散歩#1 20230218sat
午前
昨日のスンドゥブの残り汁をIHにかけ冷凍保存してあった白米をチンして投入、やや温まった頃合いで卵を割り入れて蓋をし、しばらく煮込んだ簡易雑炊もどきとコーヒーで朝食を済ませた後創作少々、ストレッチ筋トレ少々。
散歩開始
昼から週末定例コースの散歩へ。
歩道と海を隔てる柵にリボンのようなものが結んであってそれを見て涙ぐむ初老の男性それは私。
号泣
この画を見て涙ぐむ人はもれなく「劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデン」を鑑賞し、映画館と言う不特定多数の人たちが集まるその場所で恥も外聞も無く嗚咽し、また感情が高ぶるままに声を上げて号泣した経験を共有していると私は思っている。
ヴァイオレットエヴァーガーデンに関してはいつか別記事でこの溢れる想いを長期間に渡り、いや一生を賭して謂わばライフワークとして書き記しておきたいと考えているのでここでは敢えてさらっと流すが、この長い人生で確実に最も感動し好きになったエンターテインメント作品である。
このようにして自宅随所にヴァイオレットが見え隠れしている。
この田舎の寂れ果てた遊歩道のみすぼらしい柵をエカルテ島の風景に置き換え、急深で遊泳禁止ちょっと沖に出ればシュモクザメに喰われるこの荒涼殺伐とした海をエカルテ島の美しい海に置き換えてこの誰かはリボンを結んだのであろう。
こういうちょっとした風景を重ね合わせてすぐに涙ぐむというのがもうパブロフの犬的な症状である。
未だにTRUEの歌う「Sincerely」の1音目を聴いただけで泣ける。
まったく違うアニメで石川由衣の声を聴いただけで泣ける。
人間、いくら長く生きてたってそんなもんである。
みすぼらしい柵の前に暫し佇んだ後、相変わらず不動の石を確認、腰かけて海の録画。
本日は無風。漁船がうろついているのでいい感じで漁村感を醸す動画になっている。
そんな侘び寂び、忘我の境地にいた私の脳裏にマグロの切り身が浮かんだ。
リボンの感動、忘我の境地からの生臭い画に自分でも驚いたのだが昨夜叶わなかった「お刺身で一献」という夢を思い出してスーパーまで足を延ばしてみようと思い立った。
普段は車で移動している道をてくてくと歩いていると、車窓からでは気が付かない点に気付く。
たとえばこれ。
歩道と車道を隔てるフェンス。
田舎というのは基本的に車社会であり、田舎の人に車は当たり前すぎて危険な乗り物であるという意識が低く、海岸沿いの結構な交通量のある道でも歩行者は平気で横断する。車は車で当たり前にスピードを出す。両者が出くわせば事故。このあたりはぶっ飛ばしている車が多いので人も死ぬ。運転者の人生も絶望に閉ざされる。
田舎人の意識と言うのは法律がどうこうでは変わらない。法より慣習が優先される帰来がある。したがって行政としては人を変えるより設備を変えた方が簡単というわけで血税から捻出した予算でこういう者を設置するわけであるな。
ちなみに私は例え田舎人であったとしても個人の意識なんてものは1秒で変えられると思っている。だって自分の意識だもの。「私は意識を変える!」と強く誓えば変わるに決まってる。だって自分の事だもの。
まぁそういうわけでてくてくと歩くと汗をかいて来た。うっすらと思っていたがうっすらどころでは無い。強烈に遠い。やばい、この数年こんなに連続で歩いたことはない。足が重くなってきた。へとへとだ。と、泣き言ばかりが脳内をぐるぐるし始めた頃スーパーに到着。刺身を買ってさっさと帰ろうと思っていたのに中に入ると「味の素が」「醤油が」「一味唐辛子が」「牛乳が」とかと家庭内で不足している物資が浮かんできてしまって結局それも購入。かなりの重さになってしまった私の帰路は地獄。遠い、家が遠い。
家を出てから約1時間半。おそらく歩行時間で1時間程。運動にはちょうどいい時間なのだが運動不足な人がいきなりやったものだから疲労の極で帰宅後すぐに深く昼寝。
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