祖母を蝕む病と最後に握った手 守護霊(稟僧)
私が小学4年の時に大好きだった祖母が亡くなった。
亡くなるまでは、時間的にあっという間だった
胃の具合が悪いのなら病院に行きなさいと母に散々言われているのに
『忙しい』・『病院は怖い』・『お金がない』の3言葉しか言わない人だった。
豆腐屋で油揚げをずっと揚げてきた祖母が突然 吐血した
そばにいた放浪生活をしていたおじちゃんが慌てて救急車を呼んだ
家からだいぶ離れた寂しい大きな病院に搬送された
診察の結果
末期の胃がんで余命は1か月ですと宣告された
父・母・母の姉・祖父・おじちゃんは唖然としてその場で母が泣き崩れたと聞く
祖母には「今まで仕事ばかりして疲れていたのだから休みなさい」というしかなかった。
とにかく肉が大嫌いな人で病院食も少し匂いがするだけでいらないと言っていたそうだが、薬だと思って食べなさいと言っても
「私はチャルメラが食べたいからそれもってきて」と言い
医師からは食べたいものを食べれるならそれでいいですよと言われて
今ではありえないが病院の調理場を借りて作っていたようだ
でも、入院してからあっという間に体重が落ちてしまい、薬もなかったので
そのまま弱くなるのを見ているしかない現状
ある日、父と母が病院から帰ってきたときに
乗用車の後ろに祖母が乗っていたので、元気になったんだと思って近寄ったら、すでに死亡していた
『おばあちゃんはね病院で亡くなったんだけどあまりにも寒い部屋に放置されてねかわいそうだから連れて帰ってきたの』
これも今では本当にありえないことで犯罪になるのかもしれませんが
だいぶ昔の話で注意だけで終わったと聞きました。
祖母の手は私と同じぐらいの細さになっていた。
私の誕生日の4日前に亡くなった。祖母のカバンの中に
ここちゃん。お誕生日おめでとうと割りばしの袋に書いてあって
プレゼントが明治のチェルシーと言う飴だった。
いまだにメモはとってあるが
飴を舐めながら号泣した。
あ~。私の心をうちを分かってくれる人がとうとうあっちに言ってしまった
というぽかんと大きな穴があいた瞬間
享年54歳 早いお別れだった
稟僧が右に出てずっと声をかけてくれていたことだけは覚えている
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