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魂はどこにあるのか マリオ・人間・そして銀河

 僕が生涯を懸けて知りたい事のひとつである「僕に魂があるとどうやって証明できるのか問題」なんですけど、最近YouTubeのおすすめがそれに呼応したのか、「魂が無い人間」についての動画サムネイルをよく見かけます。
 都市伝説系ユーチューバーのミルクティー飲みたいさんは映画『マトリックス』(ウォシャウスキー監督)を例に挙げて説明してました。
 つまり、仮想現実の人間=魂が無いアバター、現実の人間=魂がある人間、という分け方です。

 今回の記事はかなり哲学的な内容となります。
 哲学的素養が少しでもある方にはわかりやすい内容ですので最後までお読みいただけるとありがたいです。
 哲学的対話をしましょう!

あらかじめの注意書き

 僕が知りたいのはさらに一歩先の「現実の人間に魂があることをどのように証明できるのか」ということ。
 この世界(と思っているもの)がコンピュータ上のプログラムだとして、それはまぁ良いと。ではそのコンピュータプログラムのアバターを操縦して遊んでいる存在に魂があるんですか?


■『マトリックス』、『インセプション』、『かまいたちの夜』

 『マトリックス』では、僕たちが世界だと思っている空間が実は仮想現実で、そこで生活しているアバターたちは繭の中で寝ている現実の人間が見ている夢、という構造です。
 そして繭の中の人間の方には魂があるという感じ。
(厳密に言うと『マトリックス』は魂の有無に言及してません。本稿の便宜上『マトリックス』による魂の所在について説明してみました)

 『マトリックス』を鑑賞している我々は、仮想であるマトリックス世界と、そこから目覚めた現実世界との図式により、安易に「マトリックス世界=仮想、ゲーム的」「現実世界=本物、リアル」と把握します。

 さらに別の映画を用いて例えますが、『インセプション』(クリストファー・ノーラン監督)の多層構造も本稿の説明に加えたいと思います。
 『インセプション』が描くのは「夢から醒めたら現実ではなくまだ夢」というものです。
 夢の中で夢を見る。その中でさらに夢を見る、という具合に何層も深く潜っていきます。

 次に、印象深いゲームを例に出します。
 2024年11月に30周年を迎える『かまいたちの夜』に登場するバッドエンドの1つにも、『インセプション』と似た多層構造が描かれます。
 ペンションを訪れた主人公はスーファミを見つけます。そこで『かまいたちの夜』というゲームをプレイします。自分と似たようなキャラ。そして世界設定。ゲームを進めていくとそのキャラはペンションを訪れ、そこでスーファミ『かまいたちの夜』をプレイします。そしてその中でも自分と似たようなキャラが登場します。
 ゲーム内ゲーム内ゲームのキャラがスーファミの電源を切る。その手前のキャラもスーファミの電源を切る。そしてその手前のキャラも。
 最後には、自身も「僕を操作していた何者か」によって電源を切られてしまう、というバッドエンドです。
 この哲学性に僕はかなり衝撃を受けました。
 「僕を操縦しているのは誰なんだ!」と。

 繭の中で夢(仮想現実)を見ている人間。『マトリックス』。
 繭の中の人間も、実は誰かの夢でしかなかったら。『インセプション』。
 夢の中の夢の中の夢の中の……、とどこまでも実態が無い構造だとしたら。『かまいたちの夜』。

 魂は誰の肉体にあるのでしょう。

■マリオは僕のことを理解できるか

 僕が書いた小説『うつせみの代わりに』でもこの哲学的問いを登場させました。

 ゲームのキャラクターであるマリオは自身に魂があると思えるプログラミングはされていません。
 する必要が無いですし、そもそも人間にそのようなプログラムは設計できないでしょう。人工知能がいつまで経っても完成しないのと同じです。

 マリオは自身に魂があるかどうかで悩むことが出来ない。
 もちろん自身がゲーム世界の外にいる人間のコントローラーさばきによって操縦されていることも理解できません。
 操縦されているとも知らずに、キノコを取ったり炎に焼かれたりしているマリオ。

 同じようなことが実はこの僕にも起こっているのではないか、と仮説を立てます。
 つまり、プログラミングされているということです。
 僕は高次元の存在に操縦されていて、noteを書いたり、映画を観に行ったり、政治に怒ったりします。「神とは、魂とは」などと考えたりもします。
 ですが高次元の存在を把握するようにプログラムが組まれていない。
 つまり僕が僕でいる限り、僕がプログラムであることとか、高次元の存在に操縦されていることとか、自分に魂があることとか、それらを知る方法がありません。
 マリオが操縦者である僕のことに永遠に気付けないように。

 そのように考えるとこの僕には魂がありません。
 ただのプログラムなので。
 でも僕に魂がある前提で生きるしかありません。
 そのようなプログラムなので。

■この世界にいる内は魂の有無を見分けられない

 つまり、この世界にいるうちは魂の有無を見分けられないのでは?ということです。
 高次の存在にしか見分けられない。
 その高次の存在はこの世界しか知らないこの僕からすると神にしか思えないでしょうけど、実際はただのゲームプレイヤーかも知れません。
 マリオを操縦する僕。その僕を操縦する高次の存在(ゲームプレイヤー)。
 そしてそのゲームプレイヤーも、より高次元の存在に操縦されているのかも。さらにその存在もさらに上の次元の存在に……

