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私たちの、「かぞくのカタチ」。養子縁組里親という選択をして5年が経ちました。

最高に可愛くてユニークな娘が、7月に誕生日を迎え、5歳になった!
特別養子縁組で生後数週間の娘を迎えてから、約5年経ったということでもある。

生後数週間で我が家にやってきた娘

実はこれまで、SNSでは養子縁組里親について、あまり踏み込んだ話はしてこなかった。

日本では一般的に、家族について踏み込んだ話をするのはタブーという雰囲気があると感じている。一人一人の願う「家族像」や、「こうあるべき姿」が違うので、自分が意図しないところで誰かを傷つけてしまったら怖いという気持ちがあった。

娘が5歳になり、改めてこれまでの歩みを振り返り、「どんな家族の形も祝福される世の中であってほしい」という願いに気づいたので、このnoteで自分の気持ちを書いてみることにした。

娘の紹介

小さな時からいつも笑顔を見せてくれる娘。5歳になった今でも、娘の無邪気な笑顔は、人を幸せにさせる。

お友達が大好き。そして、年下の子供たちが大好き。人の役に立つことが大好き。保育園では、よく子供たちの面倒を見ているらしい。

3歳くらいから毎日自分で服を選ぶ。柄物が好きで、上下で「花柄×ボーター」「花柄×花柄」「ボーダー×ボーダー」という、最強におしゃれ上級者なスタイルを見せてくれる。

意思の強い娘。やりたいと思ったことは、意地でもやる。夫が毎日食べる卵かけご飯は、必ず自分が卵を割ろうとする(そして必ず殻を混入させる・・)。

やりたくないと思ったら、意地でもやらない。トイレトレーニングは「とりあえず座ってみよう!」は聞き入れてもらえず、「座る・座らない」で30分以上押し問答したり、「行かない!」と言った直後に漏らすことも多々あった。

イヤイヤ期は、2歳から4歳前半ぐらいまで続いた(長かった・・)。乳児期からミルク嫌いで少食な娘は、その日の気分で食べるかどうかが決まるので、毎日、戦々恐々としていた。体重が落ちる事も多々あるため、「またダイエットですよ・・」と、夫婦でよく苦笑いしている。

変顔が大好き。おしゃべりが大好き。寝つかせの時も1時間くらい1人で喋り続けていることもある。パパが大好きで、パパの言うことは聞かず、パパが嫌がることをわざとやろうとする娘(好きな子には・・ってやつ)。

日常に様々な彩りを届けてくれる、とっても大好きな娘だ。

親子揃って、なかなかの・・・


家族の創り方に「問い」を持ったきっかけ

29歳で結婚し、最初は夫との生活を楽しんでいた。年齢のこともあり、1年ぐらいすると「子供はどうしようか?」という話ができてた。私は子供がどうしても欲しい!というタイプではなかったが、夫は子供が欲しいと言ったので、考え始めた。

その時に自分の内側から出てきたのが

「子供を迎えるには、自分で産む以外の選択肢はないのだろうか?」
「年齢のプレッシャーから、急いで決断しなければならないのか?」

という「問い」だった。

女性特有の様々なプレッシャー。結婚、妊娠、出産。「30歳までに結婚しないと」「子供を産むなら出来るだけ早く」、そういった「期限」や「Yes(結婚する)かNo(結婚しない)の二者択一」のような狭い世界に、うんざりしていたし、女性としての心の痛みを感じていた。

私たち夫婦は「アプリ婚」だったのだが、マッチングアプリに登録した時に男性の女性に対する希望年齢を見ると、例えば40代以上の男性で、20-30代前半の女性を希望していることが、よく目についた。お見合いパーティーに行っていた友人も、「子供が産める年齢の女性」を希望している男性の多さに、傷つき、次第にそういった場所から足が遠のいていった。

高齢出産した職場の先輩からも「早く子供を作った方が良いよ」と何度も言われた。「私は自分で決めたいので(アドバイスは)大丈夫ですよ」というと、ヒートアップして「何で私のいうことが真剣に聞けないんだ」と、追い打ちをかけられた。先輩には、大変な思いをして欲しくないという気持ちがあったのかもしれないが、「家族のことを、なぜ第3者に決められないといけないんだ」と、うんざりした。

里親になることを夫婦で決めた後、夫は知人にそのことを伝えたことがあった。すると、「なんで産まないんだ!」と、真っ向から否定する人もいたという。

こういった特有の痛みは、種類は違えど、どんなセクシャルティでもあるはずだ。人として、もっと色んな生き方の選択肢があっても良い、そう強く思うようになった。

家族においても、色んな選択肢、色んな形があって良い。

お母さん(お父さん)と子、でも良い。
お母さん(お父さん)が2人いてもいい。
夫婦2人でも良い。結婚しなくても良い。
血が繋がっていても良い。繋がっていなくても良い。

そもそも何で「里親」という選択肢が出てきたか?

