【小説】弱い男#3
前回
漢
くっせぇくっせぇ路地の奥深くほぼどん詰まりに近いあたり。
弱い男は鼻をつまみながら、風俗営業店が密集して入店している雑居ビルのエレベーター前に佇んでいた。
エレベーター横の案内板にある店はほとんどがまぁ、ヘルスなのだが、そのなかにひとつだけ、白地に太い毛筆で「漢」と書かれたものがあり、なんだか異彩を放っていた。5階である。
なんとも狭いエレベーター。換気が悪くて、路地の饐えた臭いが充満している。
扉が開く。
「ちーん」
弱い男の眼前2センチほどの向こうに顔面があり、その顔面がいきなりそう言った。
弱い男は驚きのあまり、後方に飛び退いて、でも普通に飛び退けるほど充分なスペースのないせまっくるしいエレベーターなので必然的に飛び退いた先には壁、その壁にどっがんと背中を打ち付けざま、「漢」の店員あるいは主と思わしき怪しい男の全身が見えた。
全裸でパイパンスキンヘッド。
あ、やばいな。そう思ったがもう遅い。壁にぶつかって跳ね返った弱い男を、その全裸男は真っ正面からガッシと抱きしめ、背中を撫でさすりながら「いらっしゃい」と上目遣いで囁いた。
スキンヘッド男は弱い男よりもすこし小柄で、彼からはつるつるの頭頂部が見え、それは薔薇の香りを漂わせていた。
ぽ。なぜか頬を赤らめてしまった弱い男は、しかしすぐさま我に返り「ひぃぃぃぃ」と悲鳴をあげつつ後ずさってエレベーターに逆戻り、超高速で「閉」と「1」のボタンを連打した。
扉が閉まっていく。スキンヘッドは動かない。弱い男がホッとした表情を浮かべたその瞬間、スキンヘッドが弾丸のように突き出された。
がち。
そんな音をたてて、エレベーターの扉にスキンヘッドが挟まっている。ふつう、安全装置が働いて扉が再び開きそうなものなのだが、故障しているのか輝く頭部を挟み込んだままびくとも動く気配はなく、弱い男は咄嗟にどうしてよいのかわからずおろおろと狭い空間を動き回っていた。
なんか、ものすごい空気の圧力を感ずる。
なんか、嫌な予感がある。
その場の空気、あるいは気の流れが明らかに変化し、弱い男はおずおずと扉に挟まったままのスキンヘッドに目を向けた。
ぎし。ぎし。
それはほんのちょっとずつであるが。
ぎし。ぎし。
扉が開いていく。なぜ?
ぎし。ぎし。
やがて、それは弱い男の目にも明らかなほど。
ぎし。ぎし。
スキンヘッドが膨らんで、扉を開いていくのである。
ぎし。ぎし。
スキンヘッドにものすごく太くたくましい血管が浮かび上がっていて、破裂しそうになっている。
ぎし。ぎし。
ホホ、膨れる膨れる、もう肩幅ほどにも拡がった。
ぎし。
ブワッシャーン!!
と、凄まじい音をたてて扉は跳ね返され、なんというか、縁日で売っているタコバルーンの如く、真っ赤にでかく膨れ上がったスキンヘッドが、そこあった。挟まれていた両側頭部には深々とスジが入り、すこし血が滲んでいる。
「だ、だ、だ、だいじょうぶでふか?」
弱い男は腰が抜けてしまって、その場にへたり込みながらスキンヘッドにそんな優しい言葉をかけた。
スキンヘッドはパンパンに膨れ上がったまま、実に優しく、「いらっしゃい」と言い嬉しそうに笑った。そして、弱い男の両肩をガッシとつかみ、ずるずると店内に引きずり込んだのである。
背後で、チュン、チュン、チュドーンッ!!という電気的、また機械的な破砕音が聞こえて弱い男は「ああ、エレベーターが落ちたのだな」と感覚的に悟ったが、そんなことはもう、どうでもよかった。
頭部を膨らませて、エレベーターの扉をこじ開けたこの男。すこしずつ頭部は縮んでいて、もうほとんど通常の大きさにもどりつつあるこの男。
「強い」
弱い男は引きずられながら、そう思い、その微笑みに憧れ始めていたのである。
(つづく)
次回
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