古い写真を訪ね歩く12 〜井出利松さんを訪問〜
今年度、集落の話の聴き手事業の他の活動にもご協力をいただいている、馬越の井出利松さん。訪問した際、利松さんの家に大切に額装し保管されている3枚の写真を拝見した。
父、井出米蔵さんの兄が当時郵政省に勤めており、昭和27年に帰省した際にカメラを向けた写真だそうだ。当時、利松さんが8歳の頃。
馬越の自宅での思い出
1枚目は、利松さんの自宅。母屋は半分茅葺屋根、右側には石屋根の様子が写っている。また、1階はガラス戸だが、2階は障子になっている。
「昔は茅葺を『くず屋根』って呼んでたよ。この下で牛を飼っていて、ヤギは右の方にいたかな。」と写真の説明をする利松さん。
「乳牛がいて、学校から帰ると乳搾りの手伝いをする。元をキュッとしめてこうやらないと、逆流して乳房炎になってしまうんだよ。」と、慣れた様子で具体的な手振りをやってみせてくれた。
2階の障子は柱いっぱいに開口がある。蚕の時期になると、庭の手前に置かれている長い棒を2階から直接入れて棚を作り、そこに籠を置いて飼っていた。今でもその時の籠を大切に保管しているそうだ。
この写真の家での思い出は何かありますか。と尋ねると、「この頃雨が降ると泥の道になり、下駄の歯の間に泥が詰まるので、ゴムの靴を履いていた。坂道を歩くとそのゴムが伸びてしまって怖かったことを覚えている。」それを聴き、最初にイメージしたのは長靴だったが、さらに詳しく聴くと、今の長靴とはずいぶん違い、自転車のタイヤのチューブのような柔らかくて薄いゴムで作られた靴だったという。
もう一つの思い出は、馬越の共同井戸に水を汲みに行った事。利松さんの自宅から少し下った所に井戸があり、重い水を天秤桶に汲んで坂を登るのはとても大変だったそうだ。「お風呂を沸かす日なんかは、本当に大変だったね。大人になってこっちに帰ってきてからは、井戸が使われなくなってしまった。」と残念そうに語る。
利松さんは学校を出ると、地元を離れ林野庁に入り転勤しながら働いていたそうだ。退職して久しぶりに故郷に戻ると、以前行われていた行事や生活の様式が変わってしまったことを実感した。そこで、同志の人たちと一緒に地域の繋がりの場や繁栄に尽力されている。
田んぼと湧水、水神さま
他の2枚は、大石川にある井出家の田植えの際に撮られた集合写真だ。大人は、父米蔵さんの兄弟。子どもは利松さんの兄弟や従兄弟にあたるそうだ。子どもの中で一番背の高い男の子が利松さん。
1枚は、井戸のような四角いコンクリートの上に板を敷き食事をしている場面。もう1枚は、石垣の上に小さな祠が祀ってある写真だ。
田んぼの近くに、湧水があり大石川の人たちの生活用水として使われていた。四角いコンクリートは、その湧水を囲った貯水タンクのようなもの。近くにはいくつも湧水が溢れ出ており、一旦そこに溜めて流していた。その溢れた水を田んぼに使っていたそうだ。
当時は車がまだなく、利松さんの母が作った弁当を馬越から背負い籠に入れて歩いて運んできた。リラックスした様子で食事をとる人々は、利松さんの親族。「昔は、『ええっこ』で、身内みんな順番に田んぼ仕事をしたんだよ。」と『ええっこ=交替で・お互いに』の意味と共に教えてくれた。
後ろには、小屋が写っている。田んぼ仕事の農具を置いたり、中で昼寝をしたりする結構な広さのある小屋だったとの事。昔の人は、必要なものは自分で作る。この小屋も利松さんの父達が作った。
祠も米蔵さんが作ったのですか。と尋ねると、「祠は、親父が大工さんに頼んで作ってもらった。いわゆる昔あった信仰だよな。下の石垣は、親父が石を加工して積み上げたものだ。」と利松さん。残念ながら、この祠は昭和34年の伊勢湾台風によって流されてしまったそうだ。
父、米蔵さんは大正7年生まれ。写真の昭和27年頃は34歳。
森林組合で林業の仕事をしていたが結婚をきっかけに、家の農家を継いだ。とても器用な人だったので、夏場は農業、冬になると山仕事や石工もしていたそうだ。
「石工では、1日に大体30個位の石を削って出していた。冬の仕事だよ。山仕事や炭焼きもしていて、私も手伝ったことがある。それと、馬越の中山家の*1番頭もしていたな。」なんでも自分で作り出し、様々な仕事をこなした器用な米蔵さん。自然と共に暮らす中で、様々な恵みを大切に想う方だったのだろう。当時の人々は、今では当たり前と思えるようなことも感謝し有り難くいただく。そういった想いに心を寄せて、手を合わせる事が大切にされていたのかもしれない。
湧き出る清水は、山の恵み。水神様の祠の写真が何よりの証に思えた。
利松さんは、この集落の話の聴き手事業で1月に開催した『御物作り体験会』にも、井出栄さんと共にご協力いただいた。ナタやノコギリを父親譲りの器用さで使いあっという間に御物を作り上げた。
また、ここに書ききれないほどの、昔の人々の繋がりや地域の暮らしを教えてくれた。写真の話を中心に、利松さんの地域愛をひしひしと感じる時間となった。
*1 山や土地を整備したり管理していた。
文:鈴木
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