炉心溶融は6のサイクルの限界を示す現象
無限の生命エネルギーつまり純粋意識は、7のサイクルに基づく永続のメカニズムにおいて機能します。
そのエネルギーの経路となる数字を扱う者が神官であり、6のサイクルで運用される現象界においてそれを実践する者は奇跡をもたらします。
6のサイクルはマインドが作り上げた虚構の中で活動する意識が知覚できる領域であり、その虚構に無限からの生命エネルギーがもたらされることで、現象界において生命を継続させることができます。
ただし、無限からの生命エネルギーそのものを6のサイクルに取り入れることはできません。
無限からの生命エネルギーは、6のサイクルの意識にとって不可視・不可知領域にあり、7のサイクルに基づく永続のメカニズムを介して可視・可知領域の6のサイクルで運用することができます。
7のサイクルに基づく永続のメカニズムが6のサイクルにおいて可視・可知化されたものが曜日であり、無限からの生命エネルギーが6のサイクルに導入されるアンカーとして機能しています。
曜日が同じ順番で無限ループしていることは誰でも知っていることですが、それがどのような仕組みで機能しているのかはまだ解明されていません。
一日を4分割するアングルと、カルデア配列の7天体を昼夜で14種に分類し、一週間を構成すると、トーラス構造となることを筆者が発見したのは、遊び半分で占い師の仕事をしたことが発端であり、個人的な思惑は介入していません。
原発に携わる物理の専門家が7のサイクルについてどのように扱っているのかは、私の認知するところではないのですが、6のサイクルでは手に負えない問題を抱えていることは端から見ても明らかです。
私は意識の領域と時間の概念について6のサイクル(マインド)と7のサイクル(ハート)の連携を提唱しているので、全く違う分野からの素人の一見解に過ぎません。
日本列島になぜ原発がいくつもあるのかというと、江戸時代まで日本は7のサイクルで運用されていたのですが、明治以降の近代国家体制は6のサイクルで運用されるようになったことと関連します。
生命エネルギーの源は7のサイクルで活動しており、6のサイクルはそれを受け取って継続させる虚構に過ぎません。
7のサイクルに実在している生命が、6のサイクルにおいて転写されシミュレートされています。そこで反転が起こります。
通常それは、聖者によって奇跡として現象界にもたらされますが、日本では聖者という固定的なポジションは存在しません。
はじめから7のサイクルでそれぞれが永続のメカニズムを担い、そのまま無限の生命エネルギーを受け取っていたからです。
つまり、いつでもどこでも誰でも聖者になりうるので、特定できなかったのです。
ところが、西洋から近代国家体制を取り入れることによって、一つ下の階層の6のサイクルで活動することになり、しかも、その6のサイクルの方が優れていると思い込まされ合わせなくてはならない状態を明治以降続けています。
本来の在り方を入れ替えているのに、はじめからそうであるかのように取り繕うことでますます歪みが拡大して行きます。
6と7というサイクルは、機能の違いであって、優劣ではありませんが、そこにも錯誤があります。
その状態をリアルタイムで表している現象が、原発です。
永続のメカニズムは日本だけで継承されて来た叡智であり、明治以降制限付きで外国にも伝えられるようになりましたが、無条件降伏によって、6のサイクルで運用される戦勝国に生命エネルギーをもたらすため無制限に解放されていました。
しかもその6のサイクルを崇めるように洗脳されているので、喜んで差し出しています。
日本を訪れる外国人が増加の一途を辿り、ますます6のサイクルを強化しているため、本来の7のサイクルで活動する生命エネルギーとの連携にノイズが紛れ込んでいます。特に水は最優先に浄化が必要です。
1945年から75年目の2020年を来年迎えます。
これから先も、一つ下の階層である6のサイクルに合わせそれが優れたことだと思い込まされて現象界で活動するのか、あるいは、本来の7のサイクルに回帰するのか、それは各自に選択権があり、決められていませんが、もうこれ以上ごまかすことはできないのです。