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『ブラッシュアップライフ』はタイムパラドクスが生じるか



タイムパラドクスという言葉をご存知の方も多いと思われますが、考察を進めるために条件を見直してみたいと思います。
タイムパラドクスは時間にまつわる哲学的思考やSF作品において重要なルールと言えるでしょう。
一番わかりやすいのは「親殺しのパラドクス」です。
軽く説明します。

僕が数十年前に時間を移動し、両親を殺してから元の時代に戻って来ました。
ですが両親は死んでおり僕は生まれていないためこの時代に僕は存在していないことになっていました。
となると数十年前に時間移動をして両親を殺す僕も存在せず時間を移動し両親を殺すことができません。
となると両親から僕が生まれることになり、その僕は数十年前に戻って両親を殺します。
となるとこの時代に僕は存在せず、となると僕は存在し・・・

このように、必ず矛盾が生じる状態をタイムパラドクスを呼びます。
ではこれを踏まえて『ブラッシュアップライフ』について考えてみましょう。
以下ネタバレを含みます。


近藤麻美(安藤サクラ。通称あーちん)は人生をやり直す機会を与えられました。
これまで過ごしてきた記憶を持った状態で0歳からやり直します。
2回目の人生は1回目の経験を踏まえて問題を回避できます。
4回目の人生の時に「私は5回目だ」と宇野真理(水川あさみ。通称まりりん)から告げられます。
そして宇野真理が人生をやり直したことにより実は近藤麻美の記憶にない人生があったことがわかります。
その後宇野真理が死に、近藤麻美も死んでしまいました。
そして近藤麻美が再度人生をやり直し宇野真理と再会すると、近藤麻美は5回目、宇野真理は6回目の人生となっていました。

これらのことからわかることを整理します。
・やり直しの回数は平等に1回ずつ増えていく
・回数が少ない方はその分だけ知り得ない人生が存在した

■ タイムパラドクスではなくリセット


では「タイムパラドクス」が生じるか考えてみましょう。
先ほどの「親殺しのパラドクス」はまず発生しないことがわかります。
彼らは生まれる前に遡っているわけではなく、あくまで生まれ直しているだけです。
なので毎回人生が変わることはあっても「存在しなくなることで存在することになり…」というようなパラドクスは発生しません。
そして死ぬタイミングはバラバラでも生まれ直す回数は同時です(つまりあーちんが1回やり直してる間にまりりんが2回やり直した、ということがあり得ない)。
つまり「タイムパラドクス」ではなく「リセット」というのがわかりやすいでしょう。

『スーパーマリオブラザーズ』で例えてみます。
マリオはクリボーで死んだりタイムアップで死んだりしますが、プレイヤーのスキルは上がっていきます。
毎回死に方や死ぬタイミングは違いますが、「死ぬこと」や「リセットできること」には変わりありません。
そしてリセットすると1−1からスタートになります。
決して「僕がリセットしたせいで君の『スーパーマリオブラザーズ』からマリオが登場しなくなってしまった」ということはあり得ないのです。
『ブラッシュアップライフ』が特殊なのは、先にリセットした場合、みんながリセットするまでは次回のゲームをプレイできない、ということです。そしてプレイできる回数に限りがある、ということです。
河口美奈子(三浦透子)が4回目にプレイしてる時に宇野真理は1回目のプレイを始めて、近藤麻美はまだプレイしていない、という感じです。
やり直した回数に違いがあるため生きた総年数にも違いがあり、それに伴い記憶にも差が生じますが「タイムパラドクス」は発生しません。

今のこの世界が誰かの8回目だったり、また別の誰かの5回目だったりするかも知れませんが、僕にとっては毎回のように1回目としてしかあり得ず、この世界が幾度書き換えられようとも、それを認識することなど不可能なのです。
誰かが、きっと良くなるためにと書き換えてくれたこの世界を大切に生きようと思います。

※これらは僕の見方なので「いやいやこれだとタイムパラドクスじゃないですか」という視点をお持ちの方のご意見をぜひ頂戴したいです。哲学的思考の海にダイブしましょう!

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