小学生の時からずっと、「家族」に関するテーマを抱えていた。

小学生の頃には両親の離婚話が出ていて、夜になると話し合いに家を出る両親の背中を見ていた。私が成人以降も、母方も父方も兄弟間のトラブル(遺産相続、誰が家を継ぐか、など)があり、感情的なもつれを見ていたので、「家族とは、何をもって家族なのか?」という「問い」が、ずっと心の奥底にあった。

幼心に「仲良し家族」でありたいという願いがあったけど、それを実感できなかった私は、「血が繋がっているだけでは『家族』になれない」と絶望した気持ちがずっとあった。今思うと、逆説的に、「血が繋がっていなくても『家族』になれるのではないか?」という考えに繋がったのかもしれない。

そして夫の存在も大きい。夫の両親は小さい時に離婚しているのだが、夫は「だから何?」とばかり、最初のデートから家族のことを包み隠さず、オープンに話してくれた。私はよく家族のことで落ち込み、1人で悩んでいたので、むしろ明るく楽しくオープンに話をしてくれたことに、良い意味で衝撃を受けた。

こんな風に家族のことを普通に話しても良いんだ!と思わせてもらったし、「ひとり親」だからと言って、不幸という訳ではない。家族の形で、「幸・不幸」を他人が勝手に決めつけてはいけない。そんな風に心から思わせてくれた体験だった。

私の周りには、児童養護施設で暮らしていた同級生もいたし、ステップファミリーの友人もいる。特別養子縁組の制度で里子から実子になった友人もいる。ずっと独身だった叔母は、私の父(叔母の弟)と2人暮らしをしていて支え合っていた。「コミュニティが家族」「ペットが家族の一員」という人もいる。

色んな家族の形、色んな幸せがあるものだ。

そんなわけで、私の近くには色々な家族の形があったし、「養子」「里親」という存在は、そんなに遠いものではなく、むしろ「日常」「普通」に近いものとして感じていた。

その感覚があったからこそ、家族の創り方を考えた時に、「里親」という選択肢がニョキっと出てきたのだと思う。

だから私は今、出来るだけ養子縁組のことを話すようにしている。私の家族が、誰かにとっての「普通」になればいいなと思っている。「里親」という選択肢が、当たり前になることを願って。

夫婦で歩んだプロセス

もともと私は、子供があまり好きではなかった。家族に心の痛みを抱えていたので、自分が良い母親になるイメージもなかった。ただ結婚後、「子供」を意識するようになり、私がどんな子供達にも同じ愛情を持った眼差してみていることに気づいた。(そうなった経緯は今回は省略する)

「自分の子だから可愛いんだよ」と言う友人もいたが、私はその感覚はないんだな、と気づけた。そんな自分であれば、「自分が産む」以外の選択肢を考えても良いのかもしれない、と思った。

夫に「里親になりたい」と伝えとき、夫は最初、冗談半分だと思ったらしい。元々は、私が子供を産んで、私と夫の血を分けた子供が産まれてきたら面白いだろうな、と思っていたという。自然な感情だと思う。

そんな夫は最初から、里親に反対ではなかった。今回、このnoteを書く上で夫に当時のことを聞いてみたのだが、「一般的には戸惑うでしょ?何で嫌じゃなかったの?」と聞いても、「うーーーん、特に理由は・・・・」と悩むほどだ。たぶん夫は私と同じで、「家族はこうあるべき」と思わない人なのだ。

ある日の喧嘩で、私から「家族の形について本気で考えて!」と言われて、私の本気が伝わり、夫の『里親になるスイッチ』が入ったという。家族の形について話し始めてから半年ぐらい経ってからだ。

当時、「まずは里親登録してみよう!」と、研修に参加したり乳児院見学に行ったことも、夫の背中を押した。里親になることが、よりリアルに感じたという。

ある意味、唐突な私の想いを聞いて、一緒に考えてくれた夫に感謝だし、共にプロセスを歩むことができて、とても心強く思っている。

そもそも日本における養子縁組里親って?

