地位にいて、四海の富をわがものとし、言葉を発すればそれに逆らう者はなく、行動すれば誰もが必ず従うのをいいことにして、公の道を忘れて私情に溺れ、礼節は欲望のために損なわれるからではないでしょうか。古語に『知ることは難しくはないが、それを行うことは難しい。行うことは難しくないが、それを最後まで続けることは難しい』とありますが、これは本当にそのとおりです」

p.751([]内は筆者による)

太宗が貞観の初めには自分の欲を抑えて身を慎んでいたのに、近年では昔の気持ちとは違ってきて、初心を貫くことができなくなっていることを伝えています。

この後、太宗が有終の美を飾れない理由が10箇条にわたって列挙されることになります。

大まかにまとめてみますと、

1.太宗は馬や珍しい宝を遠くまで買い求めて軽蔑されている
2.軽々しく民を労働に駆り立てている
3.自分の娯楽のために人民を使っている
4.君子を退け小人を近づけている
5.贅沢になっている
6.好き嫌いで官吏を任用している
7.狩りに没頭しすぎている
8.臣下に対する態度が粗略になっている
9.傲慢になり欲に心が奪われている
10.民をいたずらに疲弊させ災害に備えていない

という感じになっています。

この節で大切なことは、あれほど帝王としてのあり方に慎重だった太宗でさえもが、だんだんと気が緩んで上記のような過ちを犯してしまうということです。

「陛下の言葉だけを聞けば昔の聖人にも勝っていますが、行いを見れば平凡な皇帝にも及びません」

p.752

「人民を心配する言葉は常に口にしますが、実は自分の娯楽のことで心はいっぱいです」

p.754

「花の芳香の中にいても、魚の悪臭の中にいても、長い間に匂いは感じなくなります」

p.754

自分の功績のために人を使ってはいないか。

そしてそのようなあり方が当たり前になりすぎて、もはや気づくことができなくなっているのではないか。

そのように疑念を投げかけています。

現代でも、「組織全体のため」と綺麗な言葉を使い、その実、組織内部の人を苦しめていることは往々にして起こることではないでしょうか。

そしてそれが罷り通ってくると、誰もそのあり方を疑問に思わず、たとえ思ってもそういうものだと諦めて、あえて口にすることはなくなります。

それは、かつて太宗が雰囲気づくりに求めたのと正反対の事態です。

『貞観政要』にはこの箇所以外にも、晩年の太宗があまり臣下の意見を受け入れなくなっている様子が示されています。

リーダーはその力のために堕落するのであり、最後まで行うことが本当に難しいということを承知していなければならない。

周りに国中から集まった賢臣を侍らせていてもこのようになってしまうのですから、現代のリーダーたる者は本当に注意しなければなりません。


以上、『貞観政要』のほんの一部をご紹介してきました。

途中、引用で孔子が登場したことからもわかるように、この書は儒学をベースに成立しています。

この点「天人相関説」など、現代人にとって本書の内容は奇異な感じを覚えるかもしれません。

しかし、そこは歴史ある大著。

組織リーダー論の参考書として、現代にも応用が効くエッセンスがたくさん詰まっています。

この記事がそれを示す一助になったなら嬉しいです。

『貞観政要』は、リーダー的な立場にある人、これからリーダーになる人にオススメの一冊です!


お読みいただきありがとうございました🌸

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集