風景だけが過ぎていく
「今回は人生が決まっとるいう話や」
『あはは~毎度お馴染みだよね』
「ええんやないの。ブレへんから」
『たーしかに確かに。わかりやすい』
「その流れやな。自分がどこにおるか」
『揺さんにチグハグって言われたけどさ』
「いつもすまんな。勝手なこと言うて」
『全然無茶苦茶、超オッケーっす!』
♡♡♡
こんにちは!
フジミドリです☆
新シリーズは【癒や詩絵物語】です。
今回は【自分の在り処】を扱いました。
素朴な疑問が浮かんだのです。
(自分は動いているんだろうか)
道術家である私。まず中真の仙骨を意識します。頭脳とは別の回路を使うのです。
スッと浮かぶ感覚がございます。
この感覚から物語と詩を創り、朔川揺さんの描いて下さる絵に添えてみました。
♡♡♡
『例えば、どこかへ出掛けて帰ってくると、現実に動いてると思うわけよ』
「そらまぁ常識やな」
『でも、帰ってきてから思い出すと、本当にあったかどうか心許なく感じない?』
「うーん。どうやろ。考えたことあれへん」
『そっか~一般的な感覚なんだろうね。実際のところ、不都合はないんだからさ』
♡♡♡
時間と空間が肉体の外に存在しており、私たちはその中を動いている──
そう捉える方が殆どでしょう。
頭脳の私も同じです。
けれども中真を意識すると、そこにはもう一人の自分がいます。違う観方をするのです。
自分の外にある世界は、全て中真の自分が映し出している。まるで映画のように。
そう感じられて詩を書きました。
♡♡♡
『シーズン1全体を通して、中心テーマになるかなって感じがしたんだよ』
「ほな、詩が先にでけたんや」
『ところが、物語と独りセリフがうまく噛み合わなくてさ。何回か改稿してるの』
「ほぉ。せやったんか。なら、わたしの感想でチグハグ言うのも的外れやないやん」
『揺さんに言われてからも換えたんだけど、最後まで噛み合わなくてね。それで、これはこれでいいかなと居直ったわけ』
「まぁ程度問題やろな。読む人次第やけど。まるでわけわからんのはあかんと思うで」
♡♡♡
書き上げた作品が、どう受け止められるか、気になさる方もあるでしょう。
コメントなど反響がなく、書き続ける意欲を失うケースさえあるかもしれません。
私の場合はごく身近でご指摘を頂けます。
ありがたいことです。
また、DМなどで信頼できるご感想を下さる読者様もいらして、励みになっております。
コメント欄は公開されておりますから、言葉選びも気を遣わなければなりません。
フジミドリはご自由にお読み下さい。
♡♡♡
『今回もイラストありがとう。虚無柴って面白かった。こんな顔するんだな』
「そうやね~お散歩か思たら、行き先が病院やったとか。遊びのつもりがオフロやとか」
『なるほど、期待外れってわけか』
「柴かて、イヤなもんはイヤや」
『たーしかに確かに。人間と同じ』
「なかなか思い通りにいかんもんや」
♡♡♡
かつて、人生を省みて、こんなはずではなかったという後悔に苛まれた私です。
しかし、一旦離れて、本来の自分という立ち位置を見出す道術によって救われました。
今年でちょうど、道術家の日常が人生の半分を占めることになります。感慨深いですね。
♡♡♡
「フジさん、昨日が誕生日やったな」
『あはは~そうなの。66歳だよ』
「おめでとさん。けど令和6年やで」
『ひえ~666じゃん。ヤバいぞ!』
「聖書で獣の数とか言われとるな」
『オーメンって映画の影響もあるね』
「スカイツリーも地下まで入れたら」
『666Мで東京タワーの2倍?』
「まぁ諸説ある。ホントはどないやろ」
『たーしかに確かに。意識次第だろうね』
「ほな、ええ年やいうことにしとこ」
『全然無茶苦茶、超オッケーっす!』
♡♡♡
お読み頂きありがとうございます!
次回のフジミドリは5月5日の午前十時。こちら西遊記が9日の午前九時です。
是非いらして下さい☆