日本の養子縁組里親は、不妊治療の末、夫婦がとる最終選択肢として知られている。だが海外では、特に養子大国と呼ばれるアメリカでは、子供を迎える手段として養子縁組が一般的な選択肢となっている。実の子供がいても(=不妊でなくても)養子を迎えるケースは普通にある。

背景としては、「すべての子どもは家庭的環境で養育を受ける権利がある」という考えを国が浸透させ、補助金が出たり、普及活動が大々的に行われているからだという。日本にもその考えはあるものの、一番重要視されているのは血縁関係のある生みの親の権利だ。

例えば産みの親が「今は一緒に暮らせないけど、いつか一緒に暮らしたい。だから養子(里子)は反対」と言い続けた場合、それ以上のプロセスを進めることは出来なくなる。結局、さまざまな理由から実親とも暮らせず、児童養護施設で退所年齢(15〜18歳ぐらい)になるまで生活し続けるというのも、よくある話と聞く。また、社会に出された後のサポートも整ってないのが現状だ。

乳児院や児童養護施設は、職員さんが愛情を持って養育してくれる場ではあるが、1人の職員が複数の子供を担当することになるため、どうしても1人の子供に十分に目をかけることができない。また職員さんの入れ替わりもあるため、子供の健全な愛着形成※には不十分と言われている。(※愛着とは、子どもが特定の大人との間で結ぶ、愛情と信頼を持った心の結びつきのこと。子供の成長の基盤となる。)

日本では、生みの親と離れて暮らす子供は約4万人いるが、その80%以上が乳児院や児童養護施設などの施設で暮らしているという。子供の当たり前の権利(家庭的環境で養育を受ける)が守られない制度・文化の難しさが、日本にはある。

日本における「里親」は大きく分けて4つある。そのうちイメージしやすいのは「養子縁組里親」と「養育家庭里親」。養子縁組里親は、養子縁組によって実親となることを希望する家庭​​。一定期間養育後、裁判所の審判決定により戸籍上も家族となる。一方、養育家庭は養子縁組を目的とせずに、家庭で暮らすことのできない子供を一定期間(1ヶ月以上)養育する家庭。いずれ実親のもとに戻ることもあれば、そのまま大人になって養育家庭の養子になることもある。

「里親になる」ことを決心した瞬間

元々、血が繋がっていても家族はバラバラ、という家庭で育った。血が繋がっていても、家族にはなれない。じゃあ、何が家族を作るのだろう?という問いをずっと抱えていた。

ある日、通勤電車の中で、SNSを見ていると、アンジェリーナ・ジョリーの言葉が目に入ってきた。(彼女は当時、ブラット・ピットとの間に、複数人の養子を迎えていた)

「家族は血から創るのではない、愛から創るのよ」

それを見た時、電車の中で涙が止まらなくなった。まさに、自分が願う世界であることが身体の反応を通して分かった。時に、自分にとって真に大切な価値観に触れるとき、こういう反応が起きるものだ。

決して、血から家族を創るのを否定しているわけではない。ただ、血に関係なく、愛から創る家族がもっとあって良いと思ったし、それが「普通」になれば良いと思った。

私自身が産むことや血縁関係に拘らないのであれば、別の選択肢である「養子縁組で子供を迎える」という一つの家族の形を、この世界に表現していくことも大事なことではないかと思った。

私は今、特別養子縁組で親になったことを自己紹介でよく伝えている。私がそうであったように、養子縁組の家庭が近くにいる=「普通」になれば、里親という選択肢も増えるのではないか?と思っている。

最初は、それを敢えて言う必要はあるのか?言われた方はどう感じるか?といった不安もあったが、伝え続けることで「里親に興味があるから、話を聞かせてほしい」と声をかけられることも増えた。実際、養子縁組里親になった友人もいる。

これからも普通に伝え続けたいと思っている。

桑の実が大好きな娘と桑の実狩りへ。ルンルンしている娘。


「里親になる」と伝えた時の、両親・友人の反応

自分の選択は「反対されるに違いない」「理解されない」と思っていて、両親や友人に言うのが怖かった。

友人は、驚きつつも、「さき(=私)らしい選択だね」と応援してくれた。むしろ喜んでくれて、心強かった。

家族に伝えるとき、特に父はお堅い考えの人なので、どう反応するだろうか?と不安だった。父からは「子供は考えてないと思っていたから嬉しい」と言われたし、母からはあっけらかんと「そうなのね。昔からそんなこと言ってたわよ」と言われた。

のちに、父には動揺もあったと聞くのだが(笑)、第一声で受け入れてくれて、応援してくれたことを本当に感謝している。生後数週間で娘が我が家に来たときは、駆けつけれくれて、嬉しそうに子育てを手伝ってくれた。

