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サヨナラ、クレイジーウェディング。

7月2日、今日からCRAZYは10年目に突入。27歳で始めたあの熱くて青くてまっさらだったCRAZYは9歳を迎え、私は37歳になった。

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朝、ベットで森ちゃんにおはようをして、「CRAZY9周年おめでとう!」と元気にハグしたら、ゆったりとしたトーンで「咲ちゃんもおめでとう。咲ちゃんが作った、咲ちゃんから始まった会社だよ」と言われて、じんわりと込み上げるものがあった。

そんなCRAZYから、私自身が独立して1年と3ヶ月。今日、創業事業であるオーダーメイドウェディングの事業を縮小して、次に進んでいくというリリースが出ていた。その打ち出しのMTGを数日前に自宅で横目でみていた。このブランドを愛するメンバーを気遣う言葉が、その中でいくつか聞こえてきた。

不思議と私には「少し寂しいけど...」という気持ちすら込み上げなかった。むしろ、「9年経っても、こんなに思ってもらって、考えてもらって、よかったね。」と、創業前に産声をあげて、命をかけて必死に育てた、私の赤ちゃんだったオーダーメイドのブランドに伝えたいな、と思った。今でもこんなに愛されて、大切にしてもらってることへの仲間への感謝が自然と込み上げた。

本当に我ながら天晴れと思うほど、大変な事業を立ち上げたな、と当時を思う。当時のことを思うと、何かに取り憑かれていたの?と、いうくらい過酷な日々を過ごしていた。それは例えるなら、引越し業者と、イベント会社と、広告代理店を足して3で割らないような。笑 当時の様子をちょっと書き出してみる。

2人のヒアリングをして、2人の人生に介入して、時にはけんかの仲裁や親御さんとの話し合いをコーディネートして、高度なコンセプト作って、とんでもないレベルのビジュアルを描いて個人に数百万円の無形の商品の提案をして、毎回0から当日のプログラム内容を企画する。場所は野外から、使われてない廃校まで多様で、企画もオペレーション設計も困難極まる。当日は朝明け方から美大生のアルバイトさんと一緒に夜なべしたアート装飾等を荷積みして2tトラック運転して、何もないただの箱をとんでもない空間に仕上げて、当日キャストと呼ばれるアルバイトの子達とオペレーションをカッチリマネジメントする一方、2人のドラマに息を呑みながら柔軟に進行を変えながら、2人のセットアップやスピーチの頭出し、親御さんがぐっと集中できる関わりをして、その傍らで自分もしっかり結婚式のまだ見ぬ本番に感動して涙する。終わりに2人とハグして、お疲れ様とキャストにもみくちゃにされて。体力が底をついているのに、みんなを鼓舞してそこからとんでもない量の全てを撤収して、会場を元の何もない箱に戻して、そしてみんなで打ち上げをして、どうにかオフィスに辿り着く。その頃には、数名が床に倒れている。完

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そんな決死の完全オーダーメイドの結婚式が、月に1組だったところから、毎週の土日に全国で10近く行われるまでになった。社員は気づけば100人に近づこうとしていた。(CRAZY WEDDINGを綴った記事「忙しくて、難しくて、重い」

B to Bのビジネスとは違って、結婚式、それもこだわりの強い人たちの、個人的なライフイベントを作るということは、とても過酷なことで、平均的や一般的なんていう言葉が通用しない世界。同じ良いことをやって喜ばれることも、それじゃ足りないとクレームになることもある、偏った世界。

だから、仕事にもビジネスにもならず、ずっと皆が落とし所を探らずに全てをかけて、ある種アーティストのように、全力で目の前の結婚式を作っていた。息つく間がなくて、でも人間がとても磨かれた。30アラウンドの一息ついてしまう人生のタイミングで、そんなふうに全力で生きる・向かう・創造する、に直走っていた私たち。そんな生き方に惹かれて多くの仲間が集ってもくれた。

