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センスの哲学

「センス」という言葉を聞くと、それは「生まれ持って備わったもの」や「小さい頃からの文化資本によるもの」と捉えるかもしれません。

つまり、努力ではどうしようも出来ないことを「センス」と表現しているケースが多いように思います。

哲学者の千葉雅也さんが書かれた『センスの哲学』では、センスを「どうしようも出来ないこと」とは捉えていません。

この書籍では、センスを「直観的にわかる」ことである、というところから始めて、センスに対しての理解を深めていきます。
そして、ものごとを見る時の感覚に対するヒントを与えてくれます。

何かを鑑賞するとき。
何かを制作するとき。

そのようなときに、この『センスの哲学』に書いてある内容が、大きな助けになることと思います。

今回、その中からの学びをいくつかシェアいたします。



センスとは

『オックスフォード英語辞典』を引くでは、センスは以下のように表現されています。

とりわけ直観的な性質で、ものごとを正確に知覚し、識別し、評価する能力。

オックスフォード英語辞典

この書籍では、センスを「直観的にわかる」というところから始めます。

これは、ディベートやロジックのような論理の積み重ねをせずに、パッと瞬時にわかるということでもあります。

直観と論理は、古代ギリシアのころから哲学のテーマとして取り扱われてきたそうです。
哲学分野においては、これらのどちらかを重視したり、あるいは両方を重視して接続したりを、繰り返してきました。

平成の日本社会においては「ロジカルシンキング」が重要視されてきたため、直観のような「よくわからないもの」は軽視されがちではありました。
しかし、ここ数年では、アートやデザインのような、直観と論理を組み合わせることに視点が移りつつあるようです。

センスは、総合的な判断力であり、感覚と思考を接続したようなものであると言えます。

創造における選択

判断は、選択という行為に反映されます。

「絵を描くセンス」や「曲を作るセンス」というと、ゼロから何かを作り出すものだと思うかもしれません。
しかし、アイデアは基本的には、既存の作品から何かを飛躍させたものとなります。

創造の根底には「選択」があります。

料理も、食材や調味料を選択して、組み合わせたものです。
同様に、絵を描いたり曲を作ったりする際も、様々な選択肢の中からの組み合わせで成立します。

何かを鑑賞する際には、「この作品にはどのような意味があるのか」といったことに気がいってしまいます。
一方、創造する際には、「どの材料を選択してどのように組み合わせるのか」ということに目を向けます。

選択の余地

選択には「自由の余地」があります。

人間は、自由の余地が大きすぎると、しばしば不安に陥ります。
多くのことが気になりすぎてしまい、落ち着かなくなってしまいます。

そのため、関心事を特定の狭さに限定して、自分を落ち着かせます。

一方で、生物には「未知のものに触れてみたい」という好奇心も持ち合わせています。
これは、環境変化に適応するために備わった機能だと言われています。

人間は、不安から自己を制限する側面と、自己の好奇心を開放する側面の、二面性を持っています。
新しい分野にチャレンジしたいと思いつつ、不安に思って行動できない、ということは起こりえます。

そこで文化資本は、様々なことに興味を持つことに慣れるためのベースラインを提供してくれます。
チャレンジする際の不安定さに対して、平気でいるどころか、面白さに変換できるメンタルセットを、文化資本が構築していきます。

文化資本は、精神の柔軟体操のようなものと言えるでしょう。

ヘタウマ

「上手(うま)」と「下手(へた)」について考えてみます。

「上手」は、なにかの対象をそのまま再現することだと言えそうです。
なにかの曲を楽譜通りにしっかり演奏できたり、風景を写実的に描けたり、完コピできることは「上手」といえます。

「下手」は、再現が不十分なことであると言えます。
技術の不足によって、曲や風景を再現できない場合に、「下手」であると言えそうです。

ここで「個性的な味」がでるものは何でしょう。

再現の正確性からはズレが生じていて、そのズレを味として認識するのではないでしょうか。

これは「ヘタウマ」だと言えます。

「ヘタウマ」は、「下手」とは決定的に異なります。

「下手」は、モデルの再現を目指すが、不十分な状態を指します。
一方、「ヘタウマ」はその人の演奏や筆の動きが先にあり、その中にモデルの再現が含まれたものとなります。

センスを考えた時に、重要な考え方は「再現」を目指さないということです。

モデルを認識することも重要ですが、そのまま再現するのではなく、抽象化して利用します。

意味からリズムに

私達は、何かの作品を鑑賞する際に「意味」を捉えようとします。

例えば、以下のような映像が順番に表示されたとします。

  • 晴天

  • グラウンド

  • カレンダー

  • 桜並木

この時、鑑賞者は例えば「入学式かな」とか「卒業式かな」とか考えるでしょう。

しかし、ここで製作者が考えることは、どのように面白く見せるか、です。
「入学式」とか「卒業式」というモデルをそのまま再現しようして、再現できないとなると、それは「下手」であり、センスが悪いとみなされます。

