古い写真を訪ね歩く 11 〜小宮山直樹写真館①小宮山健さんを訪問〜
国道141号『下畑』の信号より、山手に一本入った場所に並走する細い小道がある。国道が整備されるまでメインストリートだった佐久甲州街道がその道にあたる。小道沿いには旧家が建ち並んでいる。その下畑にお住まいの小宮山健さんを訪問した。
健さんの祖父、小宮山直樹さんが撮影した写真は、今では貴重なガラス乾板と一緒になんと900枚以上あり、状態の良いものだけを残しても200枚以上も残っていたそうだ。
健さんの元には写真データという形で残されている。中には、新聞社に貸し出した貴重な写真も含まれていた。今回は、200枚以上ある写真の中から、現在の佐久穂町のエリアで撮影されたものを中心に、少しでも内容のわかる写真に限り掲載することとなった。
撮影者の小宮山直樹さんは、昭和15年(1940)に55歳で亡くなられたそうだ。辿っていくと明治18年(1885)生まれということになる。写真は、おそらく大正から昭和初期にかけて撮影されたものと思われる。
「おじいさんは、亡くなるまでずっと写真を撮っていたって言ってたね。」健さんは、祖母から聞いた直樹さんの話を始めた。
長男で跡取りとして生まれた直樹さん。学校を出たら、本当は新聞記者などの文学的な仕事をしたかったそうだ。若い頃は、先見の明があったのか都会から本を取り寄せては読み、色々なことを試みていた。例えば、トマトの栽培がまだ珍しい頃に、種を取り寄せて作ってみたり、ヨーロッパでは男性も手芸をするのだといって、レース編みをしたりしていたとのこと。
職業としては、家を継いで農家をしていたが、度々朝日新聞などへ記事を寄稿して掲載されたので新聞社からのお誘いもあり、いっときは地方の新聞社『東信新報社』の主幹を頼まれてしていた。
直樹さんの写す写真は、よく見る集合写真や記録写真とは違っていた。着物を着て洋傘をさして立っている後ろ姿の女性。田んぼの作業をしている風景。メダカすくいをする子ども達など、まるで絵葉書になりそうな意図的な構図の写真も多くみられた。「写真についても研究熱心で専門誌をとり寄せて勉強していたんだろうね。それで情景なんかを撮ったりしたのかもしれないね。」と、健さんは祖父の心情を読み取るようにそう話した。
この写真の中に直樹さんが写っているものはありますか。と尋ねると、最後の方のデータを探して「この人がおじいさんだね。」と縁側で立派な洋服をきてシルクハットとステッキを横に置き、ポーズをとる男性の写真が出てきた。よく見ると、奥の書棚は別の写真と位置がズレている。おそらく写真写りが良いように、角度を変えたのだろう。写真に写るものの見え方や配置、ディスプレイまで、細かなこだわりを感じられる一枚だった。
次回以降【古い写真を訪ね歩く〜小宮山直樹写真館〜】シリーズをテーマ別で掲載します。お楽しみに。
文:鈴木
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