これ、目的が金儲けだったら絶対やらないでしょ?そうじゃなくても、今の私でもできないかもと思う。私が素人で若くて、理想しかなくて、人が集って、時代に後押しされて...だからできたこと。時空が歪んでいた。魔法みたいだった。あの時、私だけじゃなく私たちはこの世界に応えるために、必死だった。この一つの結婚式が、2人の、その家族やゲストの、関わるクリエイターの、世界を変えると信じていた。

死にそうなんだけど、めっちゃ涙も流してたけど、張り裂けるくらいの笑い声があふれる市ヶ谷の二番目のCRAZYオフィスが今でも鮮明に思い出される。事業だけでもキャパシティとしては100を超えているのに、全社員で世界一周をしたり、1000人以上が集う周年イベントをしたりと、私たちの人生は多忙と充実を極めていた。うん、人生の青春がそこにはあった。

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なんであんなことをしたのだろう、と思う。
何であそこまでできたのだろう、と。

「自由に自分の人生を生きるシンボルになる」、と自分の生き方を決め、コピペみたいに個々人が扱われてて変化がなかった結婚式業界に、CRAZY WEDDINGという旗をあげたのは、ビジネス云々の算段や戦略の前に、それを願う人が必ずいるという時代の声が、私には聞こえたから。私はただ、それに背くことはできなかった。大きなものに背中を押されて、私は走り出した。時代の声はSNSによって見えるものになり、その渦は大きくなった。やりたいことと、時代と、目の前のお客様のそれがぴたりと重なっているような感覚だった。

熱狂して生きるか、それ以外か。人生にはその二択しかない、と企業なのに「Crazy or die」というとんでもないキャッチを掲げて、そんな狂気に私たちだけでなく、パートナー企業や顧客や周囲の人々が、垣根を超えて賛同してくれる様は異様とも言えた。自分たちのためだけだったら、きっとここまでにはなっていない。誰もが、人生を探し、何者かになりたかったあの平成の時代を、私たちは何者なのかと問い続けながら、CRAZY WEDDINGは駆け抜けた。

そして、時は今日に戻る。そんな思い出すたびに目を細めてしまうほどの、死に物狂いなそんな時期を超えてCRAZYは10年目に突入し、9周年の今日、創業事業である、オーダーメイドの結婚式事業を手放して、前に進んでいくようだ。私が寂しくないのは、確信があるからかもしれないな、とここまで書いて見て思う。

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全てのCRAZYで生きた私たちの中に残るものがある。それは、「よりよく生きたい」と願う人類の願いに、深く向き合い自問自答してきた時間。本質的に美しくユニークに、人間に向き合い、私たちにしかできない問いから事業を始めていく姿勢。そして、この狂った世界を本質的にひっくり返したいというピュアな原点。

自分たちでCRAZYと名乗りながら、自分たちが思う真のスタンダードを世の中にぶち上げていくやんちゃなスタイル。そこに生まれる周囲のワクワク。CRAZYは私自身だ。いや、私たち人間全員の、こうでありたいという姿だ、と思う。だから願う。彼らが、私たち人間が本当の意味で前進するための「何か」を、この世の中に表現し続けてくれることを。新しい兆しとその未来を。

結婚式の本質≒(突き詰めると)人間...に妥協なく向き合ってきたCRAZYは、その先にあるものをきっと既に見ている。私たちがやってきたことは、形は終わっても、本質は変わらない。創業から続く、挑戦は終わらない。

2021年の7月2日、これまでの9年間を作ってきてくれた全ての仲間に感謝したい。駆け抜けた日々を超えて、気づけば今日も私は、時代の願いを背負って、生きている、と思う。今でも懸命に走り続けている、と思う。

共にCRAZYで、ではないけれど、共にCRAZYに、生きていこうと思う。時代の変化に自分たちを変化させ続けながら。これから先も、ずっと。

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