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カクヨムで見つけた凄い作品の感想&ぜひ他の人の感想が読みたい。


タイトルなし
(引用元:「私のジャンルに神がいます」真田つづる ㈱会社KADOKAWA)
タイトルなし
(引用元:「私のジャンルに神がいます」真田つづる ㈱会社KADOKAWA)

*打ち切りにはなっていません。

これ、滅茶苦茶凄かったんだけど、全然読まれていない……。(※性的虐待や児童虐待の内容が含まれているので、気になる人は注意)

カクヨムは、読む側にとってはかなり不親切な作りであることが関係しているのかもしれない。
スマホでの話数ページに作品フォローボタンがない、など読む側になると分かるけれどかなり不便……。(※すみません、ありました)

「妹売り」の何が凄いか。
第一にストーリーの構成だ。

「ポン引きの兄とその商品である妹の愛憎劇」という粗筋は斬新ではなく、むしろ平凡だ。
だが粗筋だけを聞くと平凡なストーリーが、話の構成(情報の出し方)で抜群に面白くなっている。
読み手の思考や視線を、完全にコントロールしている。ジャンルは違えど、クリスティーの小説を読んでいる感覚に近い。

「読み手の思考や視線を完全に管理している」

かなりテクニカルな小説で、とても素人の人が書いているとは思えない。
どこかでもう活躍している人なのだろうか。(作品も、読まれるとか読まれないとか何も気にせず、ただ置いてあるだけに見える)

この全体を見渡して管理している構成は、Web小説とはかなり相性が悪い。
最後まで読んで、初めて「おおっ!」となる話(最後まで面白い、ではなく、最後まで読んだからこそ面白い話)は、Webからは生まれにくいと思う。媒体の性質なので、仕方がないとは思うけど。

新作も面白かったので、さっそくフォローした。
話数がたまったら、一気読みしよう。楽しみ~。


*以下は「妹売り」のネタバレ感想です。作品を未読のかたは、作品を読んだうえでお読みください。




(*自分は物語の内部においては作者不在論者なので、以下は作者の意図当てではなく自分が物語から感じ取ったことだ)

「妹売り」は、ミステリーの造りに近い。
探し当てるのは犯人ではなく、話の中で一切その内面を描かれない兄レイジの心だ。

妹ルイの視点がメインのため、読者もルイ視点で兄レイジを見る。
妹に愛情どころか興味さえ示さない兄。周りの人間・事象には何ひとつ興味を示さず、暴力の匂いをただよわせながら、ただひたすら本を読んでいる兄。

レイジは一体、何を考えているのか。

それを探し当てる話なのだ。

結局、最後までレイジが何を考えているかは明示されない。
でも、最後まで読むと、この話はレイジの心について書いていたのだとわかる。

レイジが何を考えているかは、レイジ自身もよくわかっていないと思う。
ルイや読者は、最後にレイジの心を認識するのではない。
ルイや読者がレイジの心を認識した瞬間、「誰かによって心を認識されたこと」で……つまり読み手がこの話を読んだことで、初めてレイジの心が生まれるのだ。

存在しないものが、誰かが存在を認識することによって生まれる。

物語は現実とは違い「その物語の独自ルールが神」なので、そういう風に因果を転倒させることも出来る。

自分がこの話に深く感銘を受けたのは、「他者に認識されることによって、心や存在、関係性は生まれる」ということが描かれているからだ。
「存在を認識された側(生み出された側)」であるレイジに感情移入して、「ああぁぁああ」となった。(これが出来なかったルートが「ノヴァーリスの引用」)

「妹売り」には、兄が妹を虐げ、性的虐待を加える、というモチーフが繰り返し出てくる。
繰り返し用いられるモチーフは、「それそのもの」として見るよりは暗喩的に見た方がいい。(それそのものを描きたいなら一組を深く描くほうが有効なので)

例えば「ファイナルファンタジータクティクス」のストーリーにおける「妹」は神や信仰の暗喩と考えられるように、この話の兄と妹も人の心の中の「虐げる(虐げざるえない)もの」と「虐げられるもの」の暗喩として見立てられる。

だからモチーフの繰り返しの中で

①虐げられたまま死ぬパターン(イワン=マリア)
②虐げるものから解放されたあと、また戻るパターン(ジャッキー)
③虐げられるものから解き放たれるパターン(ルイ)

と別パターンが描かれる。

イワンの死があったからこそ(暗喩的に見れば、「レイジと離れられなかった場合のルイの末路」)、ルイはレイジを断ち切ることが出来た。
イワンはその命をかけて、もう一人の自分であるルイをレイジから解放した、と見ることが出来る。(だからルイはイワンを背負ったまま、レイジに別れを告げるのだ)
本来(現実)であれば断ち切ることはほとんど不可能である「兄の支配」を、モチーフの繰り返し(物語という回路を通すこと)によって、最後の最後で「兄」を理解し、その鎖を断ち切ることが出来る。
これが現実にはない、物語が存在する意味なのだ。

兄による妹への性的虐待が「虐げる者」「虐げられる者」の暗喩である場合、そのパターンに自分のケースが当てはまった人間にとっては「自分のための物語」になる。

例えば「自分で自分を抑圧している」というケースについても、この物語は暗喩として機能する。

「妹売り」は、多くの人に普遍的に機能する話……神話だ。

商業小説とは違い、他の人の感想がまったく読めないことが寂しい。

読んで感想を書いた人がいたら、ぜひ声をかけて下さい。


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