ふたたび佐藤雉鳴氏に答える──国家神道・教育勅語・神道指令をめぐって by 島薗進(平成22年9月2日)
当メルマガはこの春から、在野の研究者・佐藤雉鳴氏の教育勅語論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」を7回にわたり連載しました。
これに対して、日本宗教史の研究者としてきわめて著名な島薗進・東大大学院教授から批判をいただきました。
さらに、佐藤さんからの反論がありました。
このたび島薗先生からふたたびエッセイが寄せられましたので、掲載します(斎藤吉久)。
佐藤雉鳴(さとう・ちめい)さんから私の応答に対して、さっそくにさらに批判的応答をいただいた。この度も何かと考える材料をいただき、感謝している。ただ、論点がやや細部にわたってきており、私の力では応答しきれないところもあるようだ。とりあえず、先に示した3つの論点について、簡潔に私なりの再応答をさせていただき、問題についての認識をともに深めたい。
▽1 教育勅語における「中外」の語の語義について
言葉は生き物なので、人々の生きざまの変化、それを引き起こす社会文化環境の変化によって意味も形もどんどん変化していく。教育勅語以前は「中外」(=「広い社会」)によって国内全体、より具体的には「朝廷と民間」という意味が有力だったというご指摘は、今後精細な検討に値する重要なものだと思う。鎖国時代の封建制の下では、国際社会はあまり意識に上らなかった。だから「中外」の意味が限定的だったのも当然かもしれない。
しかし、開国後、さらには文明開化を目指す時代、「憲法」を制定し、国際社会で西洋諸国と対等の地位を確保しようとする時代にあっては、「広い社会」についての認識も当然変わってくるだろう。「中外」は「広い社会全体」を意味する語だったので、その意味する具体的な領域が、国内から国際社会へと移っていったということはありうることだろう。佐藤さんが示しているように、明治天皇の詔勅の多くにおいて、「中外」が「国中と国外」、つまりは国際社会を意味しているのは、そのような変化に対応したものなのではないだろうか。
儒学者的な相貌が目立つ元田永孚(もとだ・ながさね)はこのような変化に疎(うと)かったと思われるが、教育勅語の他の関係者の中にはこうした変化を十分に理解していた人々もいたことだろう。西洋の事情によく通じていた井上毅などはその一人だ。
教育勅語の「中外」が「国中と国外」に解されることは、1890年段階でも予想できたのではないかと思われる。そのような時代情勢になっていたからこそ、井上哲次郎の解釈が通用することになったのではないだろうか。
以上、「中外」の語義の変遷という論点を導入すると、私の理解と佐藤さんの理解を近づけることができるのではないかという展望を述べた。
▽2 GHQの宗教をめぐる占領政策と「国家神道」理解
GHQの宗教をめぐる占領政策の中心には、日本にアメリカが信じているような形での信教の自由を実現させ、それによって日本人の間にキリスト教を初めとして、人類の進歩に資するような宗教が広まるようにするということがあった。これを妨げていたのが、特定宗教が国家と結びつくこと、つまり「国家神道」だというのが、神道指令の規定にある宗教理解、「国家神道」理解だ。宗教的マイノリティとしてヨーロッパから逃れてきて、純粋な信仰に基づく理想の天地を造ろうとした先祖をもつ国にふさわしい発想だろう。
加えて、軍国主義や超国家主義の「イデオロギー」が本来の神道を歪めてしまったので、そのようなイデオロギーを排除して、神道が本来の宗教性を発揮できるようにするということも加わっていた。ウッダードが「国体のカルト」というのも、そのようなイデオロギーを指している。これは神社神道や皇室祭祀そのものを指したものではない。「世界征服思想」は排除されるべきものだったが、それは神道本来のものではなく、イデオロギーの悪影響によるものだというのが、GHQの立場だ。
GHQの決定の背後には、さまざまなアメリカ側の意見があったが、マッカーサーを初めとして、ある程度日本の伝統文化を尊び、安定した占領統治を行うことで、共産主義から日本とアジアを守りたいという考え方は強かった。共産主義に対して、キリスト教だけでなく、仏教、神道初め、日本の諸宗教もまた守るべきものと考える人々が少なくなかった。このあたりは、井門富二夫編『占領と日本宗教』はじめ、多くの研究成果があるが、まだまだ研究を深めていかなければならないところだろう。
