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「死を意識すると感謝が増えて、人生が進むのかもしれない、と感じた」

死を意識するのが大事というのは、いろいろな本に書いてあるし、
最近では厚労省が作った「人生会議」のポスターが炎上して、話題にもなりましたが、あれも死を意識して今のうちからできることが何かを考えようという話だと思います。

けど、死を意識するというのは、とても難しいですよね。
身近なようでいて、やはり身近ではないから。

ぼくも、結局は実際に死ぬかもしれない、という出来事が直前に迫って、それからようやく、ほんの死を少しだけ意識できるようになった気がします。

生と死と感謝について考えることが多かった2019年だったので、その振り返りをしようと思います。


感情が大きく揺れた出来事3つ

年末に、1年の振り返りをしようと思い立ちましたが、

「この一年で一番大きな出来事はなんだろう?」

という問いかけをしても、なかなか進みませんでした。

良いことや達成したことを挙げなければいけない、そう思ってしまうと、余計に挙げられなくなってしまっている自分がいる。

そこで、

「1つだと難しいけど、3つ挙げるとしたらどうだろう?」

しかも、

「よかったことではなく、感情が揺れた出来事と考えると、少しだけ書きやすいかもしれない。」

そう思って、書き出しました。

・ 出来事1:漫画家こしのりょうに仕事を依頼された
・ 出来事2:「心の保健室」をはじめた
・ 出来事3:はじめて救急車で運ばれ「死」を意識した

この出来事3つは、思い返すと、嬉しいことと、悲しいこと、半分半分でした。


出来事1:漫画家こしのりょうに仕事を依頼された

2019年は、独立して2年目に入った年でした。

臨床を出て、ビジネスの世界で予防医療をする!!
感情の大切さを伝えるために認知行動療法の事業をする!!

病院に入院してくる患者さんだけじゃなく、もっと多くの人に届けたい。
そう思って独立したのに、2年目になっても入院してくる患者さんの人数どころか、その1/10の人数にも届けることもできず。
そして、収入も1/10以下に激減して、諦めそうになっている時期でした。

そんな自信もお金もなくなっていた時に、一番生きるのに不安を感じていた時に
個人としてはじめて仕事を依頼してくれたのが、
コルクラボで出会った漫画家こしのりょう(こっしー)だった。

描いた医療漫画がテレビドラマに何作もなっていて、
ぼく自身が何度も読んで救われたことがある漫画を描いている作者が、
自分のことを必要としてくれる、しかもお金まで払ってくれるくらい信頼してくれている。

お金なんかもらわなくても、ずっと応援したいと思っていた人が、
当時一番不安だったお金の不安に対して、しっかりお金を払ってくれたことや、
病院という仕事で所属する場所がなくなった不安に対しても、定期的に仕事として会える相手ができたことで、すごく安心を得たのを覚えています。

金銭的な不安の軽減だけでなく、嬉しい、楽しい、安心、驚くほど多くのポジティブな感情を補充してくれた。

そういう安心のもと、ぼくは少しずつ進めるようになってきた。

詳しくは
「ぼくの命の恩人、こしのりょうという漫画家」というnoteに書いてあります。

けれども、、、そんな良い時期は長くは続かなかった。


最初の頃、こっしーに

「前にコンサルを頼んだこともあるけど、なんかコンサルっていうのが合わなくて、さかちゃんのはコンサルっていう感じがしなくて、すごくいい。これからの医療を変えるくらいの漫画のアイディアが浮かんだよ、ありがとう。」


そんな風に言われた時に、嬉しすぎてたまらなかったのに、嬉しさを出さずにカッコつけて

「ぼくのやってることは、カウンセリングと、コーチングと、コンサルティングの中心をやっているからだと思うよ。」

3つ

↑こんな図を描きながら、そんな風に答えた気がする(とても強がっていたと思う)。


数ヶ月一緒に仕事をしていく中で、もっと早くこっしーの漫画を広めたい
こんなにすごい漫画を描けるこっしーの漫画が売れないなんておかしい、

もっと自分が何とかしないといけない!
自分の力が足りないからじゃないか!

