最後のあとまで楽しむこと
水族館に行った。
年間パスポートを持っているので、もう何度も見させてもらっているイルカショー。
たくさんのお客さんを沸かせ (人数制限あり) 、ショーは終わり、あんなにいたお客さんが、引いていく。
すっからかんになった大きな会場。
音楽も止み、だれもいなくなった会場。
その 1 番前の席で、ずっと、ずーっと……
次女 (1 歳) が拍手をしていた。
静まりかえった会場で、ずーっと…。
その姿が、とても、好きだった。
波がおさまった静かなプールを見ながら、私も一緒に拍手した。
すると、イルカたちのステージ上だけでない、ふだんのトレーニングの姿が思い浮かんだ。
次女は、イルカの背景の姿も褒め称えているような、良いものを見せてくれてありがとうの感謝を送っているような、そんなふうに見えた。
最後のあとまで見届けたその空気感は、とても気持ちよかった。
私はあまり映画を見ないのだけれど、たまに映画館に行くと、最後の最後の、エンドロールの終わりまで見届けて、拍手をする人が、素敵だなと思う。
映画の話の部分が終わったと同時に、席を立ってシアターを出て行く人がいるなかで、最後の最後まできちんと座席で見届ける。制作者の名前や背景に思いを馳せるそのたった少しの余韻の時間が、映画の満足度を上げてくれる気がする。
*
あれは、もうずっと前の夏。私が夫と初デートで花火大会に行ったときのこと。
道に迷って、花火会場に着いたときには、もう時間ぎりぎりで、すでに会場の芝生は、足の踏み場もないほどの観客で埋めつくされていた。
どこか、座れる場所あるかな、と言いながら、すでにいい感じに酔い盛り上がっている敷き詰められたシートのあいまを、つま先立ちしながら縫って進んでいき、中ほどに、ぽっと奇跡的に空いていた草むらの上に、ふたりでこじんまりと座った。
…花火のことは、あまり覚えていない。でもとても、きれいだった。
終わってから、さぁ、と一斉に皆が会場を引き上げていくなか、夫が、「はい、これ、」と言って、かばんから缶ビールとチューハイを取り出した。
プシュッ
え、いまから?
周りがもう花火を見終わって、駅に向かって大移動していく。そのなかで、私たちだけ、芝生の中に小さく座ったまま、お酒を開けた。周りの流れの中で、私たちの空間だけ、止まっていた。
…どれくらい話し込んだだろう。
いつの間にか、あんなに人混みだった空間は、まったく別の場所のように静まりかえり、屋台の灯りも消え、私たち以外にだれもいなくなって、遠くの方にごみ拾いをする警備員さんたちだけが、ちらほらと見えた。
この時間は、これまでの夫との時間のなかでも、とても心に残っている時間だ。
花火が終わってから始まった私たちの時間。
きれいだった花火の余韻に浸りながら話し込んだひととき。
すごく濃く、すごく深く。なにか、ふたりの心の奥のほうで、繋がれた時間だった。
終わりの先まで楽しむこと。
その夫の姿は、結婚してから今もずっと変わっていなくて、毎年家から眺められる大文字の送り火を見るときも、周囲の人々が点火の瞬間に注目し、そのうち去っていくなか、私たち家族は、大の字が消えてゆき最後のまばらな炎のひとつが消えゆくまで、見届ける。
そこで、なにかを願い、なにかに感謝する。
イルカショーの最後が終わってからも、拍手を送り続けていた 1 歳の次女。
私が夫のいいなと思っている部分を、自然と生まれながらに受け継いでくれていた。その姿が、とてもうれしかった。
*
なにかイベントがあるとき、準備を楽しんで、わくわくして、いざその時を迎える。けれど、じつはその終わりの先にも楽しみがあって、イベント本体の楽しみをもっと豊かにしてくれるのかもしれない。
終わりの先まで楽しむこと。
それは、イルカショーとか、花火大会とか、そういう目の前にあることの、もっと奥の方にあるものに、触れられる時間かもしれない。
------(感謝)------
このひと月ほど、(忙しくて)しばらく note をおやすみしていました。その間に、note 公式さんの「はっとする気づきや学びがいっぱい 「#子どもに教えられたこと」note11選」という記事に、私の以前の記事 (「小さなにんじんから知った、うれしい褒め方」) を選んでいただいたり、コメント欄にコーヒーマーク☕️を付けて、いたわって下さる方がいらっしゃったり…。とてもうれしく、あたたかい気持ちになりました。本当にありがとうございます。
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