立ち止まることに悩むあなたへ(まとめ版)
こんにちは!
人生の転機を研究している「さきしま」です。
このnoteは、私が約6カ月休職して考えたこと、気づいたこと、学んだことを一つにまとめた「休職における総まとめ記事」です。
私なりの立ち止まること、休職に対する結論をお伝えできればと思います!
休職を考えている人
休職をしている人
立ち止まることができない人
そんな状況のあなたに向けて書いています。
このnoteを読んだ後に、立ち止まることの意味やあなたの悩み解決の糸口のヒントが見つかれば幸いです!
自己紹介
話をする前に誰がそんなことを語ろうとしているんだという声が聞こえてきそうなので、簡単に自己紹介をさせてください!
私は田舎街で幼少期を過ごし、関西の大学へ進学しました。
卒業後はそれなりに大きな企業に就職しましたが、次第に大企業ならではの閉塞感、次第に目の前の仕事へのモチベーションが枯渇していることに不安を感じるようになりました。
キャリアアップがこの不安を解決してくれると信じ、その後、28歳時にベンチャー企業へ転職をしました。
しかし、転職後も働き方への違和感は消えないまま。。。
それでも今まで積み上げてきたキャリアを失うことが怖く、自分を誤魔化し、ひたすらに走り続けました。
そしてついには体調を崩します。
そこでようやく立ち止まることを決意し、休職を経験しました。
現在は会社を退職し、フリーランスとしてWEBライターやインタビュアー等をしながら、休職専門のカウンセリングをし、人生の転機の研究をしています。
このnoteでは、今までの働き方や価値観を持って走りづけることに疲れるも、価値観を変える為に立ち止まることが出来ずに悩み、立ち止まった後もどう過ごしていいかわからずに悩んだ、休職当事者としての言葉を記します。
立ち止まる時間をどう捉えるか
立ち止まることについて考えます。
「立ち止まる時間とは何か?」
6カ月間、休職した私の答えは「自分らしさを取り戻す時間」です。
詳しくお話しする前にその背景にある今の世の中の流れについてお話します。
幸せの意味が変化している
「幸せになるために一生懸命頑張っているつもり。だけど、まったく充実感が得られない。」
そんな風に考える方は多いのでないでしょうか。
今までは相対的幸福が優位な時代が続いていました。
相対的幸福とは「誰かと比較しての幸せのこと」です。
社会が用意したレールに沿って自分をアップデートし続け、誰かに勝つことで手に入れる幸せです。
誰かより100m走が1秒早い、テストが何点よかった、偏差値の高い大学に入った、年収が高い、高い車を持っている、フォロワーが何人多いなど。
そう言った他人と比較できるものが今までの幸せの代名詞になっていました。
みんなが同じモノサシで幸せを図っていたんですね。
でも、最近みんな気づいてきました。
「頑張っても幸せになれなくない?」
「走り続けても楽にならなくない?」
長く続く不況で頑張っても必ず報われるわけではない。
競争の中で生きていくことでほんとに幸せは得られるの?という疑問です。
そんな雰囲気の中でコロナウイルスというパンデミックが襲来しました。
幸せを目指してガムシャラに頑張り続けてきた道もコロナ一発で危うくなってしまう事態。
次々とルールが変わる現代に弱いのが、誰かとの比較の中にある幸せです。
そこで幸せに対する考えはいま、問い直されています。
もっと本質的な幸せが求められる時代になってきています。
「何があっても変わらない幸せってなんだろう。」
「自分が満足できる本質的な幸せってなんだろう。」
そこで求められるのが「主観的幸福」という考え方です。
これは誰かと比較するわけではない自分基準の幸せを追求する考え方です。
お風呂に入って「気持ちが良い」
好きな唐揚げやハンバーグを食べて「美味しい」
家族と過ごす時間が「暖かい」
仲の良い友達と話す時間は「楽しい」
猫と遊んでいると「癒される」
競争で疲れた時代、社会のルールが日々変わっていく今、求められる幸せはこちらに移ってきています。
そんな時代において、主観的幸福を実現している人は憧れの対象になります。