いつの間にか、自分の力がないからのように、自分を責めてしまって、焦りから

「こんな風にしたらもっと売れると思う」
「こんな漫画がいいんじゃないかと思う」

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今思えば、↑こんな図のように

コンサルティングを学んで得たビジネス的な知識や、一般的な正解や、こうすべきということを、本人(こっしー)に合わせず、ただ伝えてしまっていたんだと思う。

その結果、漫画家にとって一番大事とも言える独創性や創作意欲を削ってしまっていたんだと思う。

こっしー自身が言っていた「コンサルは苦手」という言葉は、きっとコンサルティング自体が苦手なのではなく、自分で決めたい部分や自分の領域まで指示されることで自由度が減ってしまうことに対して、感じていたことなのだろう。

そうして、こっしーとは仕事としての契約は切れた。

こっしーとの数ヶ月のおかげで自分にとって一番のネックだった金銭的不安は少し軽減していた。本当に感謝しかなかった。

仕事として一緒にできなくなったことは、すごく悲しかったけど、
それ以上に自分の焦りからこっしーにとってマイナスの作用を与えてしまったことに対して自分を責め、大きく落ち込んだ。


出来事2:「心の保健室」をはじめた

こっしーから学んだことを活かして、

仕事や、ギブアンドテイクではなく、自分の好きなこと、できることをコミュニティ(コルクラボ)のメンバーにただただ与えることに集中していると、

少しずつ応援してくれる人が出始め、本当に自分のやりたいことや、大切にしたいことが明確になってきた。

自分がずっとやってきたことも、好きなことも、
安全・安心を得てもらうためのケアの要素だと気づけた。


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↑こんな図のように

カウンセリングの知識は、精神科医療(入院治療)の中でより良いケアにつなげるために学んだものだったし、
少しでも患者さんが楽になるために、患者さんがどんな人生を生きてきたかを知らなければいけない、医療の知識だけでは患者さんを本当に理解することはできない

そう思って、医療だけじゃなく、患者さんの多くが仕事をしているビジネスの世界の知識が必要ではないかと思い、学んだコンサルティングの知識

教育の世界の知識が必要ではないかと思い、学んだコーチングの知識だったということに気づいた。

それなのに、自分の安心がない状況だと、

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↑こんな図のように、補強のために学んだ要素(カウンセリング、コンサルティング、コーチング)だけを使って、相手をコントロールしようとしてしまうクセがあることにも気づけた。


自分の傾向などをコミュニティ(コルクラボ)のメンバーに話をすると

さかちゃんの強みは「癒し」だから、
広報やプロデュースは任せて、さかちゃんは癒すことに集中してほしい。
有名無名を気にしないで、ただ人のために、癒していけばいいから。


こんな風に言ってくれるメンバーが現れ、
テーマを絞ることがずっと怖かったけど、

「心の保健室」という、癒し(安全・安心)をテーマにした活動をコミュニティ内で始めることができた。

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活動を始めると、無名どころか既に有名な人も多く来てくれたし、

本人は自信がないと言うけれど、ぼくから見たらどう考えてもすごい能力があって、有名にならざるを得ない人ばっかりだった。


1対1での「心の保健室」の活動は、
うまくいって嬉しくてたまらない時もあれば、
うまくいかなくてものすごく落ち込む時もあった。

本当にやりたいことだからこそ、感情が揺れることばかりだったんだと思う。

コミュニティをメンテナンスする「心の保健室」の取り組みをビジネス分野で発表したnote

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出来事3:はじめて救急車で運ばれ「死」を意識した

そうやって、「心の保健室」の活動を行ないはじめて数ヶ月。

コミュニティ内で活動に対して投資を受けれるかもしれないという機会があった。

もっと頑張らなければ投資を受ける価値がない

そう思って、

毎日、1回2−3時間の「心の保健室」の活動を1日に何回も入れたり、それだけでなく、それ以外の仕事も入れたりしていた。

今思うと、毎日が嬉しいことも多かったけど、緊張や落ち込みも多く、睡眠不足も続いていたんだと思う。


そんなある日の朝、医療系の仕事に向かうまでの時間をカフェでゆっくり過ごしていると、

座っているだけなのに、動悸が激しくなってきて、
まぁ大丈夫だろうと、仕事に向かおうと歩いていると、
心臓がドキドキばくばく、口も乾いてきて、歩くのも苦しくなってきた。

