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数年後、新しい推しが生まれ、今の推しが(たぶん)死ぬ 下

上こちら


ここで「むつ」の船体についてちょっとだけ触れる。
むつはもともと海洋観測船設計がベースだったと書いたが、なにしろ原子力船だったので、並大抵の船にぶつかられて原子炉が損傷するようなことが起きないように、かなり頑丈な作りをしていた。骨太である。
加えて、大湊港の田名部川河口にずーっと係留されていたので(淡水だった分腐食が少なく済み)、1969年進水の船にしてはかなり状態が良かった

これ、有効活用したいですよね。
貨物船にしては小さいし、荷物積むところなんていくらもないとは書きましたが…?

稀代のクソデカ海洋調査船

ここでやっとJAMSTECが登場する。
むつの解役から遡ること数年前、地球規模での異常気象、大規模なエルニーニョ現象が発生し、全世界で1兆円規模の被害が発生した。

このとき、擁していた研究船の「なつしま」で日本で初めてのエルニーニョ観測を行ったのがJAMSECである。
しかし、当時のJAMSECの船では観測に限界があった。なつしまさんは当時ピチピチの新造船ではあったが、67.3mと決して大きな船ではなかったのだ。

もともとそれまで海洋調査船という船種は世界的に見ても大きなものはそうそうなかったのだが、もし大きな船なら当然、より長距離の航海ができ、広範囲の観測ができる
むつほどの大きさの海洋調査船ならば、世界トップクラスの規模となる。これだけ大きければ「海に浮かぶ研究室」といっても過言でない。
むつが元々海洋観測船設計がベースだったのも、ここに来て改装に向けて有利なポイントとなった。最初から、他の船種の船を使うよりずっと使いやすい設計になっている。
こんな大きな海洋調査船、一から作ろうと思ったって絶対予算なんかつかない。千載一遇のチャンスだった。

JAMSEC「大型の海洋観測研究船が欲しいです!!

そんなわけで、「むつ」は生まれ変わることになったのだった。

海洋地球研究船「みらい」へ

「むつ」を海洋調査船へ改造するにあたって、まず船体を3つに切り、原子炉部分の区画を撤去した。エンジンはディーゼルに積み替えることになった。

このとき撤去された原子炉(+操舵室や制御室、換気塔なども)は、現在もむつ市のむつ科学技術館で見ることができる。

船体の前半分は「むつ」の船体部分を作った会社である石川島播磨重工、後ろ半分は原子炉を作った会社である三菱重工の造船所に運ばれ、それぞれ改造された。
前半分はできるだけ「むつ」の面影を残すかたちで改造され、現在でも船首部分にうっすらと「むつ」の船名を読み取ることができるという。
後ろ半分はほぼ新造に近い大規模改造となり、調査に必要な大型のクレーン等が設置された。
船を2社で分担して半分ずつ作って合体する、というのは(以前紹介した「飛翔」など他に例がない訳ではないが)かなり珍しいことで、このために2社は社内秘まで開示しあって建造にあたったという。

かくして、(当時)群を抜いてでかい海洋調査船「みらい」が完成したのだった。

https://www.jamstec.go.jp/j/about/equipment/ships/mirai.html

船体色の白は夢や希望、青は未来のイメージ、黄色は母港・むつ関根浜港のある青森県下北半島に咲き乱れる菜の花の色だという。
個人的にはとても美人さん(※船です)だと思っており、「みらいさん」と呼んでうつつを抜かしている。

その後のみらいさんの活躍

みらいさんは関根浜港を母港とし、その恵まれた体格をいかして各地に大型の観測ブイを設置してまわり、気象・海象の継続的観測に大きく寄与してきた。

2003年には南半球を一周する大規模海洋観測航海「BEAGLE 2003」を行ったり

https://www.youtube.com/watch?v=muO2WXo3CkY

2014年の航海では、太古の昔に大量絶滅を招いた小惑星衝突の証拠とみられる痕跡を発見したりした。


みらいさんの行う各種観測・調査航海のなかで最も特徴的で、JAMSTECの船ではみらいさんしかできないものが、北極航海だ。ほぼ毎年のように行っており、去年で20回目を数える。

https://www.youtube.com/watch?v=EP834rHooHA

原子力船ならではの頑丈さのため、(砕氷艦の「しらせ」のように氷を自ら割って進むことこそできないものの)みらいさんは多少の氷がぶつかったくらいでは平気である
このためJAMSTECの船にみらいさんが加入して以降は、北極海の氷が少なくなる夏の時期に北極海に行って極域を観測することができるようになった。
もちろん今年も行く。


