【浅草】並木藪 江戸っ子の粋なお蕎麦
通、というほどではないけれど、蕎麦が好き。
スーパーで売っている乾麺の蕎麦でも、喜んで食べるくらいだから、蕎麦通の人には顔をしかめられるかもしれないけれど。
それでもやっぱり、ちゃんとした蕎麦は別格で、身体に染み入るような風味があって、ひと吹きの清涼が体内をかけめぐるみたいに感じる。
先日、浅草に用事があった際には、久しぶりに〔並木藪〕へ立ち寄った。
日本のお蕎麦屋さんの中でもトップクラスに好きな銘店。
前にも何度か蕎麦屋さんのことをここで話題にしているから、言ってることが重複するかもしれないけど……。
江戸伝来の蕎麦つゆは、とても濃い。
そのままでは、かなりしょっぱい。
なので、蕎麦をすするときは、その先端だけをちょいとつけて食べるのだ。
「これが、江戸の蕎麦のやりかただから……」
と、よくわからないなりに、最初はそのお作法に従っていたけれど、そのうち、
「あああ、なるほど、この食べ方の理由がわかった!」
大人の真似事をしたがっていた、大学時代のある日、ようやくひらめいた。
蕎麦には、独特の風味があって、それが蕎麦ファンを虜にする。
けれど、それをどっぷりとつゆにつけると、せっかくの風味が減退する。
かといって、つゆをつけないわけにはいかない。
そこで……。
つゆは濃いめに作っておき、それを蕎麦の先端だけにつけて、一気にすすることで、
「蕎麦の風味が口の中にひろがって、鼻にもぬけていって爽やか! しかもつゆの味もしっかりつく!」
まあ、蕎麦に詳しい大人から見ると「何をいまさら、当たり前のことを……」と笑われそうだけど、わたしとしては、世紀の大発見だったのだ。
ものごとには、必ず理由がある。
東京の、蕎麦つゆの濃さにも理由があった。
◯
それで、並木藪。
雷門の、超過密な賑わいから南へ歩くと、人の通りはそうでもなくなる。
ゴールデンウィークから一週間ほど経った頃合いで、観光客もここまで溢れることもない。
それでも、人気店だから人の列ができているかもしれない……と思ったけれど、そうでもなく、すんなり入れてくれた。
好きな席に座ってよいというので、座敷へ上がって、窓ぎわからゆったりと店内を見渡す。
みんな、それぞれに無駄話で居座るでもなく、蕎麦に集中しながらも、なおかつゆったりした雰囲気で楽しんでいる。
「暑いでしょ、窓を少し開けましょうかね」
注文を取りに来た店員のおばさんが親切に風を通してくれた。
ちょっとした心遣いが、嬉しいよね。
◯
上品な更級の蕎麦を堪能し、蕎麦湯のどびんへ手を伸ばす。
わたしの場合、濃いのが好きなので、そのどびんをそっと揺らす。
なにしろ、そのまま注ぐと、うわ澄みの方が出ちゃうから。下には、蕎麦の成分が沈澱しているのだ。
ちょっと行儀が悪いのは、自覚している。
それを、残った蕎麦つゆへ注ぎ、蕎麦のなごりを愉しむ。
これが蕎麦屋でのお茶がわりだし、せっかくのつゆも残らず楽しめるし、ルチンが入っているから血液がさらさらにもなる。
余すところなく、蕎麦のすべてを堪能し、ほっと息をついたところで、ささっとお店を後にした。
(蕎麦ひとつとっても、お店によって、それぞれ個性あるよね……)
わたしの好きな、神田の〔まつや〕の庶民的な蕎麦、信州上田の〔刀屋〕の豪快で太切りな蕎麦。
それから、たった今あじわったばかりの〔並木藪〕の粋で品格のある蕎麦。
ところで、この時浅草へ来たのは、浅草寺の観音さまに願い事をじっくりたっぷりお祈りするためだった。
その願い、残念ながら届かず……ただ、克服しないといけないポイントが明確になってくれたし、いろんな人が、わたしを育てようとしてくれてるのは、お祈りの成果……なのかも?
実力が足りていないなら、そのためのジャンプ力をしこたま溜め込むまで。
ま、不安だらけなんだけどね。