37兆2千億の奇跡
「いや~ギックリ腰、身に詰まされるわ」
『経験者は語るってやつだな』
「けど、真の原因って、なんやねん」
『あはは~イマイチうまく書けてない?』
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こんにちは。フジミドリです。今回、ギックリ腰の経験を語って、真の原因について考察致しました。どうして起こるのでしょう。
考察──私は、頭脳で分析致しません。まず中真の仙骨を意識するのです。
頭で浮かぶ情報には触れず、心を惑わす感情も放置して、ただ中真を意識致します。そうすると、微かな感覚がスッと閃くのです。
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「わたしの言葉で、リンクするやな」
『女の勘って鋭いよね』
「男のウソが下手なんやで」
『たーしかに確かに。見抜かれちゃう』
「中真感覚いうても、自然なんやね」
『うん。老若男女、誰もが持つ感覚さ』
「地球の全人類共通いうわけやな」
『人種、宗教、知識、経験を超えるのよ』
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混乱する世相を見る度、道術家として暗澹たる気分に浸ります。地球人は、一体いつまでこのような分断を続けるのでしょう。
実験結果や統計数値、あるいは資料分析を元に、主義主張で闘うより、もっと大切な理解があるだろうと感じてしまうのです。
地球の全人類に共通する、血液は赤く混血可能、酸素を吸って体温も細胞数も概ね同じ、そういった根底から交流できないのか。
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「違いから入るな。個性尊重いうか」
『みんなと同じはダメみたいのあるね』
「そのくせ、同調圧力を掛けるんや」
『自然のまま受け入れられないんだよ』
「そうやねぇ。フジさんが初めてわたしに、そのままでええ言うてくれた時、ハッとしたもんや。これではあかん、思うとったから」
『オレもそうだった。師匠のご著書で、あなたはそのままでよいって読んだ瞬間の感動、30年経ってもハッキリ思い出すもん』
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何度か、ご質問頂きました。そのままでよいとは現状維持を指すのでしょうか。
いえいえ。まず、今ここで在るご自分の全てを受け入れるのです。命があって呼吸する。生きている。そして生かされている。
心臓が脈打ち、血液は全身を駆け巡り、絶え間なく新陳代謝する37兆2千億の細胞達。その全てが、私たちの味方です。
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「まず、足元見て確認、いうことやね」
『無いもの強請りで、すぐ外見るじゃん』
「細胞の働きは奇跡やで」
『いやホント、買えないから』
「細胞ひとつ下さい言うてもなぁ」
『温めますか』
「レンジでチンや」
『死んじゃうよ( ̄▽ ̄;)』
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細胞の数って60兆ではありませんか。ご指摘頂きました。探って参りましょう。
2013年、イタリアの研究チームが発表した37兆2千億という論文に端を発します。
今や医学の教科書も、変えられつつあるようです。細胞60兆は古い情報となりました。
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「いずれにしたかて途轍もない数やな。一つひとつ数えたんか、突っ込みとうなるわ」
『過去200年に渡って論文を精査、実際に測った数値と推定の合わせ技みたいだよ』
「まだ60兆を信じとる人、おるんやろな。 わたしもなんかで、読んだ気するわ」
『あるある~オレも本で何冊か読んだなぁ。編集者も、知らないんじゃないのかね』
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道術家である私にとって、この話題でも真偽のほどには拘りがございません。ただ、何を理解するかが大切なのです。
60でも37でも、決まっていると受け止めます。私が知るかどうか、古い情報に留まるかどうか、全て決まっているのです。
正直なところ、どちらの数であっても構いません。決まっている人生から理解する、何を掴み取るかが肝心なのです。
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「例えばフジさん、どんな理解やねん」
『古い自分に拘ると不自由するとか』
「ははぁ。足下掬われるな」
『権威者の話も、当てにならないとか』
「わたしら肩書に騙されよる」
『科学は全て仮説。コロコロ変わる』
「個人差あるものやし。一概に言えへん」
『枝葉に囚われて本質を見失うとかね』
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理解に正解などございません。こうでなければならない。そんな決まりもないのです。
ただ中真からスッと浮かんだ閃きが、自分自身を自由自在にしてくれる。その場その時に応じ、浮かぶ理解は違って構いません。
今ここで、私だけに閃くオリジナルな答え。それが中真感覚による理解です。
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「フジさん、ギックリ腰になって藻掻いたけど、細胞に任す、そう理解したんやね」
『何やってもうまくいかないんだもん。ホント叩き潰された感じ。諦めついた』
「あっはっは。明らめやな。ムリするとか甘く見るいうのもいかん、いうことやな。当たり前っちゃぁ当たり前のことやで」
『ごもっとも。やっぱ子供の時分から、身体に負担かけること、悟らせなくちゃ。ホントそう思う。スゴい働きだよ』
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そして更に私は、今腰に来てるけれど、全身が関わってる、あちこち歪みや歪から負荷が腰に出た、そう感じたのです。
拡大して捉えれば、地球全体に相似形で当て嵌まります。対岸の火事ではございません。
どこかで戦争が起こる。それは、地球人類が意識で繋がっているのだから、私たちの心中に争いがあるという証拠なのです。
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「話はえらい大きぃなってきたなぁ。せやけど、これもみーんな前世の理解、わたしらが生まれる前に決めてきたいうことやね」
『他人のせいにするのは簡単さ。あの大統領が悪者で、この首相はダメとかね』
