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#齋藤アルケン工業
借金5000万で売上6000万の会社の保証人になった二代目社長のV字回復ストーリー⑤
これまで4回に分けて、私の経験した事業承継の話をしてきました。
ー大学卒業後には、他者メーカーで製造と営業を経験
ー2000年に家業に入るために、実家浜田市に帰郷
それから、家業の内装業の傾きを取り戻すために必死でした。
ー2006年、農業に参入するも3年で撤退
ー2009年、介護事業に参入
家業の内装業から異業種となる介護事業に参入してからは、売り上げのない期間が2年ほど続きました。ただ、
借金5000万で売上6000万の会社の保証人になった二代目社長のV字回復ストーリー④
2011年、父が創業した『有限会社齋藤アルケン工業』を継ぎました。
今現在では創業時の内装業を基盤としつつ3つの介護事業も展開しています。ただ、ここに至るまでの長くつらい期間が私にはあります。事業の傾きを何とかしようと必死でした。
そんな話しを、これまで何回かに分けてお伝えしています。
今回は、齋藤アルケン工業に喜ばしい転機が訪れたところからを書き綴ります。
同級生の母親が連れてきてくれた
借金5000万で売上6000万の会社の保証人になった二代目社長のV字回復ストーリー③
2011年、私は父が創業した『有限会社齋藤アルケン工業』を、事業承継しました。
今現在は、創業時の内装業を基盤としつつ3つの介護事業も展開しています。ただ、ここに至るまでの道のりは険しく、暗中模索する日々が長らく続きます。それを示す一例として、介護事業から自分の給与を生み出せない時期が2年ほどありました。出口が見えないトンネルを歩いているような毎日の中で、幾度にもわたる挫折を繰り返し続けていたた
借金5000万で売上6000万の会社の保証人になった二代目社長のV字回復ストーリー②
2011年、父が創業した『有限会社齋藤アルケン工業』の事業承継をしました。
今現在では、創業時の内装業を基盤としつつ3つの介護事業も展開します。ただ、ここまでの道のりは一筋縄ではいかなかったです。
今回は、前回の続き。家業の傾きと直面してからの私の歩みについてを書き綴ります。
立ち往生する日々バブル崩壊の影響によって事業が傾く、齋藤アルケン工業。
多額の借金が圧し掛かる上に、仕事も減り続けて