さくほ集落の話の聴き手

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マガジン

  • 集落の話の聴き手だより 集落と人の暮らし(24年度)

    24年度の集落の話しの聴き手だより裏面掲載の集落と人の暮らし記事と、記事には掲載しきれなかったこぼれ話をご紹介します。

  • 集落の話の聴き手だより 佐久穂の集落(24年度)

    24年度の集落の話の聴き手だより表面掲載の佐久穂の集落を紹介する記事や、それに関連するお話をご紹介します。

  • 2024年度_佐久穂の集落聴き巡り

    2024年度の佐久穂の集落聴き巡りの記事をご紹介します。

  • 昔の写真、発見!(24年度)

    集落の皆様がお持ちの昔の写真を取り上げた記事をご紹介します。

  • 南佐久の山と里で、馬と共に生きた時代を振り返る(23年度)

    自動車の普及や機械化の進んだ昭和30年代より以前、生活に必要な農業、運搬、移動などの動力として、馬や牛が暮らしを支えていました。中でも山の奥から材木を運び出す、馬搬 [この辺りの通称:土曳(どびき、土引きとも書く) ]という職業もあり、この地域では馬との暮らしが大切にされていました。馬と共に生きていた当時のお話をお聞きして、振り返っていきます。

最近の記事

下海瀬こぼれ話(集落の話の聴き手だより11月号)

写真で語る青年団の思い出  阿部一太郎さんは青年団で過ごした青春時代の話をしてくれました。  「この写真は、下海瀬青年団が上諏訪にある片倉館の温泉施設に行った時に写したものです。昭和28年の6月に撮った写真です。お田植えあとの慰労会だと思うけんどね。千曲自動車(現在の千曲バス株式会社)のバスを借り切って、和田峠を越えて行きました。昭和27年3月に海瀬村立中学校を卒業して、先輩に勧められて入団しました。その当時の青年団は奉仕活動が活発でした。山の下草刈り、秋の稲刈りの手伝い

    • 海瀬新田こぼれ話(集落の話の聴き手だより10月号)

       海瀬新田では、今年の1月から毎月第3日曜日に健康マージャンを始めた。分館長の嶋﨑昭彦さんの呼びかけが始まりでした。  「コロナ禍でみんなが集まれる場がなくなりました。ようやく集まれる機会ができたのに、集まろうよという雰囲気が生まれてこなかった。役員さんと何かできないかと話し合いを持ちました。囲碁や将棋だと2人1組で、なかなかワイワイと楽しむのは難しいねということになり、それなら4人1組でできるマージャンがいいということになったのです。」  マージャンはイメージが悪かった

      • 下海瀬と人の暮らし(集落の話の聴き手だより11月号)

         下海瀬は海瀬新田と天神町(旧八千穂村)に挟まれた集落。  上原克善さんは、下海瀬で生まれた。  「団塊の世代だから、同級生は16人いたの。5人亡くなって、集落に残っているのは2人だけになっちゃった。」  「小学校高学年の時、忘れもしないのは『浅間山の噴火』。小学校5年か6年の8月の午後、天気は晴れだった。遊び場だった諏訪神社でチャンバラごっこをしていた時、『おい、浅間が爆発したぞ。』って誰かが言ったので見ると、噴煙が真っ直ぐ、ものすごい高さまで上がってた。みんなで口をぽ

        • 当時の宮前橋と天神橋周辺 それぞれの景色 天神町(集落の話の聴き手だより11月号)

          今月は…天神町! 語り手  輿水 洋一さん 青木 哲子さん 輿水 正博さん 出浦 正任さん ・ 水を楽しみ、水に苦労した暮らし ・当時の楽しみは、夏は水遊び、冬はスケート ・天神森には、江戸の名残『御制札』が保存  八千穂駅と千曲川に挟まれた集落、天神町。旧八千穂小中学校や、黒澤酒造など、町民にもお馴染みの場所があり、のどかな田園や歴史ある民家も残っています。北側を「境田」地区、南側を「樋口」地区と呼んでいます。今回は樋口地区にお住まいの皆さんに、地域のことをお伺いしま

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        • 集落の話の聴き手だより 集落と人の暮らし(24年度)
          10本
        • 集落の話の聴き手だより 佐久穂の集落(24年度)
          7本
        • 2024年度_佐久穂の集落聴き巡り
          1本
        • 昔の写真、発見!(24年度)
          0本
        • 南佐久の山と里で、馬と共に生きた時代を振り返る(23年度)
          9本
        • 集落の話の聴き手だより(23年度)
          18本

        記事

          海瀬新田と人の暮らし(集落の話の聴き手だより10月号)