「地球の歴史いうたら、戦争の歴史やもん。飽きもせんと同じこと繰り返しよる」
『オレは、見たり聞いたりする全て、前世の理解で決めた、そう引き受けたの。要らないって理解すれば、来世でなくなるわけさ』
「来世かぁ。ほな、今生はもうええんやね」
『生まれた瞬間、映画が始まったのよ』
「なるほど。今さら変えられへん」
『このままでよい。次へ望みを託すわけ』
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改めて感じ入ったものでございます。この三次元世界での、肉体を通した臨場感の強さ、重さ、鮮明さを再確認できました。
とはいえ、喉元過ぎて熱さ忘れるとはよく言ったものです。過ぎ去ってしまえば、茫漠として実感が湧きません。とはいえ──
あの感覚を体験するために、この肉体世界が存在すると、再認識したのです。
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「せやけどな、真の原因言うても、わかったようなわからんような。まぁ、疲れやら冷えやらは、表面的な原因とは思うけど」
『わかるわかる。書いてるオレだって、なんとか表現しようとするけど、スルッとすり抜けちゃうんだよ。適切な言葉がないね』
「痛みの真っ只中で掴めたんか」
『いやいや。ムリだよ、さすがに』
「そうやろなぁ。もう必死やで」
『でも、過ぎ去ると実感が薄れちゃう』
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自分の体験から理解を深める。とてもとても大切な仕組みです。自分の体験は、今ここに在る自分にしかできません。
しかしながら、他者の経験を通して、自分の理解を深めることもまた大切。私たち人類にのみ許された特権と申せましょう。
想像力を働かせるのです。実際には体験していなくても、体験した以上の理解を得ることさえ可能な仕組みですから。
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「けど、痛いばっかで、とてもやない、理解なんかでけんよ。余裕あれへん」
『だよね~それがまぁ人間っていうか。人間って、道術的には動物と人の間なの』
「そういやフジさん、動物に痛みがない言うとったな。痛みいう言葉を持ってへん。言葉を持つ人間だけが痛むんやったね」
『動物は違和感=神経的な信号を感じるだろうけど、概念として痛まない。人は魂の領域から痛みを観ようとする。人間は──』
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道術では、三つに分けるのです。人間と人と霊止。人間は頭脳で蓄えた知識で分析して、心揺らす感情のまま行動に走ります。
霊止は、永遠不滅の魂として、現象を観察するのです。人間から霊止へ移行し始めた段階が人と言えましょう。そう分けております。
中真である仙骨を意識して、頭や心のスイッチを切る。このゼロ状態において、私たちは霊魂の観点を得ることができるのです。
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「霊の目で観るんやな。目はないけど」
『道術用語で種観霊って呼ぶんだよ』
「以前はシミュレーション言うとったか」
『うん。馴染みやすいだろうってね』
「なんや語呂合わせっぽい感じやで」
『スビバセン。師匠がそういうのスキで』
「へぇ。厳しそうな印象やけどな」
『まぁね。でも、お堅いばかりじゃ』
「言霊いうくらいやから、言葉の響きいうか音が近いんは、繋がりあるんやろな」
『オレも昔っからさ、言葉遊びがスキでね。やっぱ愉快に生きたいじゃないですか』
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ある晩、箱根の露天風呂に浸かり、心地よくなりました。その時、ふと浮かびます。
顔は冬の夜空を見上げつつ、ひんやりしてるけれど、首から下がポカポカ温まっている。
顔が3次元世界、体は霊界に住む魂ではないだろうか。そんな種観霊が浮かびました。
私たちは日常、悩み苦しみ迷い、そして痛みを抱えているわけですが──
一繋がりの意識、霊界に在る魂は、自由自在で心地よい世界に安らいでいるのです。
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「フジさん、魂は丸い言うとったな」
『うん。仙骨が守ってるのさ』
「人の仙骨は、カーブを描いとる?」
『そう。動物の仙骨って直線なんだよ』
「仙骨が、魂を囲うように張り付いとる感じかな。もちろん見えへんのやろ」
『違う次元にあるからね。見えなくて触れないけど、辛うじて感じられるわけ』
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肉体の痛みはそのままでよい。今回の私にとって、これは大きな悟りでした。
これまで、痛いと自分を責めたものです。何やってんだよ。しっかりしないと。気をつけなくちゃダメじゃん。ポンコツだな。
しかし、痛みに苦しむ今この瞬間、魂が喜んでいると気づけました。苦しむこと自体は、放ってよい。自分を責める必要がない。
このままでよいのだ。改めてそう気づけたのです。深い気づきでした。救われたのです。
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『揺さん、イラストありがと。魔女の、ほいって一言効いたよ。あの脚いいねぇ。そう。ホントあんな感じだもん』
「喜んでもらえて嬉しいわ。せやけど、フジさんが魔女の一撃知らん、驚きやで。初め、何や言うて訊き返したっけ」
『マゾの一芸』
「なんやねん、それ」
『想像しちゃったわけよ』
「は。マゾの一芸」
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「次の話題は何やねん」
『今回、健康を扱ったから』
「次はやっぱり」
『お金かね』
「わたし、お金の苦労ばっかやったな」
『あはは~オレも縁がなかったよ』
「悩まんでええほどあったらなぁ」
『どれくらいあれば安心するのかね』
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お金がいくらあれば安心できるのか──
如何でしょう。お時間あれば、あれこれ想像するのも一興ではございませんか。
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さて次回のフジミドリ、4月3日午後3時、お金の種観霊、どうなりますことやら。
こちら西遊記は翌4日午後6時、揺さんとの愉快なお喋りで進めて参りましょう。