考察:信州のせつない話
私は、方言や、方言についての話が大好物です。
厳密には方言とは別かもしれませんが、語彙として標準語に存在していて、標準語とは違うニュアンスで使われる言葉について、考えてみました。
その一つが南信地域における
「せつない(切ない)」
です。
※もしかしたらごく一部の地域に当てはまる内容かもしれませんのでご了承ください
「せつない」は、みな知っている言葉だけれど、説明しようとすると難しいし、口にする頻度は低いと思っていました。
たとえば私の場合は、映画や本に感情を動かされた時に使うくらいだったのです。
現実にも、せつない状況はあるにせよ、いずれにしても結構エモーショナルな形容詞で、濫用するのはおかしいという感覚でした。
ところが、現在私が暮らしている土地では、地元のおばあさんたちが、しょっちゅう「せつない」と言うのです。
但し、どういう文脈で使用するかというと、
「朝から頭が痛くてせつない」
「腕が上がらなくてせつない」
といった具合。
要するに、身体の痛みや不調を表現したい時、自然に出てくる言葉らしいのです。
本来の「せつない」の定義を調べてみました。
辛い。悲しみや恋しさで、胸がしめつけられるように苦しい
―『類語活用辞典』磯貝英夫・室山敏昭 編(東京堂出版)
とあります。
「つらい」ですから、全く違う意味になってはいません。続く部分に注目です。
<辛い>は、『病気で息をするのも辛い』のように、生理的・感覚的な苦しさにも使うが、<切ない>は自分の置かれた立場・境遇からくる精神的な苦しさについて用いる
標準語の「せつない」はあくまで精神的なつらさを表すとのことです。
南信でも「つらい」「苦しい」はもちろん使いますし、そのような言葉を「せつない」に全て置き換えられるわけではありません。
しかし
生理的・感覚的な苦しさに対して「せつない」を使用できる人たちは、精神の苦しみに対しても「せつない」を使用しやすい傾向があるかもしれません。
「孫と会えなくてせつない」
「野菜が高くなってせつない」
のように、身体の苦しみとは関係なく、悲しみや遺憾を表すケースもいろいろあります。
もちろん、苦しみの程度が本当に様々ですので、そのときの相手の話をよく聞いて、受け止める必要がありますね。
最後になりましたが
おばあさんたち、と書いたのは、男女共に使う言葉と思われるものの、どこの地域でも男性は感情を女性と同じほどには口に出さない傾向があるので、私が聞く機会は少ないのだと思います。
そして、比較的若い世代、特に核家族で生活している人たちは、土着の用法では「せつない」を使わなくなっているように見えるからです。
ご清聴ありがとうございました。