【休職者対談】通勤を地獄に感じた休職期間
こんにちは。
ワクチン接種が思ったより痛くなく、あの恐怖の感情を返してほしいさきしまです。
今日は「休職者対談」ということで普段の投稿とは志向を変えて過去に休職をしていた方とお会いして、お話ししたことについて書ければと思います!
他の休職者がどのような想いで休職に至ったのか、そしてどのような想いで今を過ごし、未来に向かっているのか。その部分についてお話しできた部分を共有できればと思います。(note掲載の許可は得ています!)
それではいきましょー!
●対談者プロフィール
名前:ユージ(仮名)
年齢:28歳
出身:北海道札幌
居住地:東京墨田区
家族構成:一人暮らし
職業:物流会社→休職、復職→介護業界→広告デザイン会社
お話し経緯:
ジモティーという地元コミュニティアプリで私が休職者とのお話しを募集しているの見て、ユージさん側から連絡を受けました。
お会いしたのは東京品川。
品川駅で待ち合わせ、その後近くのファミレスでお話ししました。
お会いする前はお互い少し緊張していましたが、
話出すと盛り上がり、休職の内容に留まらず結局4時間ぐらい話していました。
(本当にあっという間でした!)
●ユージさんとの対談
・入社時のギャップに苦しんだ休職前
さきしま:
今日はよろしくお願いします。ユージさんが休職されていた時の話を聞かせてもらえますか?
ユージさん:
よろしくお願いします!
私が休職したのは新卒で入社した物流系の会社で入社6ヶ月目の時でした。入社時は会社や仕事に対してモチベーションが高く、すぐに成果を残して、会社に貢献したいと思っていて、それを周りにもしっかりアピールしていました。
しかし、入社後すぐに配属された東京のとある物流拠点の営業所でつまづいてしまいました。
まず配属されて感じたのが思った以上に体育会系の雰囲気であったということ。今までそのような強烈な環境に身を置いたことがなかったので、かなり戸惑いました。
新人教育としてそこでは直属の先輩とペアを組んで指導を受けるOJT形式だったのですが、その先輩と相性が合わず、日々かなり精神をすり減らしていました。
さきしま:
そうだったんですね。どんな日々だったんですか?
ユージさん:
当時は海の風景が好きで横浜に住んでいたのですが、仕事がうまくいかなくなると今まで綺麗だと思ってみていた景色が大きく変わって見えましたね。あの綺麗な横浜の朝の風景が最後の方は地獄の風景に変わっていました。(笑)横浜の景色は今でも少しトラウマです。(笑)
さきしま:
それ、僕もわかります(笑)。苦い思い出と場所はリンクして記憶してしまいますよね。でも地獄に見えるとは相当参っていたんですね。
ユージさん:
僕にとっては仕事の相談を気軽にできる環境がなかったのが辛かったです。直属の先輩は気分が変わりやすい人で機嫌が悪い時は、仕事の話を聞いても無視されることが度々ありました。
ある時、直属の先輩に仕事を聞いてもきちんと答えてくれなかったので、他の先輩に聞いたことがありました。その後そのことが先輩に伝わり、「聞きたいことがあったらオレに聞け」という風な指導を受けました。それはとても参りましたね。
そのようなこともあり、入社半年の頃から体に影響が出始め、気持ちが沈む、それが原因で社内でのミスも増えていきました。
そんな中で他部署を巻き込むような大きなミスを立て続けにしてしまい、これは本当にダメだと感じました。
さきしま:
上司との関係が合わなかったんですね。。そして、それが仕事のミスにつながる悪循環につながった。それからはどうされたんですか。
ユージさん:
その後、休職について考え、ネットで調べた精神科に訪問し、即日休職の診断書をもらいました。
それを営業所の上長に現在の状況(先輩と相性が合わない)と休職したい旨を伝えながら提出しました。
上長も過去に同じように精神をすり減らした経験があったようで、私の気持ちをすんなり理解してくれました。
ただその時はまだ入社半年ということもあり、休職はしても退社についてはよく考えて欲しいという話をされました。
その時は辞める気持ちでとりあえず休職だと考えていたので、少し複雑な気持ちになったのが正直なところです。
結果的に人事を含めての話があり、申し出た翌々日からは休職に入ることになりました。
・地元で話を聞いてくれた友達
さきしま:
