心が通うこと
先日、外食をした時にちょっと嬉しいことがありました。
セルフで片付けるシステムだったのですが、私がお盆を戻す時に、たまたまそばにいた店の人が「片付けましょうか?」とニコッと笑って手を差し出してくれたのです。
私は丁度その時そのお盆が重かったし片付ける場所がいっぱいでちょっと嫌だなあと思ったところだったので「ありがとうございます」と言ってお盆を預けました。
たったそれだけのことだったのですが何だか嬉しくて。
一緒にいた夫に「さっきの店員さん、対応が100点だったよ」
と伝えました。
「何で?」
と聞かれてその時の状況を話したのですが…
大したことではなかったのに、なぜなんだろう?と改めて考えてみました。
そしてそれは、私が多分困っているだろうなと察してくれたからだと思ったし、タイミングやら声の柔らかさが嫌味でなかったのもあるのですが
私の表情や受け答えもきっと良かったのではないか。と思ったのです。
そう、その時自分も素直に応じることができてそんな自分が自分で良かったと思えたのが嬉しかったのです。
先日山崎選手に助けられたというのは、ちゃんとこちらを見てくれてお辞儀をしてくれた。そして私もそれが嬉しかったから笑ってお辞儀を返せた。
だから私は助けられたと思ったのだと思うのです。
その時に私が目を逸らしてしまったりただ見るだけだったらきっとそんなことは感じなかったと。
ちゃんと受け止められましたよ。
と合図をすることが大切なのではないかと思うのです。
相手が何をしてくれた
と言うことだけではなく
自分がそれにどう返せたのか
それがあるから心が通う
と言うことになるのだと
朝、時々会う卒業生と、この頃挨拶と一緒にタッチすることがあるのですが、タッチをしても顔が厳しい時があって。
「あ、これはただの儀式になってるな。あまり意味ないな」
と思っていたのですが、昨日会った時には満面の笑顔で。
その時はタッチしなくて手を振っだけで。こちらも笑顔で「行ってらっしゃい!」
と元気に言えてとても嬉しかったのです。
なのでタッチするとかしないとかは私にとってはあんまり大切なことではなくて。
それよりも自分が笑顔で対応できる方がどれほど嬉しいか。
そう、心が通うのはたとえ初めて会った人でも。
立場や年齢が違っても。
その時にお互いに感じる心があれば通じるのではないか。
そのためにはいつもそれを受け取る窓みたいなものを開いていたいと思うのです。
私は今までその窓を閉じていたことが多くて。
自分がどう思われるかばかり気にしていた気がします。
なので恥ずかしくて自分から行動できなかったし、せっかく向こうが開いてくれてもどうして良いか分からずに謙遜してしまったり喜ぶことができなかったり。
何をしていたんだろうな。
と思います。
本当にちょっとしたことでこんなに幸せな気分になれるのに。
力を抜いて。
窓をオープンにして。
相手の思いを十分に感じてそして自分も素直にそれを返す。
そうすればこんな一瞬の幸せを感じられるのです。
そのことに気がつけて、ちょっと得した気分です(^^)