社会的弱者のための天皇ではない──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 5(2017年04月28日)
まえがきにかえて──宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー
▽5 社会的弱者のための天皇ではない
渡邉前侍従長(いまは元職)が仰せの現行憲法的「象徴」天皇論を、百歩譲って認めたとして、国民に寄り添う「象徴」としての行為と、
「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行う」
と定める憲法(第4条)の規定は、いかなる関係になるのか、少なくとも私にはほとんど理解不能です。
前侍従長は「象徴」について、こう語ります。少し長いですが、引用します。
「『象徴』とは何か、と聞かれると答えにくいですよね。でも陛下がされていることというのは、要は求心力を働かせるということではないでしょうか。これは非常に嫌なことではありますけど、社会から遠心力が働いて外周部に追いやられてしまいがちな方々が実際にはいらっしゃる。もうずっと以前からハンセン病や障害者スポーツなどに関わる方と陛下は親交をもってこられましたが、そういう方々に求心力を働かせて、遠心力ではじき飛ばされることがないようにする。それがまさに『日本国民統合の象徴』として、陛下がされていることなんじゃないでしょうか」
これも間違いだと思います。社会的弱者のため、社会的にご活動なさるのが天皇という存在ではないし、為政者の不始末を尻ぬぐいするのがお役目ではないからです。
古来、国と民をひとつに統合するのが天皇の第一のお務めであり、それが祭祀です。天皇の「求心力」は「遠心力」を前提にしているのでもないでしょう。
前侍従長は、「もう1つ印象に残ったこと」として、日銀総裁によるご進講の逸話を紹介しています。陛下は
「この頃、格差ということを聞くようになりましたけど、それについてはどうですか?」
とお尋ねになったというのです。
そのときの総裁の答えがピントはずれと感じた前侍従長は、ご進講のあと、総裁に
「陛下がああいうことをおっしゃっていたのは、要するに格差で落ちこぼれる人が出てきているというふうに自分は理解していると。その人たちのことはどうするんですかということだったんだと私は思いますよ」
と申し上げたというのです。
前侍従長の理解では、「遠心力」ではじかれた「弱者」を救済し、「求心力」を働かせるのが天皇のお役目だということになるのでしょうか。そうではなくて、もっともっと高い次元にあるのが皇位というものはないでしょうか?
たとえば、近代を代表する啓蒙思想家の福沢諭吉は『帝室論』に
「帝室は政治社外のものなり」
と書きました。福沢は、皇室の任務は民心融和の中心たる点にあると理解し、政治圏外の高い次元での国民統合の役割を期待したといわれます(小泉信三『ジョオジ五世伝と帝室論』)。
天皇にとっては、強者であれ、弱者であれ、すべての民が「赤子(せきし)」のはずだし、国民に寄り添う天皇のお出ましが、社会的不満のガス抜きに利用されてはなりません。