数分後、職場(医療系施設)に到着する頃には、血の気も引いて、
どう考えても人生初の状態になった。

看護師をしていたので脈は測れるけど、自分で脈を測ろうにも焦りすぎて、まったく測ることができない。

職場の看護師に脈を測ってもらって、血圧測定をしてもらって

脈拍160、血圧160/110
(普段の血圧は100前後で、安静時の脈拍も100いくことはないくらい。)

なんとか職場の看護師に

「たぶんダメなので救急車お願いします。」

と声をかけ、救急車を呼んでもらった。


救急車に乗りながら、

「死にたくない。こんなにみんな(ラボのメンバー)から応援されているのに、死んでいる場合じゃない。」

そう思えて泣けてきた。

ずっと、死にたい、死んでもいい、そんな風に思っていたのに、

初めて死にたくないと思った。

そして、そう思えば思うほど、不安になり、さらに動悸は収まらないという悪循環に陥っていた。

病院について、検査をする頃には少し収まっていて、検査をしても不整脈(心室性頻拍だろう)ということで、一旦帰され、その後1ヶ月ほど何度も検査を繰り返していた。

今すぐに死ぬことはないだろうということが検査結果で分かるまでは、毎日

「今日死ぬかもしれない」

そんな風に毎日、死を意識していた。

そう思うたびに、

「死にたくない。こんなにみんな(ラボのメンバー)から応援されているのに、死んでいる場合じゃない。」

そのことを思い出し、
みんなから応援されていること

・「心の保健室」の活動自体を応援したいと言ってもらったこと
・「心の保健室」で話をしている中で、喜びを伝えてくれたこと

応援してくれている人の顔を思い出すことが増え、感謝することが増えた。


3つの出来事がつながった(点と点がつながった)

自分の傾向として、感謝の気持ちと一緒に自分の失敗を思い出して凹むことが多かったけど(どっちかっていうと凹む気持ちの方が優ってしまうことが多かった)、

死を意識して初めて、「応援してもらえて、ありがたいな」って感謝の気持ちで満たされることが多くなった。

そうやって自分を責める回数より、応援してくれる人への感謝する回数が増えていくと、

無理して頑張るのではなく、自分を大切にしよう。

そう思え、自分の無理しないペースで体調を優先しながら、活動を続け、
コミュニティのメンバーに100回ほど「心の保健室」をした頃から、
自分の安心が増え始めた。

安心の方が多くなった頃、

こっしーの漫画をもっと広めたい

そう自然に思え、
「町医者ジャンボ」は訪問医療の教科書になるはずだ!と始めた

ジャンボ

「漫画を活かした事例検討会」という活動から

訪問看護ステーションのスタッフ向けに「心の保健室」をすることになったり、

医療系の専門家とつながることが増え、日本生殖看護学会の研修をすることになったり、良い循環が生まれてきた。

そして、こっしーとは仕事としての契約ではなく、こっしーの医療漫画を応援したいと思って集まった有志(漫画家をサポートする会社(コミチ)や多くの医療系の専門家)メンバーとともにチームを組んで応援させてもらえることにもなった。

医療系の専門家とつながる中で、
自分が焦って、独り善がりになってしまうのは、一人で頑張らなければいけないと思ってしまう時で、

うまく力を発揮できるのは、病院で多職種とともに患者さんに関わっていたように、チームメンバーに感謝しながら、相手の力を信じて黒子になれる時だった。


黒子になる時に必要なことについては、「依存的な人の自己肯定感を上げるには?」というnoteに書きました。


今でも、気を抜いたり、無理していると、黒子になり切れず、自分を守るために独り善がりになることがあります。

だからこそ、自分がずれていないかを指摘してくれる仲間を持つことが必要なんだと自覚できた1年でした。

この1年で学んだことを活かした、謙虚な姿勢で2020年も取り組んで行こうと思います。

読んでくれてありがとうございます。


リンクnote

「ぼくの命の恩人、こしのりょうという漫画家」

コミュニティをメンテナンスする「心の保健室」の取り組み

依存的な人の自己肯定感を上げるには?


リンク

「漫画を活かした事例検討会」

訪問看護ステーションのスタッフ向けに「心の保健室」

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SAKAMO | 坂本岳之
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