26/10/2020:『Sober』
夕方降っていた雨がやっと止んでくれたから、僕はウィンドパーカーを着て外へ出た。スポーツレギンスと短パンで包んだ足をランニングシューズに滑り込ませたときから、もう体はモードを変えている。
宇宙機動隊が使うような腕に嵌められるポーチにはケータイと鍵を入れて、耳にぴったり合ったイヤフォンを装着する。
「こんな夜にはー、んー。」
と、適当に鼻歌を歌いながら、静かなR&Bを再生させる。走りに出るときには、一定のリズムで進んでいく音楽がいい。取り分けシンプルなもの。
街灯はそんなに強くないけど、家々から漏れる光も相まっているから、外は明るく感じる。分厚い雲が向こうの方へと畝る様にして流れていく。大量の小魚ー何千、何万という数のーが、海の中で一斉に方向転換を繰り返した時、その鱗に光が反射して空気が捲れ返った時の、そんな様相に見える。
そうして雲は進んでいた。
と、いうことを考えながらストレッチをした僕は、2、3買い回軽くジャンプしてから出発した。
濡れたアスファルトを蹴るリズムは、耳から聞こえるハイハットだ。
スネアに遅れないように息を吸ったり履いたりしながらずんずん走っていく。
ベースラインをなぞるように交差点を曲がれば、僕の姿はもうどこにもいなく無っった。
・・・
食品加工工場の脇道はずっと長い直線で、この時間ならバスも通らないし、車もなかなか現れない。
だから思いっきり車道の真ん中を走ることができた。
真ん中の中央線に沿って、自分の真ん前に足を出し、跳ねる。
銀杏並木が近づいたと思ったらすぐに過ぎ去って、街灯の明かりには僕の影が倒れてはまた立ち上がった。
「僕は今、誰かに追われているんだ。」
なぜだか、この道を全力で走る時、いつもこんな気持ちになった。
後ろから、大きく、速い、黒い何かがやって来る。分からないけど前に走るしかなくて、だから割と不細工な顔になっていることを自覚しながらも、全霊を賭けてスピードに乗った。
もし、工場脇の無機質な景色が変わらないまま、ずっとずっと、このまま続いていたとしたら。
住宅街へ右折できる信号が消えて、ただ、グレーのブロック塀が続いているだけだったら。
暗い暗い行き先。暗いとわかるのは、僕が街頭に照らされているからだ。
だから、ひたすらにイヤフォンから流れる曲に合わせて、そしてそれを追い越すようにして走り続けた。
・・・
というようなことが起こるはずもなく、工場脇の長い道は500mも進めば終わりが見えてきて、僕は予定通り住宅街へ入るべく信号を右に曲がった。
夜の迷路に迷い込むようにして入り組む道。
何千人とこのブロックに人がいるはずなのに、道を走っているのは僕だけだった。
「初めから世界に一人でいるのと、こうして周りに人がいる中でそれでも一人でいるのと、どっちの方が寂しいのかなぁ。」
などと考えながら、僕は走り続けた。
住宅街を抜けると、河川敷に出る。
一気に階段を登って、川を見下ろす歩道まで来た。
電車が鉄橋を向こう側へと走っていく。
うねる雲が川の流れと反対の方向に向かっていて、そっちにも僕が今走り抜けて来たのと同じような住宅街が、それこそ地上の雲みたいに広がっていた。
その景色を眺めながら、息が整うのを待つ。
今、寄り添ってくれているのは、イヤフォンから聞こえる音楽だけだ。
雨上がりの風が川から上がって来て、海なんだか泥なんだか、わからない匂いに包まれる。
そして少し胸が落ち着いて来て、また暗闇へと走り出した。
・・・
今日も等しく夜が来ました。
Childish Gambino『Sober』。
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