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前侍従長の「象徴」と陛下の「象徴」──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 3(2017年4月26日)
まえがきにかえて──宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー
▽3 前侍従長の「象徴」と陛下の「象徴」
渡邉允前侍従長(いまは元職)は、インタビュー記事の冒頭、こう語っています。
「10年半で私が感じたことというと、やっぱり一番は天皇陛下の無私の心です。一言で言ってしまえば、そういうことなんだと思うんですよ」
「天皇に私なし」とは古来、いわれてきたことです。天皇には姓も名もありません。たとえば、今上陛下の弟宮・常陸宮様は「正仁親王殿下」とお呼び申し上げますが、陛下はあくまで「天皇陛下」です。現に皇位にある天皇はお名前では呼ばれないのです。天皇が固有名詞で呼ばれるのは、崩御(ほうぎょ)ののちのことです。
それにしても、不可解です、
「10年半、侍従長を務めました」
「一般の方々に比べて、普段の陛下のお姿を拝見する機会が多かったわけです」
とみずから語る「天皇家の執事」は、もっぱら今上陛下個人について語っています。
しかも、今上陛下の「無私の心」が何に由来するのか、深く追究されていないようなのです。
前侍従長はまず日本国憲法を引用します。
「陛下は日本国の象徴であり、国民統合の象徴であるというお立場でいらっしゃいます。これは寝ても覚めてもそうで、一時たりともそのお立場でない時間は無いわけですね」
前侍従長の説明は、陛下の「無私の心」があたかも現行憲法の「象徴天皇」制度に基づいているかのような錯覚を覚えさせます。けれども、そんなことはあり得ません。
すでに書いたように、天皇とは古来、公正かつ無私なる祭り主なのです。
たとえば、後鳥羽上皇の日記「後鳥羽院宸記」の建暦2(1212)年10月25日条には、大嘗祭で新帝が神前に捧げる、天皇直伝で一般には知られない「申詞(もうしことば)」について、弱冠14歳で即位された、第3皇子の順徳天皇に教えられたことが記録されています。
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「伊勢の五十鈴(いすず)の河上にます天照大神(あまてらすおおかみ)、また天神地祇(てんじんちぎ)、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」(原文は白文)
今上陛下は、歴代天皇と同様、皇位継承以来、この申詞にあるように、国と民のため、皇祖神のみならず天神地祇にひたすら祈る宮中祭祀を重ねられることによって、「無私の心」を磨いてこられたのです。
陛下はまた、けっして単純な護憲派ではありません。占領軍による「押しつけ憲法」と卑下され、せいぜい70年弱の歴史しかない日本国憲法が、悠久の歴史を紡いできた天皇の精神の根拠となるはずはありません。
たとえば、御即位20年の記者会見で、憲法が定める「象徴」という地位についての質問を受けられた陛下は、
「長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました」
とお答えになりました。
陛下にとっては、「長い天皇の歴史」すなわち祭祀王としての歴史と、現行憲法上の「象徴」というあり方の2つが同時に重要なのです。
10年以上もお側に仕えた側近中の側近なら、そんなことは容易に理解できるでしょうに、前侍従長の「象徴」はあくまで現行憲法的「象徴」なのです。
前侍従長は、ほかの雑誌インタビューでは、こう述べています。
「昭和天皇は、新憲法下の天皇として戦後を生きられましたが、やはりそれ以前に大日本帝国憲法下の天皇として在位されたことは否めないことでした。一方、今上陛下はご即位のはじめから、現憲法下の象徴天皇であられた」(インタビュー「慈愛と祈りの歳月にお伴して」=「諸君!」平成20年7月号所収)
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昭和天皇は在位の途中から、なのに対して、今上天皇は最初から、「象徴天皇」制度の下での「象徴天皇」だという理解です。まるで皇室の伝統、天皇の祭祀を避けるかのような姿勢は、「1.5代」象徴天皇論に取り憑かれた結果でしょうか?