そのような経緯だったのですね。休職中はどのような気持ち、どのような活動をされていたのですか。
ユージさん:
休職後は毎朝重い足で会社に向かうことがなくなったことで、とても気持ちが楽になりました。
とにかく今は休む!ということを決めたのですが、その後1週間も経つと徐々に働いていない罪悪感、何かしなければならない焦りを感じるようになりました。
その後、実家である北海道に戻り、2週間ぐらいは家族、親戚、友達などいろんな人に会って話をしました。
さきしま:
やはり戻れる場所、話を聞いてくれる相手がいるというのはとても良いことですね。話をしてみてどうでしたか。
ユージさん:
正直、始めは恥ずかしい想いがありました。しかし、オブラートに包んでいては何も解決しないと思い、勇気を持って包み隠さず話すことにしました。話してみると皆思った以上に受け入れて、励ましてくれました。
特に印象に残ったのは地元の友達と話した時。「休職?ダセーなそれ。まだ半年じゃん。でもそんな環境で働くのはおかしい。気づけてよかったじゃん。もう失うものなんてないやん。次行こ次!」
みたいな感じで良くも悪くも、話をカジュアルに聞いてくれました。それが自分にとってはとてもありがたかったですね。そのような帰省から元気をもらい、東京に戻り、転職活動を始めました。
・休職を受けての今
さきしま:
素直にお話しできるのはすごいことですね!僕はまだ正直に全てを話す気持ちに慣れていません。まだ心のどこかで休職に対して恥ずかしい想いを持っているのかもしれません。
ユージさん:
私もいまだにその気持ちがゼロなわけではないですよ。笑
元々かなりキャリア志向で、入社時も会社のお偉いさんに対してかなり豪語してましたしね。笑
今思えば休職に対するかなりいい「振り」でしたよ。笑
さきしま:
そのようにお話しされる姿とてもまぶしいです。完全に過去の休職を自分のストーリーとして取り込んでいるのがカッコイイです!
その後はどうされたんですか。
ユージさん:
会社には戻らないと思って転職活動をしていたのですが、東京に戻ってから同期と話す機会がありました。入社時にあんな豪語していて、話すのが恥ずかしかったのですが、やはり同期の言葉は身に染みますね。会社から別営業所での勤務の打診もあり、結果的にはもう一度この会社で頑張ることに決めました。戻ったのは休職2ヶ月半後のことでしたね。
さきしま:
そうなんですね。とてもストーリーがあって参考になりました。自分の言葉で話すことができるってとても大切ですね。
今はどのような活動をされているのですか。
ユージさん:
その会社で1年半働いた後、会社事業に真の興味が持てなかったこともあり、結果的には転職をしました。
それから地元(北海道)に一度戻り、介護の会社で1年半ほど働きました。
今はまた東京に戻ってきて、小さな広告デザインの会社で営業として働いています。
小さい会社ながらも身近に尊敬できる先輩がいてとても充実しています。
プライベートでは休職時代にいろんな人と話をして変わった経験から今も気になった様々なジャンルの人に話を聞くようにしています。
そんな考えもあり今後は自分のメディアを立ち上げたいと思っているんです。その為にブロガーさんに話を聞いたり、準備資金の為に土日は単発の副業などをしたりしています。
さきしま:
とてもアクティブですね!やりたいことに向かって行動されているユージさんがまぶしいです!話を聞いてとても元気をもらいました。僕も色々な人に話を伺い、自分のやりたいこと、今後について考えたいと思いました!
ユージさん:
このように自分の経験が話せて嬉しいです。今日はありがとうございました。
●対談を終えて
対談を終えてユージさんの印象を一言で言えば「とにかく話が面白い」。
恥ずかしいことまで含めて過去の経験を自分の言葉で語られていてとてもまぶしく見えました!
そして次に向かって目標があり、具体的に行動されている姿もとても印象的でした。
本当は書いたこと以外にも、プラネタリウムの話、恋活の話、AGAの話(笑)等、まだまだいろんな話をしたのですが、ここでは割愛させて頂きます。笑
改めて休職という人生のターニングポイント(転機)を経験した人は「人として深いなー」と思えた対談でした!
これからもいろんな人に話を聞いてみたいと思います。
それではまた!
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