古い写真を訪ね歩く8 〜佐々木龍夫さん・マサコさんご夫婦を訪問〜
国道141号沿い、清水町の酒店や精肉店のある通りにある立派な門構えのお宅にお住まいの、佐々木龍夫さん・マサコさんを訪問した。
「この写真は、うちのおばあさんの写真です。」今回拝見した古い写真の主役は、龍夫さんの祖母、佐々木うしのさん。
うしのさんは明治22年生まれ、後列の中央に立っている女性だ。写真は明治35年、当時13歳のものである。
千曲川の西岸であるこの地域は、明治時代は『畑八村』だった。現在の八千穂保育園がある高台周辺は村の中心部で、役場や学校もその辺りにあった。
写真の場所は、背景の建物の様子からおそらく学校校舎前ではないかと龍夫さん。
木の枠に障子紙が貼られた窓は、時代を感じさせる。また、注目したのは服装。着物の中に、襟やそでにフリルのついたシャツを着ている。足元は足袋に下駄の人もいれば靴を履いている人もいる。
「写真に写っている人は、この辺の村の同級生だろう、特別な育ちとかではなくて、なにかの記念に当時の正装で撮ったのかもしれない。」と龍夫さん。髪も乱れず美しいままで写る姿から、テニスをしている途中に撮ったものとは思えず、記念写真という推測にも納得がいく。
うしのさんはどんな方だったのですか。と尋ねた。
「おばあさんは、道挟んで向こうにある四ツ目屋の人で、おじいさんとは従兄弟だった。ひいおじいさんの代が兄弟でね。おばあさんは16歳、おじいさんは18歳の時に結婚した。当時の結婚はそういう形が多かった。」そういう形とは、親同士が決めた相手との結婚という意味になるが、16歳というと写真を撮った3年後になる。若くして、決まった先へ嫁いだ明治の少女達。もう一度写真を見つめると、初々しくも凛とした姿にみえてきた。
佐々木家は、龍夫さんの4代前の龍蔵さんが、江戸時代から実業家で地主だったため、祖父の虎治さんの代では味噌や醤油を生業にしたり、電気に関する新しい事業を行っていた。また、畑八村の村長、昭和の頃には県議会議員も務めた。
そのため、ほぼ毎日と言っていい程、自宅に来客があった。佐々木家では、代々おもてなしの一つとして蕎麦を振る舞ったそうで、虎治さんの妻として、うしのさんも蕎麦打ちを先代から習い受け継いだ。
うしのさんの打つ蕎麦は、とても評判だったという。
昭和27年龍夫さんが8歳の頃、自宅で国の要人や周辺の町村長が集まる会合があった。その日は親戚総出で、鯉こくや蕎麦などのご馳走を作り、いつもと違う雰囲気だったので龍夫さんは当時の様子をよく覚えているという。もちろん、うしのさんは自慢の蕎麦を打ったそうだ。
佐々木家の接待に尽力した、うしのさん。龍夫さんの妻、マサコさんが24歳で佐々木家に嫁いで来た時、うしのさんは蕎麦打ちを引き継ぐため、とても厳しく指導したという。
マサコさんに、うしのさんとの一番の思い出を聞いた。
「ある日、来客がありお茶をお出しして少し時間が経った。時計をみるともうすぐお昼の時間が近づいていたの。」マサコさんは、時刻にハッとして蕎麦の準備に取り掛かり、頃合いをみてお蕎麦を振る舞ったという。
「客人が帰った後、おばあさんに呼ばれた。『お前がどう接客するか、私は黙ってみていたが、昼が近づいた頃、トントンと蕎麦を切る音が聞こえて来たので、よくわかっていたなと思った。』と、初めて褒めてもらって目頭が熱くなった。その時のことは今でも忘れない。」とマサコさん。
うしのさんから受け継いだ蕎麦切り包丁を拝見した。
「この包丁じゃないと、うまく切れないの。」とマサコさんは、蕎麦を切る時の様子を手を動かしながら教えてくれた。
100年以上使いこなされた貴重な包丁をみて、佐々木家の女性達は代々来客があると蕎麦を手早く打ったりと、気の抜けない日々だったのではないかと想像する。
マサコさんは、看護師をされていたこともあり、うしのさんの晩年の介護も担当し、94歳の最期の時まで尽くされたそうだ。
話を伺った後、たくさんの人々が訪れた実際のお座敷を拝見した。武家造という造りで、周りの三方が廊下で囲まれている。天井が高く立派な床の間、柱は総柾目、飾られた大きな掛け軸と書が目を引く。
玄関の壁には、漆喰工事の中でも究極の技術を必要とする『漆喰磨き』が施されているという。「24時間以上、乾かないように磨き続けた壁で珍しいそうだよ。」と龍夫さん。まるで、鏡のように光を反射していた。
この建物は、元は穴原の内藤家(武田信玄ゆかりの武士)が、この地にたどり着いた後に住んでいたもの。明治に空き家となり移築した貴重なお座敷だそうだ。外を眺めれば、山葵が育つ澄んだ清水が湧き出る池を中心とした日本庭園。当時の面影を残したお座敷と庭がそこにあった。
「ここに2列お膳が並び、上座には宮様(東久邇宮 稔彦様)がお座りになって食事をされた。」と龍夫さんの説明を聞けば、さらにその時の情景が目に浮かぶようだった。
うしのさんの古い写真から、若いうちから妻という立場に立ち、夫や家を支えてきた女性達のエピソードを伺うことができた。
文:鈴木
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