風邪を引いてしまった
家族中で風邪が流行っている。私もかかってしまった。ちなみに新型コロナではない。きちんと病院で検査してもらい、陰性であると証明された。前回かかった新型コロナでの症状は家族それぞれ今のような感じでもなかったので、やはり普通の風邪だろう。
普通の風邪というが、どんな症状かというと、まず空咳である。熱もないし体もそんなにだるくないのだが、空咳が止まらない。もう罹ってから一週間近くになるが、一向に止まる様子がない。困ったものだ。ちなみに病院で診察を受けたが、喉は腫れておらず肺も問題ないとのことだった。何故だ。
咳が止まらないので一日休暇を取った。周りの人にうつしたくなかったのだ。そして一日ぼんやり過ごしていたが、暇で仕方がない。本を読むにも咳のせいで集中できず、Netflixなどで何かを観ようにも起き上がるのが面倒くさい。
そうすると、嫌な思い出が浮かんでくる。
少し前まで、嫌な思い出というと誰かに何かされた、言われたことだった。一旦覚えてしまうと幼稚園時代のことまでエピソードを忘れられない私だが、ちょっとした瞬間にフラッシュバックとまではいかないが思い出してしまう。あのとき馬鹿にされた……とか、あの人にいいように利用されていた……だとか、今となっては会うこともない人や覚えていてもしょうがないことまで思い出してくよくよしてしまう。
最近はしてしまったことを思い出しがちだ。友達を裏切ってしまった、そういえばあのときから友情が終わってしまった、私がやってしまったからだ、など思い出す。自分によくしてくれた人を裏切ったのは、本当に情けなく、自分の記憶に刻んでおくべきことだと思うが、今じゃない、というときに出てくるのが困ったことである。
自分の罪の記憶は自分を情けないつまらない人間だと思わせてくるし、このように他者を裏切ってばかりの自分は、他人に深く関わる資格がないと考えがちになる。
そんなときにヤマシタトモコ『違国日記』の最終巻を読了した。
何となく紙で買い始めたはいいが、実は他の紙で買い集めている漫画ほどピンときていなかった。ただこれが自分に必要な作品だということは認識していて、ピンとこないながらも最終巻まで買い続けた。
小説家の槙生が、勢いで姪を引き取ることから物語は始まる。両親を事故で喪った姪の朝は、槙生が大嫌いな関係の途切れていた姉の子で、それ故に彼女は朝を愛することは不可能だと感じる。また、彼女はひどい人見知りで、前の恋人とのことを見ても人を愛することに困難を抱えているようだ。朝は真っすぐで素直で、人に愛されることについて砂漠のように渇いた心を持っている。
そんな槙生が朝を愛する話。そんな朝が槙生から愛される話。
最終巻でようやく腑に落ちた。私がこの作品を読むべきとしていたのは、槙生が必要としていたことと私が必要としていたことと同じだなと思ったのだ。その困難さを知っていたから、私は槙生に共感したのだなと。
親子とは言わずともほんとうの意味で愛を与え、与えられる関係になった槙生と朝を、眩しい思いで見つめながら、物語は終了した。
私が槙生に共感するのは、「このような自分が他者に深く関わっていいのだろうか」という問いを抱えているからだ。彼女の物語はそれを肯定していた。勇気を与えられつつ、過去の罪と戦っていこうと決めた。まだまだ思い出す癖は続くだろうが、この作品を胸に打ち消していきたい。