ぶらっと、お散歩、北村西望公園と井の頭公園。
ぶらっとお散歩。井の頭公園は、都立公園なんですね。ジブリの森美術館のすぐ近くにあるのですが、北村西望公園へ行ってみたら、井の頭公園内にもギャラリーがあると知り、行ってみました。
別館にはアップライトとグランドピアノ、一台ずつあったので、演奏会など、開かれているのでしょうか。気になりました。演奏会、開けるといいなぁ。
閉館時間間近に、滑り込んで、雨の日だったためか、貸し切り状態で、鑑賞。
『師範代』が、今にも、しゃべりだしそうで、北村西望の筋肉力凄いぞ、と、圧倒されました。彫刻を観に行く人たち、どれぐらいいるのだろうか……。井の頭公園には、300点はありますから、じっくり、観ようと思ったら、1日では、到底、時間が足りません。
現代美術館でも、日彫展(5/2まで)が開かれていましたが、世の中に飛び出していくエネルギーって、凄いですね。
北村西望の『師範代』の何がよいかと聞かれたら、肩の動き、背中ですね。何か一つ、続ける人のしなやかな身体の動き、それが、彫られているようで、モデルになったその人に、会ってみたかったな、と、思いました。
その後、師範になったのだろうか。
井の頭公園で観る前に、生家が、公園になっているので、観に行ってみました。
北村西望(本名:きたむらにしも)、キタムラセイボウ、ってご存知ですか?
私は、こどもの頃、『飛躍』と、いう作品を観て、衝撃を受けました。なんだこりゃ、というのが、心の中での第一声でした。なんだか、訳がわからないが、生きている熱量を感じて、よくよく眺め、「キタムラセイボウ」といえば、『飛躍』と、記憶に残っていました。
彫刻ですから、『飛躍』そのものを彫って立体物になっているので、わかりやすいと言えば、わかりやすいのです。
ところで、北村西望の晩年って、いつからなんでしょうね。
104歳で永眠された北村西望。
遺作が、『飛躍』でした。
遺作に衝撃を受けていたのか、と、その偶然は、嬉しいものでした。
大人になって、また、観てみると、人間の生きる熱量って、なんて、熱いんだろう、と、思いました。そして、100年って、案外、あっという間ということもわかります。
草取りをしていた館長さんに、不意に声をかけられて
「その銅像、誰かに似てないですか?ほら、メガネかけた、角野卓造に似た……」
「ステラおばさんのクッキーの……」
お互いに同じ人を想像しているはずなんですが、秘書の銅像を目の前に、名前が出てこない……。という会話の後に、秘書って、あれかな、
「あしたのジョー」だったら、試合を終えたジョーから、グローブ渡される役割りかあ、それなら、やってみたい、と、想像しながら、館長さんの話しを聞いていた。
「ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて、平和の像をかたつむりが、指先から肩の上まで登っていく様子を見て、長く生きて、作品を作り続けようと思ったそうですよ。」
と、館長さんに聞きました。
京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)を卒業した後に、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を首席で卒業。
全く、その経歴は知らずに何気に観ていた彫刻は、観ていると
身体の創造性って、もろいようで、力がみなぎる。ダンスを観ているような跳ね具合に、あつい、あつすぎる……と、長崎では、案外、雨は降らず、青天。井の頭公園で観た時は、雨でした。クールダウンにアイスコーヒーを飲みたくなりました。実際は、ホットコーヒー飲んで、茫然としました。
たゆまざる 歩みおそろし かたつむり
北村西望
大正6年、「光にうたれる悪魔」で、注目を浴びたそうですが、いつの時代にも、芸術を志す人たちって、情熱がスパークしているな、と、思う。
写真は、生誕の地にある『飛躍』のワンショット。
他にも、「夢」という作品や書や水墨画などもありました。
それらは、井の頭公園には、ないものも。
なぜ、彫り続けたのか。
彫刻は、段々畑の見える中に、ふっと立っていました。人間もそうかもしれませんね。
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