中学校除籍 その11 学校に行けない辛さ
学校に行かせてもらえない私は
ずっと六畳一間のアパートの押し入れの中で生活をしていました。
といっても一日中、押し入れにいたわけではなく、夜になると母は仕事へ、おじさんは飲みに出かけていなくなるので、そうすると押し入れから出てきて、ただテレビを見ていました。
そんな生活のなか、
夏を迎えるころになると
「世の中から自分が置いてきぼりにされている」ような感覚が芽生え、
それは日に日に強くなっていきました。
とうぜん夏は暑いので、窓を開けっぱなしにします。そうすると朝方には登校する子供たちの賑やかな声。夕方には近所の公園で遊ぶ声が聞こえてくる。
今ごろ名古屋の友達は何をしているだろう?
勉強をしているか、遊びまわっているか、そして恋をしているだろうか?
もう自分のことなどは忘れているのだろう。
学校に行かせてもらえない子というのは、世の中にどれくらいいるのだろう。
イジメにあったり、勉強についてこれなくて自分から学校に行かなくなる子供はいる。
病気で入院して学校に来られない子もいますが、やはりみんな自発的な理由があって学校に行けないのです。
でも、行かせてもらえない子はほとんどいないのではないか?
昭和の昔は、家が農家で繫忙期には手伝いで学校に行けない人もいたという。しかしもう時代が違う。
だいぶ後になって、私は柳楽優弥の「誰も知らない」という映画を観ました。
ビックリでした
この映画は1988年に実際に起きたで事件を描いていて、当時は社会問題になったようです。
この映画に出てくる長女(いないことになっているので外に出してもらえない)と、私はまったく同じだったのです。
YOUさん演じる母親の性格も、私の母そっくりです。
不条理な環境を我慢し続ける長男が耐えかねて、母親に訴えるように言います。
「ねえ、学校に行っていない人って他にいるのかな?」
母は言います。
「いるんじゃない? アントニオ猪木とかさ」
いかにも適当な返事をしてごまかす母親。
「猪木って学校に行ってないの?」
長男の必死の食い下がりにも、
「知らないけど。行ってないんじゃない」
まったくどうでもよさそうに、ソッポを向いて答えます。
そっくりだ、うちの母に
しかし、映画になるということはよっぽど稀な滅多にないケースだと言うことです。
今でも思いますが、私と同じような思春期を送った人は現代の日本では少ないのではないでしょうか?
映画の子供たちには
児童相談所の人たちが声をかけますが、
私は外に出られないので完全に外界とシャットアウトされています。
誰とも出会えないし誰も気づいてくれない。
映画の子供たちが
その後にどうなったのかはわかりません。
私は世の中と隔絶した状態で
こみ上げてくるような苦しみと
毎日戦っていました。