           佐久穂小・中学校の南側にある集落が海瀬新田である。歴史は古く、17世紀までさかのぼる。久留間百合子さんにその集落を歩いて案内してもらう。県道をしばらく歩くと、歴史を感じさせる建造物を見つける。  「これは御制札と呼ばれ、江戸時代から明治初期まで使われてました。法令や通知を掲示したようです。脇にある石祠も江戸時代に建立されたものらしいです。」  千曲川沿いの道には畑が続く。「このあたりにホタルが戻ってきたので、夏の楽しみが増えました。」と、百合子さんは言う。  島﨑徹夫さ

          海瀬新田と人の暮らし(集落の話の聴き手だより10月号)

          沢山あった子どもの“仕事”と遊び  大門(集落の話の聴き手だより10月号)

          今月は…大門! 語り手 小宮山 憙一さん 小宮山 勝輔さん 井出 正さん   畑 さなえさん  ・甲州街道が集落の中心の道路、旅人のために3つの宿がありました ・今も昔も、大門といえば権現山!住人と深い関わりのある山です  佐久穂町役場から国道141号を小海方面へ向かい、中畑の信号を過ぎてすぐの交差点を斜め右へ。その先にある八千穂保育園や社協こまどり支所のほど近くに位置するのが、大門です。畑八村時代には役場もあり、村の中心でもありました。  集落の裏手には、権現山がそ

          沢山あった子どもの“仕事”と遊び  大門(集落の話の聴き手だより10月号)

          皿焼きを作ろうの会(集落の話の聴き手だより その後の活動)

          皿焼きを作ろうの会  9月3日。川久保公民館で、皿焼きを作る会を行いました。  「集落の話の聴き手だより」8月号で川久保の皆さんにお話をお聴きした際に、宮川勝子さんの皿焼きがおいしいと話題になったことがきっかけとなり、この集まりが開催されました。聴き取りに参加いただいた勝子さんと佐藤えみこさんは今でもよくご自宅でお茶を飲むお友だちで、その時に勝子さんがお茶請けに「皿焼き」を焼いて食べているんだとか。  ぜひ、聴き手もレシピを知りたい!食べてみたい!という思いから、地域のみ

          皿焼きを作ろうの会(集落の話の聴き手だより その後の活動)

          畑ヶ中こぼれ話(集落の話の聴き手だより9月号)

          海瀬郵便局と共に 新海﨑子さん(94歳)  新海﨑子さんは、旧望月町布施で生まれた。結婚相手が20歳で海瀬郵便局の局長になった人である。「当時、局員は10人くらいいました。自分の父親か祖父くらいの年齢の人ばかりでしたので、夫の気苦労は絶えなかったと思います。毎晩、深夜の1時か2時に家に戻ってきました。仕事を早く覚えなくてはいけないと思ったのでしょう。一生懸命努力をしていました。義父が過去に海瀬村村長の職に就いた事もあり、公職追放(戦後GHQの指令により、重要な公務から特定の

          畑ヶ中こぼれ話(集落の話の聴き手だより9月号)

          古谷の手作り立体地形図 古谷(集落の話の聴き手だより9月号)

          今月は…古谷! 語り手 市川  健さん   市川 典子さん   小須田 はる枝さん 荻原 純子さん   由井 照子さん   ・古谷渓谷の紅葉が自慢! ・十石峠は米が1日十石(25俵/1,500kg)運ばれたことが由来 ・「乙女の滝」はかつて夫婦滝(めおとだき)と呼ばれていた 古谷の手作り立体地形図  古谷は、大日向の1番群馬に近い集落。古谷ダム、十石峠、鉱山、林業炭焼きと歴史ある地域です。  古谷の公民館の廊下には集落の様子を表した立体地形図が大きなガラスケースの中に

          古谷の手作り立体地形図 古谷(集落の話の聴き手だより9月号)

          畑ヶ中と人の暮らし(集落の話の聴き手だより9月号)

           畑ヶ中は十石峠に通じる武州街道の通過集落である。宿場町としては旧佐久甲州街道沿いにある高野町があったので、畑ヶ中は旅人にとっては単なる通過点に過ぎなかった。付け加えると、武州街道は江戸に通じる道で、多くの旅人が利用していたという。  国道299号沿いにある陽だまりの家を通り過ぎ、抜井川を渡ってすぐ斜め右に入る。そこから畑ヶ中が始まる。畑ヶ中は3つの常会に分かれる(一の淵、下村、上村)。比較的に平坦な土地があり、近年、次々と新しい家が建てられてきた。  新海公友さんは、海瀬

          畑ヶ中と人の暮らし(集落の話の聴き手だより9月号)