GHQがもっぱら日本の精神文化の解体をねらったという考えは、私には受け入れにくいものだが、私自身の勉強が足りないという佐藤さんのお叱りは心して受け止め、さらに研鑽(けんさん)していきたいと考える。
▽3 教育勅語は天皇崇敬と国家神道宣布に大いに寄与した
皇室祭祀と天皇崇敬を柱とする国家神道は、戦前の「公」の領域で全国民が従わなければならないものとなったから、次第に思想・良心の自由に抵触する度合いを強めたということが、拙著『国家神道と日本人』の論旨の一つだ。そして、国家神道は幕末に「治教」「皇道」「祭政教一致」などの語により、維新後の新たな国家統治の基本理念となったものがもとになっている。神社神道と皇室神道を切り離した神道理解では、そこのところがぼやけてしまう。また、これは「天皇親政」をめぐる問題ではなく、「天皇親祭」をめぐる問題なのだ。「天皇親祭」を国家の精神的支柱とするという点では、幕末から1945年まで連続性がある。
教育勅語も神的な起源をもち、国家的な祭祀を通して崇敬すべき天皇と「臣民」との精神的紐帯(ちゅうたい)について語っており、その部分にもっとも重要な機能がある。それは拙著で示したように、早くから学校での教育勅語崇敬や天皇崇敬教育によって保持され、育(はぐ)くまれていったものだ。
そして、それは国民と天皇が直結した政体を求める草の根の運動にも影響を及ぼし、ファシズムにつながった。畔上直樹さんの『「村の鎮守」と戦前日本』はその点を明らかにしたたいへん重要な業績だ。
維新政府が構想した国家神道(皇室祭祀・天皇崇敬)を基軸とする近代国家のあり方は、そのような展開を招かざるをえないような構造をもっていた。明治憲法を中心に政治や法体制の方から見ていくとそれが見えにくいが、国家神道や皇室祭祀の方から見ていくとずっと見えやすくなる。
現代日本の教育において精神性が欠落していることは残念なことだ。しかし、いかにして教育に精神性を回復させればよいのか、なかなか妙案が出てこない。
世界中で似たようなことが起こっている。アメリカ合衆国では福音主義的なキリスト教徒が公立学校での宗教教育の許容を求めている。イスラーム諸国ではイスラーム教育が行われて、公平な他宗教認識にほど遠い状況だ。
日本でも宗教情操教育の回復を求める立場、「いのちの教育」を求める立場、哲学・倫理教育を強調する立場、宗教文化教育を唱える立場などさまざまだ。ただ、特定の崇敬対象を重視する精神性の育成のみでは、人類社会の恒久平和はあまり期待できないと私は考えている。
教育勅語が直接、対外的な攻撃性をあおったという論はあまり妥当性がないが、思想・良心の自由にとってどのような意味をもったかという論点はまだまだ深められる必要があるだろう。
▽4 最後に
佐藤さんは丁寧にさまざまな資料を掘り起こして提示されていて、私のように宗教理論や比較文化(比較文明論)を好み、文化理解・歴史理解の枠組みから論じていくタイプの者にとっても大いに参考になる。
ただ、今進めているやりとりは、それぞれの枠組みの間のすれ違いになっているかもしれず、それが私の未熟さによるとすれば申し訳ない。資料の取捨選択は歴史解釈の枠組みをどのように構成していくかということと不可分なので、私は枠組みの変更に通じるような資料についてはできるだけ誠実に応答しているつもりだが、おおよそのところは枠組み論で応答していることをご理解いただきたい。
なお、佐藤さんもたびたび参照してくださっている拙著『国家神道と日本人』の論点については、これまでに発表した関連論文でより資料に即して検討しているものも多い。やがて研究書として刊行するつもりである。取り扱っているのは、近代日本人の自己理解に関わるたいへん大事な問題だから、息の長い検討を続けていきたいと考えており、その点からも佐藤さんの丁寧なご批判や応答に大いに感謝している。今一度お礼を述べて、今回の応答をしめくくりたい。
☆斎藤吉久注。読者の便宜を考え、若干の編集を加えています。