「ソロモン、中国と安保協定」のニュースにうわっとなった&「権威主義的な国は指導者がどういう人間かで全てが左右される危険」について。
今朝の新聞を読んでいて「うわっ」と声が出てしまったニュース。
軍事拠点化することも可能で、「地域の安全保障への圧力と脅威だ」というオーストラリアの反発と懸念は尤もだ。
そのオーストラリアの訴えに対して中国外務省は
「二つの主権独立国家の正当な権利だ。他国の干渉は許さない」
こう会見で話したらしいけれど、「それならウクライナのNATO加盟もOKなのでは」と思う。
ロシアのウクライナ侵攻に関して「ロシアの安全保障上の懸念は尤もだ」と言っていたのは何だったのか。
中国がロシアへの支持を表明出来ないのは、ロシアが目論んでいた短期決着の可能性がゼロになったこともあるが、ロシアのウクライナへの侵攻を支持すると、アメリカの台湾支援の正当性を認めることになるから、と以前読んだ。
これはなるほどと思った。
ウイグル、香港、台湾の問題を内政干渉だと突っぱね続ける中国の主張と、ロシアのウクライナ侵攻の主張とは理論上はどう考えても対立する。
「ロシアへの脅威や人権侵害がある(というロシアの主張が、仮に合っている)としてもそれを理由に主権国家に圧力をかけることや軍事介入など許されない、内政干渉だ」ということを、これまで中国が唱え続けてきた。
政治や外交の世界での発言が、国益に基づいたポジショントークになるのはある程度は当たり前のことだ。
政治や外交の世界では理念より自国の実利を取る姿勢に対してはさほど抵抗はないのだが(というより理念を理念に基づいて考えるのではなく、実利に基づいて考えるのはある程度は仕方ないと思っている。ある程度は)そんな自分でさえ「二つの主権独立国家の正当な権利だ。他国の干渉は許さない」とまでキッパリ言い切られると「どの面下げて言ってんだろ」と言いたくなる。
一方で中国国内では、上海の人がかなり強硬なロックダウンで苦しんでいる。「ゼロコロナなど不可能なのに、当局が何をしたいのかわからない」と嘆いているらしい。気の毒としか言いようがない。
権威主義の体制は、指導者個人の価値観や視野や器量や能力にすべてが左右されてしまうところが本当に恐ろしい。
そのことに関連して、4月2日(土)の読売新聞「五郎ワールド・プーチンとは何者か」でプーチンについて研究していた本が紹介されていた。
太字について、自分も特に根拠はないけれどプーチンはそういう人ではないか、と思っていた。
「他人を自分の手の内に収めておかないと安心できない」というのは猜疑心に陥った権力者は誰もがそうなりやすいが、野心や権力欲よりは、その「安心」が第一に来る人なのではないかという印象がある。
「人に自分を理解不能、予測不能と思わせる」のも、究極の防衛方法だと思う。
木村汎氏はずっとプーチンの研究をしてきた人のようで、色々な角度から本を何冊も出している。
とりあえず前回の記事で書いたこととも関連して「プーチンとロシア人」を読んでみようと思う。
これ以外の本は文庫でも電書でもほとんど出ていない。うーん、出して欲しい。
ウクライナ侵攻という平和に暮らしていた人たちがひどい目に遭う理不尽な事態の中で、何か少しでも学びがあるとしたら、パンデミックの時に言われていた「民主主義的な国よりも権威主義的な国のほうが決断が速く、事態の収拾や物事の対処に有効な体制」という言説がまやかしだった、ということがアッという間に分かったことくらいだ。
陰謀論の時も考えたが、人間はどれほど優秀でも認識能力に限界がある。
たった一人の人間が国の方向性の全てにおいて決定権を持つというのは、本当に危ういことだ。
特に国の運営においては、さほど優秀でもない欠点がある平凡な人間が、「他人ってよくわかんないな」と思いながらああだこうだ言い合いながら物事を決めるのは、それはそれで色々問題はあるしベストではないかもしれないが、今のところやはりベターではないかと思うのだ。
と、ヤンも言っていたな。「民主主義が建前だとしても、建前は大事だ」とも言っていた……っけ?(うろ覚え)