〜れば、いけない。
私は随分と、この考え方に
人生を左右されてきたと思います。
仕事は残業してもやらなければいけない。
もっと前に、学校へは毎日必ず行かなくてはいけない。
もっともっともっと。
自分での思い込み、考え方の癖?
だから、それが出来ない時、
自分の事を異常に責めてしまう。
それで、子供時代は自分のことを
ネガティブだとして、それが当たり前になっていた。
小学生時代の先生も、私のことを悲観的だと何かのノートに書かれた記憶がある。
悲観的のちゃんとした
意味がわからなかった。
国語辞典で調べた。
悲しかった。
私の子供時代は、先生でもそういうことを
言っていた。
私はその頃よりも20年程年をとった。
自分の性質や、性格について
ネットで調べることも出来た。
数年前に、ネットで調べて
そこでHSPという言葉に行き着いた。
根本的な解決には至らなかったが、
自分自身について、ネガティブではない
名前がついたというか、存在を認められたような、何となくようやく自分自身について、腑に落ちた。この感覚が正しいのかもしれない。
はじめて心療内科を受診したときも
私はHSPだと思います。と話した。
薬はなるべく使いたくないです。
ただ、自分自身が少しでも生きやすいように
こちらに通いたいです、と。
先生と、カウンセラーさん、両方にお会いして、最初は泣きながら話していく。
泣きすぎて、最後に恥ずかしいくらい。
自分自身について話す、自分自身を優先する自分の声をきく練習。
心療内科は、先生がなんだかほんわかしていて、勝手なイメージで病院へ行ったら病名を与えられ、薬を出されて、次はいつ来てくださいと言われて、定期的に淡々と通うのかと思っていたが違った。もちろん、いろんなところがあるんだろうが、私の行ったところは、不思議な場所だった。
今、私の腕の中には新しい家族がいて、通院は出来てないが、この家族が私をいい意味で裏切ってくれ、私を肯定してくれている気がする。
●早く産まれるかもしれない → 予定日ギリギリまでお腹に居座る(笑)
●小さく産まれるかもしれない → めちゃくちゃ大きい(身長·体重)
●元気に育つかな? → 助産師さんやお医者さんも何も言うことがないくらい順調ですとのこと
●私の育児大丈夫かな? → 助産師さんが本当によく笑う子、優しい気持ちで接してますねと言ってくれた。
この子の存在が、私がこのままで良いと認められた気がする。この子が全てではないけれど、気づくきっかけをくれた。
泣いても笑っても、一切の遠慮もない。
ただ純粋に伝えたいことがあるだけ。
本当にそれだけ。
わかりやすいよね。
私は、いつから余計なことを考え過ぎてたんだろう。
わがままは、大人では通じないけれど
ただ今の自分の気持ちに正直になる。
相手がいれば合わせたり遠慮したり色んな感情がわくけれど、それでも「私は本当はこうしたかったんだよね」と、その気持ちまでは否定しないようにいたい。
屈託なく笑うこの子から
与えられることはまだ沢山あると思う。
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