思い出の曲の話
最近は専ら室内で生活していて、日付以外何も変わらないような生活を送っている。まあ某ウイルスが猛威を振るっているから仕方のないことではあるが、ひと月前までこんなことになろうとは微塵も思っていなかった。そういうわけで記事にするほど面白いことなんてないわけである。とはいえ何も書かないでいると、このnoteの存続が怪しくなってくるのでほとんど義務感に突き動かされる形でこれを書いている。
さて、タイトルにもあるように今回は﨑原の思い出の曲についてである。思い出の曲。好きなアーティストのライブで聴いた曲だろうか。それとも高校の卒業式で聞いた曲?恋人関係の曲?というように思い出の曲といっても様々であろうが、﨑原の場合それはサザンオールスターズの『TSUNAMI』である。もしかしたら知らない人もいるかもしれないから軽く説明しておくと、2000年にリリースされたサザンオールスターズ44枚目のシングルでその年の日本レコード大賞を受賞した同アーティストの代表曲の1つである(参考:Wikipedia)。ゆっくりとしたバラード調の曲で、たぶん失恋の曲だと思う。
なぜこの曲が思い出なのかというと、正直のところ具体的にこうだという理由が見つからない。ただ父親がサザンオールスターズのファンで、幼い頃車に乗っているとカセットテープでずっとこの曲が流されていた。だから歌詞を見なくても物心つく頃には空で歌えた。恐らく幼少期の刷り込みのようなものなのだろう。家庭の味的なやつである。というように、特に熱狂して曲にはまり込んだわけでもなければこの曲にまつわる感動的なエピソードがあるわけでもない。なんならこの曲のことなんてつい最近まで思い出すこともなかった。ここまで読んだみんなはこう思うかもしれない。「いやいやそれじゃあ思い出の曲じゃないじゃん、前言撤回しろ!」と。でも落ち着いてもう少しだけ話を聞いてほしい。
正確な時期は定かではないが、昨年末だったか今年に入ってすぐだったかぐらいの時期にサザンオールスターズがサブスクリプション配信を解禁した。﨑原はApple Musicに加入しているので当然そのラインナップの中にサザンオールスターズも名を連ねており、彼らの曲を自由に聴けるようになった。その時に『TSUNAMI』のことを思い出した。早速聴いてみた。そしたらどういうわけか泣けてきた。理由もわからないまま涙が溢れてきた。さらに幼少の頃父親の運転する車でこの曲を聞いていた記憶、というか映像がフラッシュバックしてきてもっと泣いた。そしてこう思った。「なんて良い歌なんだ!!!」
いや、感想アホかよ。という感じであるが実際これぐらいストレートに脳と心が震えた。この曲を聞いていたあの日のリトル﨑原はきっと純真無垢な心を持っていて、目の前には無限の可能性が広がっており目に入る全てが輝いていたに違いない。これを思うとやり切れない。ああ、今の自分はなんて汚れてしまったんだ。彼女が欲しい、お金が欲しい、無限に眠りたい...なんと卑しい人間なんだ。さらに泣けてくる。あの頃の自分が思い浮かべていた22歳はこんなものだったのか、もっと誇りある立派な人間だったような気がする。でも時間は止まらない。時間も涙も流れ続ける。そんな諸行無常の響きを﨑原は『TSUNAMI』の中に見出した。だからこそ思い出の曲なのだ。
ちなみにこれはこぼれ話なのだが、この前カラオケでこの曲を歌った。その時は少々酔っぱらっていたのもあって、あろうことか歌いながら号泣してしまい、一緒に来ていた女の子に慰められるという何とも言えないイベントがあった。醜態をさらして情けないというか慰められて嬉しいというか、非常に複雑な気持ちであった。
このように、『TSUNAMI』は思い出の曲でありながら﨑原の心を律してくれた曲なのだ。幼き頃の心、いわば人生における初心を思い出させてくれた魂の曲である。そんな事情もあってもっと自分を磨かなければいけないと思い、ランニングと筋トレを日常的に行っている。人は涙見せずに大人になれない。『TSUNAMI』を聴いて歌って泣いてしまったけれど、俺は大人になる。立派な大人に。
(おわり)
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