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ミッドナイト・イン・パリ(Midnight in Paris)【ぐすたふ】のシネマ徒然草子.Chapter13
このコロナ渦で海外旅行にいけないわたしたちに捧げます。
日本にはない、海外の街並みの美しさを味わえるこの作品を。
映画としてはそこまでドキドキハラハラといったスリルはあまりないのですが、コンセプトがオリジナリティ溢れていて、とても興味深いです。
アカデミー賞の脚本賞を取ったというのもうなずけますね。
そいだら、ほらほら、レッツゴーゴー。
※記事の中にはネタバレも含まれますので、これから映画を見ようと思っている方は作品概要以降、ご自身の判断で読んでいただけますと幸いです
1.作品概要
邦題:ミッドナイト・イン・パリ(原題:Midnight in Paris)
監督: ウディ・アレン
主演: オーウェン・ウィルソン、レイチェル・マクアダムス、マリオン・コティヤール他
制作国、日本公開年:アメリカ・スペイン、2011年
※画像はNetflixより、お借りいたしました
ストーリー概要:
脚本家として成功しながらも、「小説家」の夢を追い続けるギルは、恋人のイネスとともにパリにやってきた。
多くの著名な作家が集い語り合った憧れの街・パリに興奮するギルであったが、小説家として活動してきたいギルと、結婚を見据えて脚本家の仕事に専念して欲しいイネズは、旅行中もどうも噛み合わない。
ある夜、イネズに置いてけぼりにされ、一人でホテルまで帰ることとなったギルだったが、慣れないパリの街で迷子になってしまう。
そんなギルの前に、一台のレトロな車が停車する。車内の人たちは、彼に車に乗るよう声をかけてくる。
急かされるまま車に乗り込んだギルが着いたのは、とあるパーティー会場。訳がわからず参加したそのパーティーで、ギルは、すでに亡くなっているはずの著名な作家たちに遭遇することとなる。
なんとギルは、憧れの黄金時代:1920年代のパリにタイムスリップしていたのだ。
憧れの作家たちとの交流に夢中になるギルであったが、この不思議な体験が彼に大切なことを気づかせてくれることとなる…。
2.ぐすたふの「ここを見て!」
今日は私のツボに入ったキャラクターのワンシーンをピックアップ。
偶然出会ったサルバドール・ダリに呼び止められて、一緒に一杯交わすこととなったギル。
ギルが席につくや否や、ダリは突然「サイ(動物)の形状は好きか?」とギルに尋ね、またお互いにサイの絵を書こうと提案してくる。この時点でもう突拍子もないのだが、そのあとも、恋人のイネスともう一人の女性の間で揺れるギルの複雑な状況の話を聞くも「サイが見える…」と一人ぶっ飛んだ発言をし続ける。
そんなダリと接し、ギル自身も「自分にはシュールな想像力が足りないのかも」と謎の感化をされてしまうのであった。
といった具合に、サルバドール・ダリのキャラクターが面白すぎます。笑
本当にそんなキャラ?と少しwikipediaで調べてみたところ、なんともユーモアに溢れた方だったようで、そこまで遠からずなのかも、と思いました。
※wikiによりますと、象に乗って凱旋門を訪れたり、「リーゼントヘア」と称してフランスパンを頭に括りつけて取材陣の前に登場するなどしていたようです。。。
この作品の面白いところの一つとして、昔の著名な作家たちのユニークなキャラクターを楽しめるところが挙げられるな、と思います。
もちろん脚本家の偏見や脚色は多いにあると思いますが、こんな人だったのかもな〜と想像するのはとても面白いですし、親近感が沸いてきます。
こういうところもアカデミー賞の脚本賞として評価されたところだったのかもな、と勝手に思ったり。
今回の「ここを見て!」は、「シュール」の語源となった「シュールレアリスム」の代表的な作家:サルバドール・ダリさんに注目でした。
※「シュール」と「シュールレアリスム」の説明
シュールは本来、フランス語のシュルレアリスム(surréalisme)の略語で「超現実主義」という意味です。これは 1920 年代にフランスで興った前衛芸術運動の名前です。この芸術運動では「まるで夢の中を覘いているような独特の現実感」を持つ作品が多く創作されました(詳細は後述)。これが転じて、略語のシュールも「超現実的な・不条理な・奇抜な・難解な様子」を表すようになったのです。多くの場合「シュールな○○」と言った具合に、形容動詞的に使用されます。
ちなみにシュールの語には、その経緯から「高度で芸術的である」というニュアンスを含むことも多いようです。例えば、「シュールなギャグ」と言った場合、単に「現実離れした難解な設定のギャグ」という意味のみならず、「高い次元でネタとして成立している」というニュアンスを含む場合があります。
…物事・言動・体験の様子が「超現実的で・不条理で・奇抜で・難解である」ような場合に用いられます。…
…前述した通り、シュールは芸術運動であるシュルレアリスム(超現実主義の意味)の略語です。この運動はダダイスムに続いて1920年代に興ったもので、一般にはサルバドール=ダリ(Salvador Dali)の絵画がよく知られます。フロイトの精神分析の手法にも大きな影響を受けており、「意識下の世界を客観的に表現する」ことを理論的支柱にしていました。…
出典:DICTIONARIE & BEYOND WORD-WISE WEB
三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺
10分でわかるカタカナ語 第12回 シュール /筆者: 三省堂編修所
3.ぐすたふのひとりごと
この映画を見た時に、誰もが「胸が痛い痛い痛い!」と感じるのが、終盤のギルの言葉ではないでしょうか。
「もしこの時代に残っても、いずれまた別の時代に憧れるようになる。…現代って不満なものなんだ。それが人生だから。」
あの頃はよかった、昔は輝いていた。
いつの時代もよく聞くことばです。
過去ってなぜか輝いて見えるんですよね。そして我々はそんな過去の世界に憧れ、懐かしさを覚え、恋い焦がれてしまう。
ギルもそんな一人でした。
しかし、自分が憧れた1920年代の人たちは、ベルエポック(19世紀末〜第一次世界大戦勃発の1914年までの時代)に憧れている、ベルエポックの時代の人たちはルネサンス期(14世紀〜16世紀)に憧れている。
その姿を目の当たりにしたギルは「過去への憧れも幻想なんだ」と気づくのです。
私は時々、田舎暮らしに憧れたりします。
便利な電化製品はなく、畑で野菜を育てて、薪でかまどを炊いて、自給自足の生活を送る。
一昔前のそんな生活こそ「豊かな生活」なのではないか?と。
でも私の場合、それは現実逃避の一つにすぎないんです。
本当にそんな生活を始めたら、1週間で音を上げてしまうのが目に見えています。ネットないとか、どうやって生きていけば…(これはさすがに大袈裟)。
私はただ、今の現実にはない何かを追い求めて、それを勝手に「良いもの」だと幻想しているんです。こういう方、結構いるのではないかな?と勝手に思っているんですが、いかがでしょう。笑
だからこそ、このシーンを「(自分のことを言われているようで)痛いな〜」と思う人もいるのではないか、と。
そういう幻想は捨てなくてはいけませんね。
私は、自分が今いるこの時代・この世界で自分の価値を生み出していきたい。
ギルと一緒に、幻想はもう1920年代のパリに置いてこようと思います。
ちなみに、この映画の邦題の手書きの書体がすごくいいな、と思ったんですが、誰が書いたのかな〜。(記事のタイトル画像参照)