私が子供の頃は、育児に参加していたイメージのなかった父。思いのほか育児が上手で驚いた。

父は数年前に亡くなったが、娘のことを最期まで想ってくれていたし、母も姉も、娘のことが大好きである。お互いに思いやっている姿を見る時、私は最高に幸せな気持ちになる。

実は、近しい人から、「どうしても賛成できない」という拒絶に近い声もあった。娘の存在を否定されたように思い、今でも大きな痛みとして残っている。それもリアルな一つの声。いつか過去のものとして、分かり合える日が来ると良いなと、願いを持ち続けている。

家族のことを、当たり前に話せる日を願う

アメリカでは、「自分の家族はこんな家族だよ!」と表現するのが普通なのだそうだ。自分が養子だということも周囲にオープンに話すという。日本では、そうならない。

そこには何があるんだろうか?

友人とおしゃべりしている時に「さきちゃん(=私)、里親になったんだって」という話が出ると、そのことを知らなかった友人から「え?ごめんなさい」という反応が返ってくることもあった。(色んな想像を巡らすのだと思う)

ハッピーな気持ちで話しているのに、「ごめんなさい」という反応が返ってくると、「一般的に、世の中からどう見えるのか?」というリアルを突きつけられている気がして、とても複雑な気持ちになる。

娘が隣にいなくて良かった、と思う。

私にはシングルマザーの友人がいるが、そのお子さんが「うちはパパがいないんだ〜!」と元気に話してくれる時、周囲にいる大人には、気まずい沈黙が流れる。(それも理解できる)

ただ、大人のそんな反応を見た子供達は、どんなふうに思い、育っていくのだろう。

「ひとり親家庭=気の毒、かわいそう」
「血が繋がっていない子供=かわいそう、不幸」

が、まだまだリアルなのである。

今後、娘が自分の生い立ちのことを話したいと思った時、「うちは養子縁組で家族になったんだよ!血は繋がってないけど、とっても幸せだよ!」と自信を持って話してもらいたいし、それを聞いた人たちが「そうなんだー!」と、ただ普通に言える世の中になって欲しいと願う。

私のエゴかもしれないけど、私が願う世界は、間違いなくそんな世界だ。

だから私は、これからも家族のことを、表現していきたいと思う。

公園でバーベキュー中のご機嫌な3人


娘に伝えたい想い

養子縁組として子供を迎えた親には、真実告知というものがある。

親子としての血のつながりがないこと、生みの親がいろいろな事情で育てることができなかったこと、里親としての自分たちが育てることを望み、あたなは大切な存在であること。

そういった「真実」を伝えなければならないのだ。

それを伝えるために、夫と相談して「絵本」を作った。乳児院の職員さんから、「ある程度大きくなってから急に真実告知をしようとすると、親が緊張してしまい、すごく深刻な出来事なのだと子供に伝わってしまうので、小さな時から『絵本』などを使って、ナチュラルに伝えるのがおすすめです」と聞いたからだ。

夫と一緒に手作りの絵本を作って、1歳の頃から読み聞かせをした。どんなきっかけで家族になったのか、どんな赤ちゃんだったのか、色んな人に愛情を注いでもらい育ってきた、そんな内容だ。

夫と一緒に作った絵本

娘にとって、自分が愛されてきたことを実感する大切な本となった。5歳になった今でも、「私の絵本を読んで〜♡」とリクエストをくれる。(詳しい内容は、また別の機会にnoteに書こうと思う)

絵本の読み聞かせ以外でも、なるべく普通に、産んでくれたお母さんの話をするようにもしている。「お鼻は産んでくれたお母さんに似ているね。笑顔はママ(私)にそっくりだね♡」「〇〇ちゃん大好き!産んでくれたお母さんも、あなたのことが大好きだったのよ」と。

歳を重ねるにつれ、生い立ちに関して、娘もいろいろ思うことが増えるかもしれない。そんな時でも、お互いに気持ちをシェアしあって、娘と向き合っていきたいと思う。

最後に

改めて、このnoteを書いてみて、何をどれくらいまで書くか、様々な葛藤を感じた。家族、友人、子供が欲しい方、そうでない方、特別養子縁組のプロセスで出会った方、いろんな立場の顔が浮かんできて、知らず知らずに傷つけたり、それぞれの生き方を否定する内容になっていないだろうか、と思い巡らせた。

色んな家族の形があっていい。色んな生き方の選択肢があっていい。
それが大切に丁寧に伝えられていたらいいなと思う。

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