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「変容」ってなんだろう
そういえば改めて、“変容”って、なんだろう?
「変化」とか「成長」っていう言葉は、
よく企業研修とかでも見かけるワードだけれど
そうした言葉と“変容”とでは、どうニュアンスが違うのだろう?
* * *
そんな事を思って調べていたら、こんな記事をみつけました👀💡
「変容」は、英語ではトランスフォーメーションtransformationと呼ばれ、「変化」changeと区別されています。
「変容」は、「変化」に比べてより大きな、あるいは本質的な変化をさしているんです。
教育の世界に変容というコトバを持ち込んだ教育者としては、ジャック・メジローが有名です。
メジローは、パースペクティブ・トランスフォーメーションというコトバを使い、
「変容とは、視点(視野)そのものが変化するすることなんだ」という表現をしています。
視点が変わると、見えている世界そのものが変わります。
自分に対するイメージも変わるんです。
つまり、新しい自分を手に入れられる・・・
「変容」というコトバのイメージは、
サナギが蝶になるイメージです。
それは連続した命であるにもかかわらず、別の生き物のように生きていくことができる
まさにそんな生き方を手に入れることこそが
この「変容教育」トランスフォマティブ・ラーニング、transformative learningの目的なのかもしれません。
なるほど!
“視点そのものが変化すること”を変容というというのは、何だかしっくり。
この文章読んで思ったこととしては、
変容というのは、
変化の中でも特に“内面的な変化”、
しかもAがA’になるというような変化ではなく
AがBになるというような変化
(イモムシが形状を同じままにして大きくなるような変化ではなく、イモムシがサナギになり、サナギがチョウになるという“全く違った形状になるような変化”)
のことを言うのかな。と思ったり。
イモムシの例が分かりやすいので、さらに想像すると、イモムシ目線ではイモムシ時代とチョウになった後とでは当たり前だけれど見える景色がぜんぜん違うと思う。
イモムシの時は、食べれば食べた分大きくなって、生まれた頃には大きく見えていた葉っぱが気づいたら小さく見えると言う経験もしたかもしれない。だけど、人間や家や大木といった対象のことは、見上げるばかりだったろうと思う。
チョウになったら、そんなイモムシの時とはそもそも見える景色もぜんぜん違う。人間や家や大木といった対象も、時には空から見下ろすこともできるし、イモムシ時代と同じ場所をうろうろしても、きっと世界がまるっきし違って見えるはず。
…イモムシを例に取ってみたら、“変容”と言う言葉に内包される意味も、少し理解が深まった気がする。
ちなみに、イモムシとチョウは形状が全く違うけれど、サナギの時には何が起きてるんだろう?
と疑問に思ったことがあって、調べてみたら、
チョウになる前サナギの中は、一回ぐちゃぐちゃになるらしい!(え!?)
これもまた、とてもとても興味深い。
自然の不思議。👀
あ。
あと追加で思ったのは、変容って不可逆という性質を持つかも。
一度チョウになったら、サナギやイモムシには戻れないのと一緒で、
一度変容したら、変容前には戻れないし、仮に前に戻ってしまうという事象が起きるとすらなら、そもそもそれは変容できていなかったということになるんじゃないかな。
* * *
話は戻って、じゃあ、
人が“変容”するということはどういうことなのだろう?
変容に必要な要素ってなんだろう?
どんな過程を経るのだろう?
そんなことを、引き続き考えてみようと思います🧑🦋
それでは、また!
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