          翠町と人の暮らし(集落の話の聴き手だより8月号)

           翠町は、旧佐久甲州街道にあり、柳町の隣にある集落である。信号を通り過ぎると、右側に不思議なものが目に入る。鉄柱の上に、小さな屋根を形作った置物がある。昔、旅籠だったので、その目印かもしれない。  倉沢治貴さんが子どもの頃、旧佐久町公民館(現在の区民センター、さらに歴史をさかのぼれば、旧栄村役場があったところ)を中心に高野町旧道(旧佐久甲州街道、この辺りの人は旧佐久甲州街道は旧道と呼び、羽黒下駅前、東町商店街の道を新道と呼んでいる)沿いにはいろいろなお店が軒を並べていたとい

          翠町と人の暮らし(集落の話の聴き手だより8月号)

          のどかな田園風景が広がる集落 川久保(集落の話の聴き手だより8月号)

          のどかな田園風景が広がる集落 川久保 話し手 宮川 邦夫さん  宮川 勝子さん  佐藤 精栄さん  佐藤 えみこさん 竹内 達朗さん  新海 広さん    佐久穂町の東側、町役場や茂来館にも近い、川久保地区。のどかな田園風景が広がる集落です。近くを余地川と抜井川が通り、穏やかな風が吹く川久保集落センターで、お話を伺いました。 子どもだけで開催する一大行事、“獅子舞”、“どんど焼き”  川久保集落センターは分教場跡ということで、まずは子どもの頃の思い出からお聴きしました

          のどかな田園風景が広がる集落 川久保(集落の話の聴き手だより8月号)

          八郡こぼれ話(集落の話の聴き手だより7月号)

           「集落の話の聴き手だより7月号」は読んでいただけましたでしょうか。7月号では、八郡地区のサロンでお聴きしたお話を取り上げさせていただきました。「集落の話の聴き手だより」は、今年度は町内へ集落の魅力をお伝えすることを目的にお届けをしています。しかし、八郡では多くの方からお話が聴けたので紙面の都合により入りきらなかったお話がありました。「これはもったいない!」ということで、特別に八郡限定でお届けします。 山浦商店でお買い物  みなさんのお宅ではお年取りは何を食べますか?やは

          八郡こぼれ話(集落の話の聴き手だより7月号)

          翠町こぼれ話(集落の話の聴き手だより8月号)

          北沢の大石棒(だいせきぼう)  翠町に住む倉澤治貴さんは大石棒の所有者である。今は、茂来館のガラスケースの中に横たわって、展示されているが、令和4年の秋までは、治貴さんの田んぼの畔に立っていた。治貴さんの祖父茂七さんが北沢川の川底から引き上げて、田んぼの畔に置いた。縄文中期後半に作られたもので、全長2.23メートル、重さ330キロで日本一であることが後に分かった。  「じいちゃんは、大石棒を見つけた時、神々しさを感じたのだろうか、子ども(伊重さん)に、『あれは、ののさん(

          翠町こぼれ話(集落の話の聴き手だより8月号)

          土蔵のあるまち並みに人々の暮らしが息づく 八郡(集落の話の聴き手だより7月号)

          こんにちは! 「集落の話の聴き手」です  町に出ると、「だより」読んでるよ、とお声掛けされることも多く、その度にうれしい集落の話の聴き手一同です。3年目になるこの事業では、これまで同様、月に1度の「集落の話の聴き手だより」を発行します。地域での思い出や暮らしぶりについて、公民館でお聴きして回る予定です。  昨年度も発行していた、「集落の話の聴き手だより」。今まで知らなかった集落のことを知れてうれしい!など多くの反響、ありがとうございます。今年度はさらに紙面を大きくし、よ

          土蔵のあるまち並みに人々の暮らしが息づく 八郡(集落の話の聴き手だより7月号)

          柳町と人の暮らし(集落の話の聴き手だより7月号)

          柳町と人の暮らし  国道141号を旧八千穂村から走り、下畑区の境まで来ると、左斜めに入る細い道がある。旧佐久甲州街道である。高野町と書かれた表示板を過ぎた所から柳町集落が始まる。  伴野勝治さんは、20歳の頃から薬草を扱う仕事をしていた。父親は戦死、すぐ下の弟が薬草を扱う仕事を始め、その手伝いをした。「ゲンノショウコ、オオバコ、キハダ等の薬草は南北佐久地域の小・中学校を回って集めた。夏休みに小学生・中学生が集めたゲンノショウコやオオバコを買い取った。そのお金で、図書や運動

          柳町と人の暮らし(集落の話の聴き手だより7月号)