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第2夜―”注文”に従い続けるときってどんなとき?(宮沢賢治「注文の多い料理店」 文鳥文庫全部読む)

文鳥文庫全部読むシリーズ2作目は宮沢賢治「注文の多い料理店」です。

名前は知ってるけど読んだことはない、という人が多数派のような気がします。僕は大学2年生のとき、文学の授業で宮沢賢治を扱ったことがあり、そのときに1度読んだ記憶があります。

前回の走れメロスとは異なり、今回の感想としては「前回読んだ通り」といった感じでした。

しかし、2回も読めば新しい視点で読めるというもの。今回は「人が危機に飛び込んでしまうのはどんなときか」を考えていきます。

あらすじ

2人の青年紳士が狩猟に失敗し、途方に暮れていたいた。
帰り道、青年たちは西洋風の一軒家を発見する。そこには「西洋料理店 山猫軒」と記されており、2人は安堵して店内へと入っていく。
中に入ると「髪をとかして、履き物の泥を落とすこと」など多くの注文を要求されるが2人はことごとく好意的に解釈して注意書きに従い、次々と扉を開けていく。
ところが途中、とある"注文"に二人は顔を見合わせ、これまでの注意書きの意図を察する。(wikipedia「注文の多い料理店」を参考に筆者が作成)

ここで押さえておきたいのは、2人の青年が途中まで自分を危険に導く”注文”に従い続けた点です。しかもその注文は「髪をとかす」にとどまらず、「金属製のものを全て外すこと」など通常の料理店では考えられないものにも関わらず、です。

なぜ2人はこんな指示に自ら従い続けたのでしょうか。

理由① 他の選択肢がなかったから

まず、最大の理由と考えたのがこれです。

2人の青年紳士は狩猟の失敗でへこんでいました。しかも腹ペコです。

これが例えば、イオンモールでの出来事であれば、たとえ山猫軒に入っても「髪をとかす」の注文の時点で「俺たちは腹ペコなんだ、フードコートのマックに行こう」で物語は終了するはず。

つまり選択肢の少なさは人を危機に追い込むということです。

しかも今回2人が腹ペコだったのも問題でした。経験則ですが、人間の三大欲求が十分に満たされないとき、人はろくな判断ができません。

そんなとき、自分の三大欲求を満たす料理店があれば多少の理不尽でも受け入れてしまうでしょう。腹が減っては戦はできぬ、金言です。

理由② 服従による幸福感

もう少し深堀りしてみるとこんな理由も考えられるのではないでしょうか。説明します。

これは完全な偏見ですが、多くの人間は可能な限り考え事をしたくないと思っているのではないでしょうか。少なくとも僕はそうです。

昔は将棋やチェス、謎解きゲームのレイトン教授シリーズが大好きで「僕は頭を使うことが好きなんだ」とかなり痛々しいことを考えていましたが、今は正直考えることが辛かったりします。

もちろん、理系の大学なんて通っていると考え事しないといけないので先生に怒られる日もしばしば。

そんなとき、正解を与えてくれる人や物があると人は飛びつくように思考を放棄してしまうと思っています。

「ほーら、こうすれば実験がうまくいくよ」「君の悩みはこの本の120ページに書いているよ」これを聞いたが最後、僕は思考を放棄します。

さらにタチが悪いのが、正解を与えられる行為そのものに幸福感があるということ。人に言われたことを黙々とこなす、疲れた脳みそにはかなりの快感です。それが正解ならなおさら。

2人の青年も狩りに失敗してショック、腹ペコ、疲れたのトリプルパンチによって与えられた”注文”をこなす行為そのものが楽しくなっていたのではないでしょうか。

結論

以上の点から、人は腹ペコで選択肢がないとき、危険に飛び込みがちになる。また、人の指示に従い続けることに幸福を感じ始めたら自分の疲労を疑え、という結論に至りました。

なんか人生に使える教訓のような気がします。

自宅にいる時間も多くなり、謎の疲れを感じやすいこの時代。山猫軒の”注文”にはくれぐれもお気を付けください。


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