 その操縦者は、与えられたゲームをただプレイしているだけなのかも知れません。言わばテストプレイヤーです。
 バグがあるかどうかをチェックするために様々なコマンドや動作を試すテストプレイヤーでしかない。より高次元の存在として、テストプレイを依頼する存在があり、さらに高次元にそのゲームを創造した存在があるのかも知れません。

 僕らが今暮らしているこの世界が、ただのテストプレイの場でしかないとしたら。正規版ではないためバグだらけですし、何度も保存やリセットを繰り返されているのでしょう。
 バグは修正され、いつか出荷されるのかも知れません。

 もしこの世界がただのテストプレイ中なのだとしたら。
 とても痛快じゃないですか?

■銀河まるごと1個魂説

 僕に魂があるかどうかを僕は判別ができない。
 そこで僕は大胆な仮説をひらめきました。

 魂はこの銀河に1個しかないのでは、と。
 銀河全体で1つの魂なのでは、と。

 銀河サーバーにスポーン(ゲーム用語。フィールドにプレイングキャラが登場しスタートすること)した僕。他にも70億もの人型キャラがいたり、他にも犬型とかウイルス型とか昆虫型とかのキャラもスポーンしてます。
 地球エリアは2024年現在キャラが集中しているようです。

 そして、地球エリアを含むこの銀河全体でひとつの魂を保有しています。
 銀河サーバー全体でひとつです。
 そのため銀河サーバーがダウン(つまり消滅)したらすべて終わりです。
 魂=ゲームタイトル=銀河という感じ。

 マリオに例えると、クリボーを何匹撃破しても無限に登場しますよね。そしてマリオ自身もやられても何度も無限に登場できます。
 それは『スーパーマリオブラザーズ』というゲームタイトルがあり続けるからです。
 ゲームタイトルが魂本体であって、そこに登場するマリオ(僕)はメインではなく、もちろん魂もありません。諸々含めた全体が魂だからです。

 キャラが死んだところでサーバー自体は生きてますから、いつでもリスポーン(再出撃)できます。
 キャラ死のペナルティは様々で、記憶が引き継がれる人もいれば、まったく違うキャラとしてスポーンする場合もあります。リスポーンするための待機時間もバラバラです。

 つまり、キャラの死は魂の死にはなり得ない。
 銀河サーバーが存続する以上、魂は消滅しません。
 ただキャラがキルされてるだけ。
 レベルやステータス、所持アイテムなどは引き継がれませんが、ゲームタイトル自体はずっとプレイされ続けている。そんな感じです。

 人物キャラなどは銀河魂からしたら極小の塵に等しい。
 地球エリアにスポーンしたらあとはほっとかれます。
 銀河魂がサイクルする上で勝手に発生する垢のような存在である人物キャラ。これらが勝手に行動しているだけで、大もとの魂は銀河ひとつだけです。

 今認識しているこの世界は、雑多で膨大なジャンル(レーシングゲームやシミュレーションゲーム、RPG、戦略ゲームなど様々)のゲームがごちゃまぜになったゲームタイトル(魂銀河)なのかも知れません。
 そう考えると僕に魂があるかどうか、魂はどこにあるのか、など考えること自体ナンセンスとなります。
 何を考えても僕は結局銀河の付属物であり、垢のようなもの。
 人間は考える葦、ではなく、考える垢なのかも知れません。

■まとめ

 飛躍し過ぎて意味不明かも知れません。
 哲学深度全開でお読みください。

 僕は僕に魂があるかどうか判別できない。
 もちろん他の生命に魂があるかどうかも判別できない。
 この世界がゲームだったら?
 そして、銀河全体がひとつのサーバーだったら?
 そのサーバーにいる以上はずっとゲームは終わりません。
 キャラが死ぬことはありますが、リスポーンします。

 銀河全体でひとつの魂であり、キャラはただのプログラムです。

 他の銀河サーバーが襲ってくることは今のところ無さそうです。
 今はただ粛々と地球エリアをエンジョイプレイするだけです。

 銀河サーバーという1つの魂システムの中にキャラとして存在する僕たち。地球エリアでは毎日のように生命が死んだり産まれたりしています。
 それらを含めて1つの魂システムです。
 人の生き死に程度ではこの魂システムに大きな影響を及ぼすことができません。
 マリオが何回死んでもゲーム内容に一切影響を与えることが不可能なように。

 以上が僕の考えた「魂について」です。
 「僕に魂があるとどうやって証明できるのか問題」のひとまずの解答は、「証明できない」です。
 僕がこの世界にいるうちは証明しようがありません。
 そして、銀河全体でひとつの魂であり、僕やあなたや柴犬やバッタや微生物や……、これらすべての生命は、銀河魂にとってほんのわずかな一部でしかない。

 魂から出るフケの程度の存在である僕たち生命体からは、本体である魂の思惑など見通せることも理解することも出来ないのです。
 垢が人間全体を想像も創造も出来ないのと同じように。

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