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映画『シャイン』が教えてくれる人生の光
久しぶりに映画「シャイン」を観た。
ずっと以前に観た映画だ。何度目だろう。4回目か?
今回は少し冷静に観れた気がする。
挫折と再生の実話だ。
(注意:以下、映画のネタバレが含まれています)
物語は土砂降りの中、主人公がレストランのドアを叩くシーンから始まる。
哀れな中年の男。閉店後の、でもまだ従業員が二人と馴染の客が一人。
従業員の女性は親切に彼を中に迎える。
馴染の男は迷惑そうなそぶりを見せる。
回想が始まる。
小さな町の音楽コンクール。
たどたどしい歩き方でピアノに向かう主人公の少年、デイビット。
少年は厳格な父親に支配されている。
そこでデイビットの才能を見出す教師に出会う。
教師は自分が指導したいと願い出る。
だけど父親は教師の申し出を拒絶する。
息子を自分の手元に置くことにこだわっているのだ。
その父親に大きな壁が立ちはだかる。
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」この曲を息子が弾きたいと言い出したからだ。
それは父親が示唆した事ではあるが、自分には教える事ができない。
能力を超えているのだ。
そして一度は断ったピアノ教師に息子を託す。
序盤はこんな感じだ。
父親と息子の関係はいびつだ。
暴力と叱責。
それでも父親は息子を愛していた。
伝え方がわかりにくいだけだ。
それが正しいかどうかは別として。
デイビットは才能を開花させる。
ピアノコンクールで優勝を争うようになる。
アメリカから留学の話が来て準備をするが最後には父親に反対される。
何年かの後、今度はイギリスへの留学の話が来る。
信頼できる作家の後押しもあり父親の反対を振り切りイギリスへと向かう。そこでも才能を認められ、
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」に挑戦する。
だけどその演奏の直後、精神を病みピアノの世界から消えてしまう。
その病みは、突然起こったのだろうか?
遺伝的なものだったのだろうか。
それがわかっていて父親は息子の留学を反対していたのだろうか。
その説明はなかった気がする。
僕が気が付かなかっただけかもしれないけど。
デイビットは長い療養生活を強いられる。
放っておいたら他人に迷惑をかけてしまうレベル。
拘束はされないまでも入院は強制で誰も引き取り手が居ない。
やがて転機が訪れる。デイビットのファンだったという婦人が現われ引き取ってくれる。
だけどそれも束の間、デイビットは見放されてしまう。
安アパートに放り込まれ、道を彷徨い、冒頭のレストランにたどり着くのだ。
現在から過去にさかのぼり、時に現在を織り交ぜながら過去を巡り、現在のたどり着く。
それは最初の現在と違う印象を僕に与える。
こういう事かと思う。
彼の人生を共有するための時間。
もちろん1時間やそこらでは全てを理解は出来ないが映画製作者はあらゆる手を尽くして伝える。
そして現在を主人公と一緒に、ラストまで駆け抜ける。
デイビットはそのレストランでピアノ弾きとなり、自分の場所を見つける。本当の理解者と出会い結婚する。
そして復活する。コンサートを開くのだ。
大勢の人に祝福される。その中には、母親や姉妹、そして最初に見出した教師も居る。
デイビットは言う。
「人生は続く。途中で捨てないで生きていく。それが人生だろ?」
誰にでも挫折はある。
した方が良いという考え方もあるだろうけど、できればしたくない。
挫折をバネに復活する物語はたくさんある。
でも一方で、そのまま沈んでいく人の方が圧倒的に多いのだ。
出来たら順風満帆の中、人生を最初から最後まで過ごしたい。
それでも失敗し挫折したなら、復活し再び、輝きたい。
僕にもそれができるだろうか。
そろそろ行動を起こさなくてはいけない時だ。