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ゆるす心

20代前半のころ、大変お世話になった課長がいます(今はたぶん部長)
自律神経が乱れすぎて、血圧(上)72(下)47のとき、「加藤さん、あかんで。死ぬで」と心配しながらも、関西弁でなごませてくれたり、野菜ばかり食べて全く炭水化物とタンパク質を摂取していなかったので、ガストに行って、ご飯を食べさせてくれたり。本当に上司兼父のような方で、目をかけていただきました。感謝しかありません。

頭でっかちだった至らぬ私。今考えると、たぶん沢山ゆるされて、寛容な心で受け入れてもらっていたのだと思います。
「許された側」というのは、「許された」という事実に基本的に気づいていないことが9割だと思います。自分が気づかないところで、年長者や精神的に成熟している人に「そういうこともあるよね~」って、目をつぶって受け流してもらっていることが大半。

きっと、過去を振り返っても、「許された」ことに気づくことすらしないでしょう。主張なき心に何度も何度も、大目に見てもらって、今があると思います。

過去、私を許してくれた人たち全員にはもう会えないかもしれないけれど。
きっと、先人たちに目をかけてきてもらった分、私たちが許されて。
私たちが許された分、だれかを許すことで、地球全体の帳尻が合うような気がします。

ゆるすことは、過去を清算すること。
自分を鎖から解き放つようなこと。

誰かの行動に×をつけるより、好きな人と感動できる自分であれるように。
たぶん、好きな人と好き場場所で好きなことをするほうが何倍もたのしい。

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