本格化する宮中祭祀の改変──四方拝は神嘉殿南庭ではなく御所の庭で、黄櫨染御袍ではなくモーニングで(2009年01月06日)
(画像は宮中三殿。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
▽1 天長祭、大正天皇例祭は御代拝
前号では(平成20年)12月15日の賢所御神楽がご休養中の天皇陛下に代わって掌典次長が拝礼したことを取り上げ、基本原則を明示しないまま、祭祀を「調整」したのは、官僚的な秘密主義であり、なし崩し的に密室で祭祀を破壊した入江時代への先祖返りにほかないことなどを指摘しました。
まことに残念なことですが、「昭和時代の先例」を免罪符として、宮内官僚たちはいよいよ本格的に祭祀の改変・破壊に取り組みはじめたようです。下記の「天皇・皇室の一週間」をご覧いただければお分かりのように、祭祀破壊の悪夢はまぎれもない現実となってきました。
(平成20年)12月23日は天皇誕生日で、天長祭が行われました。本来は午前中に天皇陛下が宮中三殿を親拝されたあと、皇太子殿下が拝礼されるのですが、宮内庁のホームページによれば、殿下だけがお出ましになったようです。天皇・皇后両陛下の「ご日程」には「祝賀」行事ばかりがいくつも掲載されています。
2日後の25日は大正天皇例祭が皇霊殿で行われました。小祭ですから、本来なら天皇が皇族および官僚を率いて拝礼され、掌典長が祭典を行うのですが、宮内庁のホームページによると、今回は皇太子殿下が拝礼され、秋篠宮同妃両殿下が参列されようです。
おそらく天皇陛下は御代拝で、皇后陛下と皇太子妃殿下の拝礼はなかったのでしょう。お二方の拝礼がないのは、側近の公務員は祭祀という宗教に関わるわけにはいかないという誤った政教分離解釈によって、昭和50年に御代拝の制度が廃止された結果です。
▽2 四方拝はモーニングで
元旦には、天皇陛下は神嘉殿南庭で伊勢神宮、山陵、四方の神々を遥拝する四方拝が行われ、引き続き、歳旦祭が宮中三殿で行われますが、報道によると、今年(平成21年)は、四方拝は神嘉殿南庭ではなくお住まいの御所の庭で、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなくモーニング姿でお務めになり、歳旦祭は側近の侍従ではなく掌典による御代拝となったようです。
このメルマガの読者ならすでにご存じのことと思いますが、戦後の宮中祭祀の破壊は祭祀嫌いの俗物、入江相政侍従長の工作で始まりました。秘密裏に、なし崩し的に行われた入江時代の祭祀破壊がいまふたたび現実になりました。
入江侍従長の日記には昭和45年ごろ、新嘗祭の取りやめ、四方拝の洋装、歳旦祭の御代拝に取り組んだことが記録されています。44年12月26日には、入江が昭和天皇に「四方拝はテラス、御洋服で」と提案したとあります。
昨年(平成20年)3月に宮内庁は「昭和時代の先例」にしたがって、祭祀の日程を調整することを明言していました。先月の長官「所見」では祭祀の「調整」が明言されていたわけではありません。口をつぐんだまま、いよいよ入江時代の「悪しき先例」の踏襲に踏み出したようです。
▽3 祭祀がストレスの原因か?
ただ、かすかな救いは、今年の四方拝が御所のテラスではなく、庭上で行われたことです。
八束清貫・元宮内省掌典によると、四方拝が庭上で行われるのは、「庭上下御」といって、天皇がみずから地上に降り立って謙虚に神々を仰ぐ崇敬の誠を示しているのだそうですから、望ましいことです。
しかし、天皇しかお務めにならない一年で最初の祭儀について、黄櫨染御袍からモーニングに、場所は神嘉殿から御所に変更し、しかし庭上で、というのでは、何を基準とした調整なのか、さっぱり分かりません。
このメルマガで何度も繰り返してきたことですが、ご負担の軽減は必要であり、法的根拠や伝統的裏づけがあるわけでもないようなご公務のお出ましを削減し、あるいは御名代として皇太子殿下を立てるという方法を本格的に検討すべきです。祭祀なら、天皇の親祭がご無理なら皇族または掌典長に祭典を行わせ、親拝が難しいなら皇族または侍従に拝礼させればいいのです。
羽毛田信吾長官は先の「所見」で、「陛下のお疲れを減らし、ストレスになりそうな状況をできるだけ減らすために、ここ1カ月程度は、ご日程を可能な限り軽いものにする」と語りました。
しかし実際のところ、年末年始のご日程については、誕生日記者会見が中止され、一般参賀のお出ましの回数が5回に減らされたぐらいだけで、その一方で、祭祀は無原則に蹂躙されています。分刻みの祝賀行事はストレスにならず、天皇第一のお務めである宮中祭祀こそストレスの原因だとでもいうのでしょうか。