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やさしくなれたら
その日はもう全然体も気持ちも動かなかった。せっかくの貴重なオフなのに、(お芝居の本番はもう間近だ)昼をすぎてもぬぼーとよたよたしていた。
全部天気や薬の副作用のせいだぁてのろのろと準備して、まあもちろん他にも疲れとか気がかりなこととか色々あるのはわかっているけど、知らないふりをして家を出た。
ストレスが溜まった時に気持ちを切り替えるためにヘアカットはよい。
うん、ちょっとさっぱりした。髪を切るのは涙を流しまくってすっきりする感覚に少し似ているかもしれない、わからないけど。気持ち新たによし!て気合い入れられるし、手軽に私の心を軽やかにする方法の一つ。
色々用事を済ませて夕方になり、起きてから何も飲み食いしてないな?ということに気づく。食べなきゃ元気出ないそりゃ。食べるのが億劫な時もあるけど、体は正常にほしいものを訴える。その声を聞いてあげるのだって、心に耳を傾けるのと同じくらい大切なわけで。
近所だから帰って食べることもできる。でも、やっぱり今日は、
スタバに向けて足がグイッと動いていく。
もらったギフト券やら温かなお金で豪遊することに決めた!
時折一人の時間が必要だ。誰かに一緒にいてもらえる時間だってこの上なく大事で救われるけど、一度一人で落ち着いて、ぼんやりしたい時もある。
生きることって一人きりではできないけど、でも、誰かに甘えてばかりでも成り立たない、バランスてものすごく難しいなぁて思う。
もちろん決して人を傷つけたいわけじゃないし傷つけたくもない、でも関わる中で間違えてしまうことは、人生の中で無限にあるように思う。
うーん、それを間違えと捉えるのもそもそも安易か…?
パンプキンスコーンを頬張りながらだと、ぐるぐる考えてる私、なんだか滑稽な気がしてふっと心が和らぐ。
おいしいものは無敵なんだな、言葉や音だって私を助けてくれるけど、常に同じ方法で救われ続けるとは限らなくて。うまく耳にことばが届いてくれない、受け取りたいのに心に入りきらない日もあるから。それを決して責めなくて大丈夫だよ。やっと人からいってもらえたそれがすうっと胸に沁みるくらいには、前に進めてきたかな。それともスタバマジックかしらん?
うまくいかんのだったら、食べてみればいい。空を見上げて散歩だって、体に無理のない範囲でやれること全部試して、休んで。
そうすればまた聴きたいものが、やりたいものがみえてくるだろうから。
そう、今回はスタバに元気もらったのだ。遠くにいかなくても、何かとびきり奮起してがんばらなくても、手に入るやさしい幸せがどうしてもほしい、雨が降る日もあるのだ(外はざんざか降りで、窓辺の席でそれを眺めながら、ホットコーヒーをとろとろ飲んでいる、うまい)
そして、それだってこの店そのものの力ももちろんあり感謝してるけど、それだけじゃなくって、みえないものが私を支えてくれて今がある。
お金がなきゃ豪遊できないし(金欠でけちってばかりいるから、スタバのギフトを人からもらえると超絶にまにま喜んでしまうしありがたすぎて五体投地したい)
スタバという場所を特別好きな私の推しアーティストがいて、その影響でこの場所がさらに好きになっていったし
私が病気でやれることが減っていっても周りの色んな人の心配したり好きでいてくれる気持ちのおかげで、無理することが減って、寝込むばかりでなく回復少しずつして歩いたりできてるわけやし
正直に申すと、私は助けられてばかりだと思う。どうやったら恩を返せるんや…て思うことたくさんある。
でも同時に甘えん坊の私は、ここにいる意味ある?て思うこともある。私の居場所はどこなんて悩み出したら中二病みたいでものすごくこじらせた感満載で恥ずかしいのに、だけどふと思ってしまうことがある。
頭では、求めてくれる、大事に思ってもらえてる瞬間や場所があることは、わかっているつもりで、でも私の頭の中の意地悪な、過去からやってきた声が鳴り響いちゃう夜は、回数は減ったけどまだある。
ああ大人になりたいなぁて思って、まだまだ子どもっぽい私はカフェでこうして精一杯の背伸びをする。
心配しなくていい、なんていったって君は心配するだろう。わかっている。
でもね、だからね、抱きしめることは今すぐには難しくても、抱きしめられたこととか、自分の好きをぎゅうて大切に愛せることは覚えていよう。
誰かに愛している、て言いたいその気持ちが、いつか自分にも向けられるように。
大好きと言ってくれた大好きな人の言葉を、宝物として握りしめていれば、いつか今よりきっともっと怖くなくなる日がくるのでしょう。そう信じてみよう。
私の1ミリの誰かへのやさしさが私を救うこともあるかもしれない。何かを愛していたら、私はそういう私を少しだけ赦せるから、やさしいばかりではない私自身のことを責めるのではなく、適切に労わり生きていくことで、やさしさをもたらしたい。
世界に、といったらおおげさだけど、私には私しかいない、一番最後は。だから私は私の世界をやさしくできるよう、自身を、もっと照らせるようになりたいなぁといくばくかの子どもじみた願いを胸に、まずはもう少し歩いてみる。
パンプキンスコーンとコーヒーの甘さが、じんわりと寒空から逃げだして、明るい店内に駆け込んだ私をあたためている。
やさしい雨宿りを知った今日という日は、確かに、本当に小さいけれど、前進できたように思えた。
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