ここで、「意味」のもっと手前の、「ものごとがそれ自体で面白いかどうか」に着目します。

この書籍では、それを「リズム」と表現しています。

ものごとをリズムとして捉えること、それがセンスである。

センスの哲学

このリズムへの着目が、製作者と鑑賞者との違いと言えます。
あるいは、リズムに着目しているときには、製作者と鑑賞者の区別がなくなるとも言えるでしょう。

リズム

音楽におけるリズムの一番シンプルなものは、「音が鳴る」「止まる」というオン・オフのスイッチングです。

「ドン、ドン、ドン、パッ」「ドン、ドン、ドン、パッ」

例えば、四拍子のこの繰り返しは、シンプルなリズムのパターンです。
音をどのように並べるのか、というのがリズムだと言えます。

食べ物においても、リズムはあります。
「外はサクサク、中はジュワっ」というのもリズムにあたります。

絵画にも、文学にも、リズムがあります。

古代ギリシアには、壺絵というものがあります。
壺の側面にダイナミックな絵が描かれていますが、とてもリズミカルなものに見えます。

油絵などでも、鑑賞の際に目を走らせている中で、「ここで色が変わる」とか「ここはタッチが変わる」などのリズムがあります。

文学は言わずもがな、文体にリズムがのっており、重々しいシーンや、軽快なシーンでは、リズムが全く異なるというのは体験したことがあるでしょう。

マルチトラック

バンドサウンドは、ボーカル、ギター、ベース、ドラムなどのパートが別れています。
それぞれのパートは別々に「トラック」に録音しています。

このトラックが複数の層になっている状態を「マルチトラック」といいます。

様々な楽器や音色ごとに、異なるリズムになっており、それが組み合わさって一つの作品になります。

複数のパラメータの多次元的な組み合わせ、つまり、多層的なリズムの配置が、センスであると表現できます。

このマルチトラックの概念は、音楽以外にも通じます。

例えば、映画はわかりやすいですよね。

映像と音のマルチトラックですが、映像と音もさらに細かくパラメータ化できます。

映像であれば、場面の明るさ、居場所、人数、などなど。
明るい昼間のカフェテラスなのか、夜の団地の一室なのか。
それらのシーンでBGMがなっているのか、会話がなされているのか、あるいは雑踏のノイズが入っているのか。

これらのリズムの組み合わせがマルチトラックとなって、作品を構成します。

ビートとウネリ

「ドン、ドン、ドン、パッ」という四拍子は、いわば1と0の連続です。
「有」と「無」の交代であり、出来事のオンとオフです。

これは、「ビート」といえます。

出来事が発生する頻度や速度やタイミングが、ビートとなって現れます。

出来事は、強弱や高低があり、変化の差分や質感の違いがあります。

それらの絶妙な変化を表現するものが「ウネリ」です。

リズムは、ビートとウネリで構成されます。

アニメ作品において、ぱっぱっと超展開をしていく作品もあれば、日常系と言われるゆっくり進行する作品もあります。
これらは、ビートとウネリの違いだと言えます。

リズムは、ビートの反復と変化、そしてウネリの組み合わせで構築されます。

反復は「次もこうなるだろう」という期待値を生みます。
その期待値を、ビートの変化やウネリで裏切っていくことが、面白みを生みます。

この期待値と変化の差分が大きすぎると「よくわからない」となり、差分が小さすぎると「ありきたり」となってしまいます。

この差分のコントロールがセンスとも言えます。

サスペンス

作品の中には「あっ」と言わせる驚き、言い換えれば「ストレス」が意図的に組み込まれます。

物語における「サスペンス」とは、この意図的に作られたストレスです。

結果がわからないような、緊張感がある落ち着かない状態を、人は遊びとして楽しみます。
好奇心と不安定をバランスさせながら、楽しみに変換していきます。

わざわざ面倒な遠回りを、ビートとウネリの変化としてリズムの中に組み込み、目的達成を遅らせます。

それが、結果的に作品の厚みをもたせ、センスとして表出していきます。


…といったお話が『センスの哲学』の中で語られます。

書籍の中では、生成AIとセンスとの関わりについても記述があります。

生成AIの登場によって、クリエイティブへのハードルが一気に下がりました。
AIによって生み出されたコンテンツが溢れていく時代において、どのように個性が見出されるのかという話もされています。

リズムという概念を用いることで、個性を捉えて掴むことができるようになります。

リズムにおける一定の反復と、それに対する差異が、ある程度のばらつきで配置されると「センスがいい」と解釈されます。

そして、それらの繰り返しが、個性を生みます。
繰り返すことの必然性が、キャラクターを生みます。

草間彌生さんは、水玉を繰り返す必然性があったのでしょう。

「いつもこれをやっている」という繰り返しの中から、人は何かしらの必然性を見出し、そこから個性を見出します。

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