しかしそんなみらいさんにも勝てないものがある。寄る年波だ。
流石に大改装でアンチエイジングしたとしても、1969年生まれの船がいつまでも現役で生き続けられるわけではない

「北極域研究船」ちゃん

2015年、北極観測船の計画が持ち上がった。
この新たな北極観測船はみらいさんを基本モデルとし、自律型無人探査挺を積んで長期の観測を行うことが目論まれた。

これが現在の「北極域研究船」プロジェクトに繋がっている。

みらいさんの活躍で、大型の海洋調査船の有用性、北極観測の重要性が実証され、これによってみらいさんより大きな北極域研究船を一から建造する予算がつくようになった
北極域研究船ちゃんはみらいさんにはなかった砕氷能力もあり、またヘリコプターも積めるらしい超大型新人(※船です)である。
これはもうみらいさんとJAMSTECの共同作業による愛娘じゃないですか(錯乱)。

そして北極域研究船ちゃんの就役によりみらいさんは代替わりして、おそらくは今度こそ廃船になる
推しにはずっと元気でいてほしいけれど、それはもうしかたないことだと、半分諦めはついている。


科学とイデオロギーのはざまに

みらいさんの娘(広義)であるあの子も、ただ科学と知の探求のみに生きられるわけではないことは、生まれる前からわかっている。
北極域研究船ちゃんは、日本の北極海航路参画のための国家戦略の一部でもあるからだ。

このまま地球温暖化が進んだ場合…地球環境的にはもちろん進まないに越したことはないのだが…北極海を通ることで航路の大幅なショートカットが可能になるため、各国が北極海航路に注目している状況にある。
北極海は物流の大動脈になる可能性を秘めている
北極域研究船ちゃんの建造や運用は、この北極海航路開拓のための一つの足がかりだ。

目下、ロシアの情勢があまりにも不安定で北極海航路の先行き自体不安があるが、船は一朝一夕に作れるものではない。

この船が世に出るとき、世界情勢はどうなっているのだろう?
温暖化はどうなっているだろう?
みらいさんは安心してあの子にバトンを渡すことができるだろうか?
あの子は、かつてみらいさんがなれなかった、海運の未来を拓く救世主になれるだろうか?

私はただ、あの子に幸あれと必死に名前を考えることしかできない。
みらいさんの愛娘が健やかに育ちますように。
ああどうか、科学と知、そして白夜のシーレーンを拓くあの子に幸あれ

追記

10月14日にJAMSTEC横須賀本部の一般公開があった。自分は行けなかったのだが、そこでフォロワーさんが北極域研究船についても話を聞いてきた。

JAMSTECの方曰く、

・みらいのドップラーレーダー(あの船体上部の白くて丸いやつ。日本の船に設置されているドップラーレーダーの中では最大で、地上の気象台に設置してあるような規模のもの)は高額なため、北極域研究船へ移設される予定
・みらいと北極域研究船は
JAMSTECの研究船として在籍期間はかぶらない

みらいについては中古船として売却の道を探るが、船齢が船齢なので恐らく買い手はつかず、スクラップとなる見込みが高いという。
「みらいさんの形見が載るから新船も愛してね」というようなことを話していたそうだ。

愛します。愛しますとも。かならず。

さらに追記

ちなみにこれは平成9年、むつプロジェクトが終わった後にまとめられた改良型舶用原子炉についての原研発行の冊子内にある、原子力砕氷船案の図である。
原子炉2基がけとかプロペラ3つついてたりとかロマンたっぷりだが、この設計を継いだ訳ではないにしても、大型の後継砕氷船というのは、かつて原子力船だった現・みらいのある意味では夢だったのかもしれないな……と思ったりした。全部妄想です。

オンラインでも読めるよ。


続きこちら。実際に決まった名前はなんと……。


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