池上彰先生がポチを演じる理由──先帝陛下の「長い天皇の歴史への思い」に気づかない(令和6年9月8日)
◇1 政府・宮内庁の広報マンもしくは解説者
池上彰先生の「皇位継承」論について検証を続けます。テキストは東洋経済オンラインに載った『池上彰が説く「女系宮家」という選択の現実味──皇位継承を確保するための諸課題』(2018/08/08)です。
前回までを簡単におさらいすると、池上先生の「皇位継承」論は政府・宮内庁の論理を単になぞっているだけのように見えます。さながら政府・宮内庁の広報マンもしくは解説者ということです。なぜそうなってしまうのでしょうか?
先生のエッセイは冒頭、平成28年8月8日の先帝陛下のビデオメッセージから説き起こされています。陛下の「おことば」は「象徴としてのお務めについて」と題されているように、高齢化による御公務御負担への苦悩が表明され、「お務めの安定」を願いつつ、「譲位」の意思が示されたのでした。ところが、池上先生のエッセイでは「皇室の将来」の展望ヘとすり替わり、「女性宮家」創設についての検討へと議論が展開されていきます。
このすり替えの論理こそ、政府・宮内庁の「女性宮家」創設論そのものでした。御公務の御負担が重いのなら、軽減策を図れば済むことです。実際、軽減が図られ、しかしみごとに失敗し、そしてビデオメッセージの「譲位」表明へと進んでいったのです。
そして「女性宮家」創設です。先生が仰せのように、「退位に関する特例法」の「附帯決議」には「安定的な皇位継承を確保する」ための「女性宮家の創設」が明記されています。しかし少し考えれば分かることですが、「皇位継承」と「女性宮家」は本来、無関係です。ところが先生は、政府・宮内庁と同様、126代の天皇がなぜ男系継承なのかを追究することもなく、女系継承容認の是非へと論理を飛躍させ、さらに皇族減少対策の検討へと話題を進めていくのでした。
◇2 民主党政権と安倍政権との安易な対比
池上先生は、野田内閣、さらに安倍内閣の動きにも言及しています。
いわく、2011年、民主党の野田佳彦内閣では、女性宮家の創設が検討されたが、主な焦点は女性天皇や女系天皇の容認ではなく、皇族の減少対策だった。皇族が減少すると公務が続けられなくなるため、女性宮家を設立し、皇族の安定を図ることが提案されたが、法案にはまとまらなかった。議論の中で、女性宮家の範囲や財政的な問題も浮上したが、安倍内閣が反対の立場を取ったため、議論は進展しなかった。
先生はここで何を言いたいのか、私にはさっぱり理解できません。民主党政権は開明的で、「女性宮家」創設に積極的だったけれども、安倍政権は頑迷固陋で、これを押さえつけたとでもいうのでしょうか? まったく安易な対比ではありませんか?
なぜなら、平成以降、女性天皇・女系継承容認推進のきっかけとなったのは、7年9月に自民党総裁選で小泉純一郎議員(のちの首相)が「女性が天皇になるのは悪くない」と発言したことだったし、その後、容認論を陰に陽に進めてきたのは官僚たちでした。官僚が陰で糸をひき、御用学者やメディアとのトライアングル体制によって、世論を巻き込みつつ、展開されてきたのが女帝・女系継承容認=「女性宮家」創設論であって、政治家たちが主導してきたわけではありません。
民主党が16年夏の参院選で、「女性の皇位継承」容認をマニフェストに掲げたのは事実だし、羽毛田長官が民主党政権に働きかけたのも事実のようですが、より正確にいえば、長官は政権が代わるたびに現状報告を行ったというのが真相であり、官僚が権力ににじり寄るのは世の常です。
安倍総理をウルトラ保守主義者のように見なすのは自由ですが、実際のところ、官房長官時代には「憲法第2条に規定する世襲は、天皇の血統につながるもののみが皇位を継承するということと解され、男系、女系、両方が含まれる」と国会答弁しています(18年1月27日の衆院予算委)。単に血がつながっているというのが「世襲」なら、「女系」も容認されます。令和の大嘗祭で、悠紀殿や主基殿は板葺き、膳屋はプレハブにと、皇室の歴史と伝統にない変更が加えられたのは、まさに安倍政権の所業でした。
◇3 「皇位は世襲」だから女系が認められるのか?
池上先生は、旧宮家の皇籍復帰案に言及し、国民の7割が反対しているから、現実的ではないと斥けていますが、そもそも皇位継承問題は国民が介入すべきことでしょうか?
先生はまた憲法論に立ち返り、第1条は天皇の地位が「国民の総意」に基づくと規定し、第2条は「皇位は世襲」と定めているから、皇室典範を改正し、女性天皇・女系継承を認めることは可能だと指摘しています。
要するに、池上先生は126代続いてきた皇位継承のあり方を拒否し、その根拠を現行憲法の主権在民主義においているということでしょう。現行憲法の公布・施行によって、正統性が断絶されたという宮澤俊義流の考え方なのでしょう。
しかしこうした考え方について、たとえば小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)は疑問を投げかけています。1つは、まさに「世襲」です。憲法は「皇位の世襲」を規定し、伝統を尊重しているからです。
「世襲」は、もともとdinasticの和訳であり、「王朝の支配」を意味します。古来、姓を持たず、家なき家として、公正・中立のお立場で、国と民をひとつにまとめ、統治してきたのが皇室です。それが、女帝ならいざ知らず、女系継承までが容認されたとき、同一の王朝として認められるでしょうか? 「憲法上問題ない」と言い切れるでしょうか?
126代続く皇統は男系ですが、なぜ池上先生は男系の絶えない制度を考えようとしないのでしょう。百人一首に親しみ、桃の節句に内裏雛を飾り、源氏物語の世界に思いを馳せる日本人が支持しているのは、「2.5代」象徴天皇制ではないはずです。
◇4 先帝の「おことば」への一面的な理解
池上先生は、エッセイの最後を、再度、先帝の「おことば」を引用し、締めくくっています。すなわち、陛下は「象徴天皇の務めが安定的に続いていくこと」を願っているのだから、国民もまた天皇・皇室の将来をしっかり考えるべきだと訴えているのですが、一面的といえませんか? 陛下は、けっして「象徴天皇」の伝道師でも、護憲派政党のシンパでもないからです。
それはほかならぬ陛下の「おことば」が証明しています。
たとえば、平成21年11月、御即位20年の記者会見では、「長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました」と語られています。陛下はつねに、皇室の歴史と憲法の理念の両方を尊重してこられたのです。
池上先生の「皇位継承」論には「長い天皇の歴史」が抜けています。いや、じつのところ引用されているのです。にもかかわらず、「長い歴史」が抜けているのです。
だから、政府・宮内庁のポチを演じることになるのです。男系で続いてきた悠久の歴史に思いを馳せるなら、「女性宮家」創設などあり得ません。池上先生の論理でいうなら、陛下は「長い天皇の歴史に思いを致し」と仰せなのだから、国民もまた皇室の歴史と伝統を重んじて、安易な「女性宮家」創設論に与みすべきではないと正反対の論理も可能なのです。なのに、先生は訴えない。なぜですか?
池上先生、いかがですか? いい質問でしょ?