良い大学を出ている、年収が高い、良い場所に住んでいるではなく、自分ならではの揺らがない自分の幸せ基準を持っている人。
いつかのひろゆきさんが言ってました。
「本当に幸せなのは、世の中のものさしに従って精神をすり減らしながら前進する人よりも、田舎で猫に囲まれて納豆ご飯を食べてうめぇと言っている人」だと。笑
皆が自分らしい幸せに向かうけども
それならば!と皆が自分らしい主観的幸福を目指します。
しかし、残念ながらその移行は簡単なことではありません。
何故なら、今までの相対的幸福に慣れすぎて、自分らしさ(自分基準の幸せ)がわからなくなっているからです。
今まで長年信じてきた幸福の価値観を捨てて、自分らしい幸せに移行することは言葉で語る以上に難しいのです。
それほど僕らは相対的幸福がベースの世界を生きています。
もちろん私もその一人でした。
それっぽい道をそれっぽく走っているけれど、心の底からやりたいことや自分らしい幸せが分からない。
スケジュールを埋めて無理やり何かを探そうとするけど、何もつかむことができない。。
今持っている価値観(相対的幸福)の延長に幸せはあると思って日々を行動していました。
しかし、自分の本心が求めていたのは競争ではない自分基準の幸せでした。
その中で自分の気持ちはそれを無視して走り続ける。
その中で、自分がどっちの幸福を追いかけてよいかわからなくなる。。
この争いが休職前のモヤモヤの正体でした。
いま振り返ると休職は価値観の移行期間だったのだと思います。
どちらの価値観も平等に維持しながら、暮らすことはとても難しいこと。
今まで考えてきた幸せから少し離れて、自分らしさや自分の好きな幸せを思い出す時間。
人生の価値観を大きく転換する時間、それが「立ち止まる時間」だと私は思います。
立ち止まることを邪魔する今までの自分
今の働き方、生き方のモヤモヤの正体は見えてきました。
その違和感を払しょくする為に、立ち止まって価値観を移行する必要があることも。
しかし、現実問題そんなに簡単に立ち止まることはできません。
今までの相対的幸福の暮らしで色々なものを積み上げてきた自分が邪魔をするからです。
例えば下記のようなもの。
全てではないにしても、ひとつひとつの不安を解きほぐす必要がありそうです。相対的幸福で暮らしてきた我々にとってこれは非常に大変な作業です。
私もこれらの圧力に負けて、長い間、立ち止まることができずにいました。新しい自分らしい幸せに向かって立ち止まる為には、ちょっぴりヒントが必要です。
立ち止まるヒントをくれる思考法
私が6カ月の休職期間で考えたことで行き着いた立ち止まるヒントをくれる思考は以下のようなものです。
ひとつひとつをここで話すのは長くなってしまいますので、興味がございましたら今後更新する記事も含めて、他の記事も読んでいただければと思います。
立ち止まることに悩むあなたへ
立ち止まるという経験は、ほとんどの人において人生の予定にない経験だと思います。
価値観の変更がなければ、それはそれとしてそのまま人生を突き進めばいいと思います。
しかし、人生100年時代、多くの場合どこかで価値観が変わる転機があるでしょう。
そんなときに違和感を無視してそのまま走り続けるか。
それとも一度立ち止まって自分の気持ちに寄り添うか。
いずれにせよ、大変な作業ですが、皆さんはどちらを選びますか?
大変な想いをしながらも立ち止まった経験者としてはっきりと言えるのは、立ち止まった結果、「立ち止まる前よりも自分のことに詳しくなり、好きになったということ」です。
同時にいかに今まで自分の事に無関心に過ごしてきたかということに気が付きました。
人生100年時代。
自分らしさがわからないまま、自分のことを好きでないままに生きていくには長すぎます。
自分らしさを取り戻し、再び自分の人生を歩き出す為の時間として、立ち止まることには大きな意味があると私は思います。
なので、小さいながらも立ち止まることの意義や立ち止まり方、立ち止まった時の行動を伝える研究を進めています。
これからもあなたの人生の転機の役に立つヒントを提供できればうれしいです。
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